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早川沙織からの手紙 #17

ぼくは、それを一番おそれている1

 昼休憩のヤガミ少尉の部屋で、ぼくらは音楽を聴いていた。
 窓を開けて椅子を並べて、イヤホンの片方を沙織に貸して。
 自転車に乗っていて、ワイヤレスのイヤホンを片方だけポロッとなくしてしまい、同じのを買うのもバカらしいので、有線でいいやってなった。おおげさではなく、学校の通学路には、イヤホンが1000個ぐらいは落ちてると思う。
 スマホはAQUOSのsense7だ。バッテリーのもちがよくて、価格も4万円台でそこまで高くない。ぼくは、ゲームもしないし、動画も撮らないので性能的にも十分だ。
 沙織はiPhone14を所有している。1世代前だけど、ハイエンドモデルだ。クラスの半数以上がiPhoneなので、Androidのぼくが少数派といえる。
 イヤホンからはスピッツの『渚』が流れ、ぼくらは、それが当然のように手をつないでいた。
 沙織と手をつなぐと、半径2メートルぐらいのささやかな世界が完結したように、気持ちがやすらぐ。
「スピッツといえばノスタルジーな楽曲で、ロビンソンやチェリーが有名だけど、ぼくは、この曲がお気に入りだな。スピッツにしては明るい歌だし、出だしの曲調と歌詞がマッチしてる。終盤の尻すぼみ感も”らしい”」
「チェリーなら知ってるわよ。ナオミがカラオケでたまに歌う」
「あれって失恋ソングなんだよ」
「そうなんだ」
「チェリーって桜だろ。ポップな曲調で、別れた恋人のことを思って前向きに歌ってる感じかな」
 親しくなってわかったことがある。沙織はかなりの気分屋だということだ。
 カラオケの帰りに、かなりいい雰囲気だったので、これはイケると思って夜に電話したら、いまはいそがしいから、あとにしてくれって、あっさり袖にされた。タワマンのまえで別れるときは、電話を待ってるといってたのにだ。
 ぼくは、肩透かしを食らった感じだった。コウヘイが家まで送ってくれたとかなんとかで、ナオミと盛り上がっていたらしい。
 で、日曜にヨシオと野球部の試合を観戦に行ってると、沙織から、いまなにしてる? と連絡がきた。
 ぼくは、ヨシオと野球を見に球場に来てるといったら、ふーん、て感じだった。
 とくに用事があるわけでもなく、夜に電話をくれっていわれた。
 昨日、したじゃんって内心思った。とにかく女子は気まぐれなのだ。

(黙ってれば、育ちのいい優等生って感じなのになあ)
 ぼくは、沙織の横顔を見ながら思った。
「なぁに、人の顔をジロジロ見て」
 視線に気づいた沙織が、黒い瞳をチラっと向ける。
「いやあ……あいみょんのが良かったかなっと思ってさ」
「あいみょんなら、いつでも聞けるでしょ。スマホにダウンロードしてあるし」
「オリオン座のベテルギウスは、すでに爆発して消えてるかもしれないって知ってた? なのに、いまも夜空で輝いてる」
「雑学ネタでごまかして。ちがうことを考えてたでしょ」
「ベテルギウスの話は本当だよ」
「ねえ、将樹の家にいってみたい」
「また、いきなり」
「思ったんだけど、将樹は私の家を知ってるのに、私は将樹の家を知らないのって不公平でしょ」
「来ても、沙織が喜ぶような物はないよ。THE・男部屋って感じだし」
「放課後に。決まりね」
「今日?」
「なにかまずいの?」
「母親はパートだし、家にいないよ。シアタールームはないけどさ」
「妹さんはいるでしょ。会ってみたい」
「名前はサツキ。兄の股間にパンチを食らわせるような、じゃじゃ馬だよ」
 こういう場合、ぼくに拒否権はない。
 断れば、沙織が機嫌を悪くするのは目に見えてるし、そうなると直るまで手間がかかる。
 それにしても、男の部屋に遊びに行くことをなんとも思わないのだろうか、と思わないでもない。
(ぼくは舐められてるのかな。男として見られてないか)
 まあ、嫌いな男の手を握ったり、部屋をたずねたりはしないよな、とポジティブに受け取る。

