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早川沙織からの手紙 #5

古墳2

 その夢を見るようになったのは1年前、高校に入学してからだ。
 実際のところ、それが洞窟なのか、そうでないのかよくわからない。
 夢の中で目を覚ますというのもおかしな話だが、起きるとぼくは真っ暗な場所に横たわっている。
 周りには灯りというものがない。
 あるのは、どこまでも続く暗闇だけだ。
 背中にはひんやりとした感覚がある。堅くて平で、表面が乾いててざらざらとしている。おそらく石(もしくは岩)だ。すくなくとも木や金属ではない。手で叩くと、厚みのようなものを感じる。
 ぼくは声を出そうとしてもうまく声が出せない。もしくは声は出ているのに出ている感覚がない。
 臭いはまったくしない。暑くも寒くもない。
 どこからともなく、遠くで水が流れている音が聞こえる。意識を集中しないと聞こえないような、かすかな音が。
 暗闇・石・水、これらが合わさって、ぼくに洞窟を連想させる。
 立ち上がって、腕を伸ばして暗闇の中を探る。
 指先になにかが触れるのを期待するけど、むなしく空を切るだけだ。
 両腕を前に突き出して、2・3歩あるいて立ち止まる。もし崖や池があるかもと考えると足がすくむ。
 結局、ぼくはその場にしゃがみこむ。
 真っ暗な暗闇の中で、水の流れる音を聞きながら。
 そこでは時間の感覚がない。あったとしても、ものすごくゆっくり流れている。
 ぼくは暗闇の世界に、ひとりぼっちになって取り残された気持ちになる。とても不安だ。
 もしこれが夢ではなかったらと考えると……それはすごく恐ろしい。
 だんだん息苦しさを感じる。
 ぼくの体が暗闇と同化したみたいに、漆黒がぼくを取り囲む。吸い込まれるように意識が薄れていく。
 朝になると、部屋のベッドでシャツが寝汗でぐっしょりとなっていて、またあの夢かと思う。
 無事、現実世界に戻れたことに安堵して。

 そういう夢をぼくは定期的に見るようになった。
 だいたい月に1度のペースで。
 暗闇中で床にしゃがみ、時間が過ぎて現実に引き戻されるのをまち続ける。
 ぼくはそれを【暗い洞窟の夢】と呼んでいる。
 だからショッピングモールで、沙織の口からその言葉が出たとき、ぼくはすごくおどろいたし動揺した。

 ◇ ◇ ◇

 HRが終わって校舎を出た頃には、鉛色の雲が空を覆い、いまにも雨が降りだしそうな天気だった。
 ぼくは、帰りのことを心配しつつ、先をいく沙織のうしろをついて歩いた。
 野球部の練習グラウンドの裏手にある、雑木林の細い道を抜けた先には開けた場所があり、小さな丘のような円墳が鎮座している。
 それは実際、小さな丘だった。
 周囲80m、高さは4mあるかないかぐらいで、丸く盛り上がった全体が短い雑草に覆われている。
 脇には青いペンキのはげかけたベンチが1つ設置してあり、秋になると作業員が草刈り機を使って手入れをしている。
 校舎からはかなり離れていて、生徒が近づくことはほとんどない。
 ぼくも1年のときに歴史の授業で来たことがあるぐらいだ。
 横穴の入り口には、全体が赤茶色く錆びた鉄板に取っ手をつけたような無骨な扉があり、大きな南京錠がぶら下がっている。
 沙織は南京錠を手に取ってジロジロ眺めてた。
「楠くん、この鍵を引きちぎって」
「ムチャいうなよ。バチがありそう」
「そういうの気にするタイプなんだ」
「古墳ってことは、昔の人のお墓だろ」
「ほんとにそうなのかな」
 沙織は古墳の周りを、ゆっくり歩いて見て回る。
 ベンチのところで立ち止まり、なにか思うことがあるように観察する。
 横の階段を使って小さな丘に登り、歩いてきた細い道の方向を眺める。ローファーのかかとで地面を掘るように蹴った。
「……どこかにスイッチがあるんだわ」
 腕組みをして、ぶつぶつといっている。
 ずっとなにかを探している様子だ。
 ぼくは沙織の斜め後ろに立って、古墳の頂上から新緑に染まる雑木林の景色を見下ろした。
 学校だとは思えない静けさがあり、天気のいい日にはピクニックに良さそうな場所だ。

「転校してきてから校内中をいろいろ調べてまわったの。放課後に、ひとりで歩いて」と沙織がいった。
「この学校っておかしいと思わない? 敷地はむだに広いし、設備はやたら豪華でしょ。グラウンドが4つに、体育館が2つ、屋内プールがあって、食堂はレストランみたいにメニューが豊富だし。ビーフシチューがあったりしちゃって。古墳まであるなんて聞いたことない」
「少子化だし、施設で選ぶ中学生も多いだろ」
「楠くんもそうなの?」
「ぼくは、家から近いのを重視したかな。私立のわりに授業料が高くないし」
「信じられない。距離で学校を選ぶなんて」
「そういう早川さんは、どうして付属高校を受験したの」
「私、内部生だから」
「内部生?」
「高校から入学するのが外部生で、付属中学から上がるのが内部生。受験がないぶん、楽なの」
「なんかずるいな」
「むこうはシャンとしてるっていうか、みんな常に成績を気にしてる。食堂はちょっとまえに改修されたんだけど、歴史のある建物が多かったわよ」
「いい意味で?」
「知らないと思うけど、校則はわりと自由なの。生徒の自主性を重んじるというか、ほら、教育学部だから。ここは、昔、日本陸軍の駐屯地だったの知ってた?」
「へー、はじめて聞いた」
 普通の高校生は、学校の場所になにがあったのかなど気にしないと思う。
 その情報を転校生の沙織に聞くのは、あべこべのような気がした。
「終戦直前に、土地や建物なんかをすべて放棄して市に移譲したの。まるで進駐軍に接収されるのを避けるために。そのときに書類や資料はすべて燃やしたのね。しばらく空き地だったのを民間に払い下げられて、学校が創立されたわけ」
「ネットで調べたの?」
「ううん。市の図書館」
「頭のいいやつばっかいそう」
 ぼくのくだらないひがみを無視するように沙織はつづけた。
「問題は、土地を買収した企業の創業者よ。ヤガミ・ヘイゾウという人物で、帝国大学を首席で卒業後、陸軍に少尉として入隊。終戦後は薬剤メーカーを創業して大成功したの。1986年に県内の病院で死去。晩年は篤志家として地域の発展に貢献してた」
「とくしか?」
「熱心に慈善事業や寄付を行う人のことよ。彼が残した莫大な遺産で、この学校は運営されているの」
「それのどこがおかしいの? 学校の創立者が元軍人っていうだけだろ」
「軍隊での経歴がすっぽり抜けてるでしょ。大企業の創業者は承認欲求の塊みたいなものだから、政界に影響力を発揮したり、経済紙に記事が残ってるはずなの。いろいろ探してみたけど、そういう情報がどこにもないの。会社の広報誌にも。まるで表舞台に立つのを避けてるみたいに。
 これは私の想像だけど、日本陸軍はここで重大な研究してたのかも。それを隠蔽するために学校を作った可能性は考えられない? 学校があるかぎり開発されたり、掘り起こされることはないでしょ。古墳があればなおさらよね」
 沙織が教えてくれた薬剤メーカーは、ぼくも聞いたことがある。日本を代表する企業のひとつだ。
 大企業の創業者や重役が、軍閥出身者という例は意外と多い。ヤガミ少尉も、軍隊時代に得た知識や人脈を駆使して事業を拡大したのだろうか。
 ぼくの頭にパッと浮かんだのは731部隊と核兵器の開発だ。
「核兵器とか?」
「もっとすごい物よ。日本を敗戦の危機から救うような。……このあいだの地震が関係あるかも」
「なに?」
「ううん……なんでもないわ」
 ぼくはテンでわからなかった。
 いまわかってるのは、ここは旧日本陸軍の駐屯地だった、ヤガミ少尉という人物が学校を建てたという事実だけだ。あと古墳がある。残りはすべて彼女の推測でしかない。
「それが、ぼくの見る夢と関係あるの?」
「確証はないけど……」
 ポツポツと雨粒が落ちてきた。
 沙織の着ているブレザーに水滴がにじんで吸い込まれる。
 ぼくにどこまで話すべきか迷っている。
 そんな沙織の横顔を見て、ぼくは不謹慎にも(ぶっ飛んだヤツだけど、やっぱ美人だよな)と思ってしまった。
「同時に私が見る夢とも関係ある」
 重い息を吐くようにして沙織はいった。
 彼女の黒髪がしだいに濡れるのを見て、ぼくは「本降りになるまえに校舎に戻ろう」と沙織にいった。

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