 ◇ ◇ ◇

「ここで、待ってて」
 沙織を部屋の外で待たせて、あわただしく窓を開けて、床に転がってたマンガ雑誌や服などを片っ端からクローゼットに放り込み、ベッドのシーツを直して、ゴミ箱の中身をチェックした。
「感心感心。ヤバいブツは、ちゃんと隠したみたいね」
 沙織は、抜き打ちで部室をチェックしにきた主将のように部屋を見回す。
 机の上に置いてある、参考書を手に取ってパラパラとめくる。
「麦茶でいい? そのへんに適当に座ってよ」
 部屋を出ようとすると、ノックする音が聞こえた。
 ドアの外にサツキが立っていた。麦茶の入ったコップを2つ、丸盆に載せて、隙間から中を覗こうとしている。
「サンキューな。気が利くじゃん」
 ぼくは、麦茶を受け取って座卓に置いた。
 カニ歩きをするみたいに、サツキが部屋に入ってきた。
「だれだれ。お兄ちゃんのカノジョ?」
「高校の同級生。そうだ、あとで沙織に勉強を教えてもらえよ。ぼくより優秀だぞ」
 ぼくは、適当に沙織を紹介した。
 サツキは、海藻みたいに体を揺らして、「ぼくよりって、まるでお兄ちゃんも優秀みたいじゃん」と生意気な口をきいて、好奇心旺盛な目で眺めた。
「よろしくね、サツキちゃん。お兄ちゃんの恋人なの」
「あのなぁ……」
 ぼくは、またかと思った。
 沙織が、すました外行きの顔をしている。
 こういうときは、だいたいロクでもないことを考えてる場合だ。
「やばっ! いつのまに?? ドッキリ?? すごい美人。お兄ちゃんのどこが好きなの?」
「包容力があって、積極的なところかな。人が大勢いる街中で、赤いバラの花束を渡されて告白されたの。好きだ、一生愛してるって大声で宣言して。私も、は、はい、と思わず返事をしたの」
 沙織は、真顔でウソをついた。
 そういうウソを瞬時に思いつく頭の回転がすごい。
(バラの花束は、ぼくのキャラじゃないだろ。買ったことねーぞ)
 サツキは、子猫がはじめて大型犬を見たような顔でおどろいてた。
 沙織が上手だ。まんまと騙されてる。
「うちの妹を、あんまからかうなよ。全部デタラメだからな」
「あらら、照れちゃって。今日も、唇が腫れるぐらいキスしたくせに。将樹は学校では、とても大胆なのよ」
「サツキ、こづかいやるから友達の家に遊びに行ってこい」
 ぼくは、財布から500円を取り出して、サツキに渡した。
 入れ替わるようにして左手が伸びてきた。
「なんだ、この手は」
「よく消えるスティック消しゴムが900円するんだよね。猫の肉球キャップした」
「しょうがないな……母さんには内緒だぞ」
 ぼくは、もう500円、追加で渡した。
「へへへ、お兄ちゃんが、あたしを家から追い出して、ふたりでエッチなことをしてたなんて、絶対いわない」
「やっぱり返せ」
「ウソウソ。沙織お姉ちゃん、またこんど、遊んでね!」
 サツキが部屋を出ていく。階段を駆け降りる音がした。
 ぼくは、小さな台風が去ったような気持ちだ。
「いまから私とエッチなことをするの? 将樹お兄ちゃん」
 沙織がクスクスと笑っている。
 ぼくは、ずっと沙織のターンだ、と思った。
「な、いったとおりだろ。ああいう知識を、どこで仕入れてくるんだか」
「あの年頃の女の子は、みんなあんな感じよ」
「沙織もそうだったの?」
「私は、もっとマセてたかも。妹さん、すごく可愛らしいのね。気に入っちゃった。生々しい現場も見れたし。ああやって買収するんだ」
「欲しかったら、連れて帰っていいよ。いつでもあげる」
「そんなこといって。いいお兄ちゃんじゃない。クスノキ・マサキとサツキで韻を踏んでるのね」
 沙織はスクールバッグを床に置いてベッドに座って、麦茶のコップに口をつけた。
 リラックスした様子で、壁に貼ってある、むかしのロックバンドのポスターに目をやる。メルカリで手に入れたやつだ。
(不思議だな。沙織がぼくの部屋にいるの)
 自分の部屋なのに、自分の部屋でないような気がする。
 単調だった部屋の色彩が、一気に華やいだみたいだ。
 スマホを使って音楽をかけようとして、いかにも下心があるみたいでやめた。とくに沙織は、そういうのに目ざとそうだ。
 ぼくは、勉強机の椅子に腰を下ろした。
「どうして、離れたところに座るの」
「いやあ、隣に座っていいものかどうか」
「へんなの。自分の部屋なのに」
「そうだけどさ。緊張しそう」
 ぼくは、度胸があるつーか、堂々としてんなぁと感心した。
「ね、卒アルを見せてよ。中学校と小学校の」
 ぼくは、本棚に置いてあるアルバムを何冊か取って、沙織に渡した。
 沙織が、横をポンポンと手で叩いた。
 隣に座れという指示らしい。
 中学の卒業アルバムを、膝の上で開く。
「将樹、見つけた。あんまり変わらないのね。髪型が高校生っぽくなっただけで」
「1年ちょっとまえだよ。そんな変わってても、整形かって思うだろ」
「ヨシオくんも同じ中学だったのね。陸上部の女子は、どれ? 元カノの。待って。やっぱり自分で探す」
 沙織は、ぼくが教えようとしたのを止めた。
 真剣な顔つきで、クラス写真のページを何度もめくった。
 女子だけで150人近くいる。見つけられっこないとタカをくくっていた。
「このコ?」
 顔写真を指さす。
 いやはや、沙織は一発で陸上部の女子を当ててみせた。
 これには、ぼくもかなりおどろいた。
 話したのだってかなりまえだし、ノーヒントだ。
「中学の知り合いに聞いた、わけないよな」
「話しから、同じクラスではないでしょ。文化系っぽい女子は除外よね。眼鏡をかけてるコも除外。陸上部ってことは、痩せてて日焼けして髪が長くて、水泳部だと肩幅でだいたいわかるから。あとはカンかしら」
「記憶力ハンパないな。探偵になれるんじゃない。どうして髪が長いってわかったの? そんなこと話したか?」
「単純な話。将樹、髪の長い女子が好きでしょ」
 なるほどなぁ、という気持ちが半分、女子こええ、という気持ちが半分。
 浮気とかしたら、速攻でバレそうだ。
「ふーん。なかなか美人じゃない。私にすこし似てるかも」
「そ、そうかな」
 いわれてみて、ぼくも気づいた。
 日焼けをしていることを除けば、陸上部の女子も髪が長くて胸が小さいし、身長も同じぐらいだ。そういえば、沙織も元バスケ部だ。性格は、ぜんぜんちがうけど。
 ぼくは、こういう女子がタイプなのかもしれない。運動をしてて、髪が長くて胸の小さいコが。それを沙織に指摘されたのは、複雑だ。
「彼女とはキスしたの?」
「そこ掘り下げるか」
「この部屋には来たことある? ない?」
「ないよ」
「だいたいわかってたけど。そんな意気地があったら、とっくに私を押し倒してるはずよね」
「つーか、中学生だぜ。性格わりぃ」
「陸上部のときの写真はないの? 見たい」
「地区予選のがあるはずだよ」
 ぼくは、べつのアルバムを開いて見せた。
 中学2年生のぼくが、青いユニフォームを着て、青少年公園にある陸上トラックを走っている。
 ぼくにとって、最初で最後の記録会だ。もともと趣味の延長みたいな部活だったので、出場したことに満足していた。タイムがすこしずつ縮まるのが楽しかった時期でもある。
 沙織は、数少ない陸上部時代の写真を目を細めて眺めてた。
「スマホで撮っていい?」
 といって、砂浜に落ちてた小さな貝殻でも見つけたみたいに自分のスマホで撮影していた。
「県大会に出てたら自慢できたんだけどね。才能のある奴らはやっぱ速いよ。インターハイとか、みんな怪物だよ」
「私は、中学の地区大会で4位だったのよ」
「レギュラー?」
「負けたときはよけいに悔しかったな。みんなで泣いちゃって。こんど、見せてあげる、私のも」
 それって、ぼくが沙織の家に行くのかな、と思った。わざわざ卒アルを持ってくるとは思えないし。
「小学生の将樹、かわいい。これは選抜リレーね」
 沙織がアルバムをめくる。
 空白のページで手を止めた。
「ここだけ写真がないみたい」
「ああ、小4にすこし入院しててさ」
「入院?」
「祖父の家で、もらった飴玉をのどに詰まらせて死にかけた。ギャグみたいな話だろ」
「……」
「近くに祖母がいたんだけど、声が出せなくてさ。その場で倒れた。すぐに救急車を呼んで、気づいたら病院のベッドだった。2ヵ月ぐらい入院してたんじゃないかな」
 ぼくは、なるべく明るく説明した。
 目を覚ましたときには健康そのものだったし、ベッドの脇にはクラスメイトが作ってくれた千羽鶴があって、学校の友達に早く会いたいと思っていたぐらいだ。
 沙織は、ぼくの声が聞こえてないみたいだった。
 急速にアルバムから興味をなくしたみたいに口数が少なくなって、うつむいてべつのことを考えていた。
(なにか気に障ることでもいったかな)
 と心配になった。
「ねぇ、入院してた病院をおぼえてる?」
「さあ。どこだったかな。転院して、市外のリハビリセンターみたいなところだったよ。それがどうかしたの?」
「ううん、なんでもない……なにか音楽をかけて。将樹の好きな曲が聞きたい」
 ぼくは、スマホを操作した。
 エレコムの小型スピーカーから、back numberの『ハッピーエンド』が流れはじめた。
 この曲も失恋ソングだよな、と気づいた。ほんと間の抜けた話だ。
 ボーカルのしんみりとした歌声を聞きながら、悩んだあげくに沙織の細い肩におそるおそる腕を回した。
 沙織は、そうするのをずっと待っていたように、ぼくの右肩に頭を乗せた。
「サツキの麦茶に、なにか入ってた?」
 笑わせるつもりだったのに沙織は無反応だった。
 イケてる男子なら、もっと気の利いた言葉をいえるのに、それができないのがすごくもどかしい。
 ぼくは沙織のことを考え、沙織はほかのことを考え、夜空の下で、ちがう星を見上げるみたいに、ぼくらはべつべつのことを考えていた。

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