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早川沙織からの手紙 #20

ぼくは、それを一番おそれている4

 駅前にある、大手予備校に下見に行った。
 10階建ての立派なビルで、大きな看板を誇らしげに掲げてある。ぼくも場所は知っていた。
 名古屋に本部があるK予備校は、テキストと設備が充実していて、学力や志望によって講座が細分化されている。東大理類数学なんていう、名前を聞いただけで背筋が伸びそうな講座もある。合格実績で、毎年1位を取り続けている。
 同じ駅前には、いま勢いのあるT予備校もある。こちらは東京に本部があって歴史は浅いが、有名講師が多数在籍している。TVでよく見かける講師がいるところだ。配信授業が中心なので、過去の物を含めていつでも見れて、家でも勉強できる。あとグループミーティングがあって、生徒のモチベーションアップがうまいらしい。
 1階の受付で夏期講習のパンフレットをもらって、教室や自習室を見て回った。みんなかしこそうで、いるだけで自分の学力が上がったような気がした。
 コウヘイとナオミはいなかった。そりゃ、そうだ。毎日来るわけじゃない。

「付属高校の目の前にもT予備校があるの」
 ぼくらは、アーケード街のカフェに寄った。このあいだ、コウヘイたちと待ち合わせていた店だ。
 テーブルには、沙織が注文したアイスレモンティーと手作りのチーズケーキがある。
 ぼくは、眠気覚ましに、飲んだことのないブレンドコーヒーを注文した。深夜に呼び出したお詫びのつもりなのか、沙織のおごりだ。
 店内には、どこかで聴いたことのあるようなクラシック音楽が流れ、他に制服姿の女子高生がふたりと、スーツ姿の男性客がいるだけで、とてもすいていた。
「付属高校なのにエスカレーターじゃないんだな」
「ないない。教育学部のための学校だから。受験対策もないぐらいなのよ」
「意外だな」
「授業料はどちらもあまり変わらないの。あそこはレベルが高くてフランチャイズ方式だし、学校から近いと便利でしょ。部活をやってる生徒はとくに、終わってすぐ行けるわけだし、タイパ重視ね。予備校側も優秀な受験生を囲い込めるメリットがあるの」
「ウィウィンだな」
「私や将樹は、コウヘイもなんだけど、部活をしてないわけだし、K予備校のほうが対面形式で緊張感があっていいと思うの。あと自習室もしっかりしてるでしょ。駅から遠かったり部活をしてたらT予備校を選ぶという感じね」
「通うならいまでしょ、みたいな」
「なにそれ」
「知らない? 有名な講師のテレビCM」
「ふーん。つまんないの」
 人を笑わせるつもりなら、もっと練習しなさいよ、と。沙織はきびしい。

「勉強のコツは、習慣と報酬なの」
 沙織は、小さくカットしたチーズケーキをフォークで突き刺しながら説明した。ぼくの目をまっすぐに見据えている。
「習慣はわかるよ。毎日コツコツすることだろ」
 ぼくは、コーヒーをすすった。とんでもなくビターだ。
 かっこつけて注文するんじゃなかった、と後悔した。
「ちょっとちがうかな。決まった時間に勉強をする癖をつけるの。大手予備校のミーティングでも、かならず最初にタイムスケジュールを組ませるでしょ。パターン化して、体に覚えさせるわけ。東京の私大だと、だいたい1日4~5時間が目安といわれてるけど、いきなりは難しいでしょ。はじめは、朝の30分に集中するのが、おすすめ」
「夜じゃなくて朝なんだ」
「朝のほうが脳が活性化されてるの。暗記系は夜がいいかも」
「学年トップだけあってウンチクあるな」
「勉強は、手段でしょ。なりたい職業に就くとか、社会に役立つための。まー、中には勉強するのが目的みたいな奇特な人もいるけど。いきなり大学受験を目標にがんばれっていわれても、継続するのがむずかしいと思うの。三日坊主」
「うん。ぼくやヨシオなんかがそうだな」
「そこで報酬が大事なわけ。細かく報酬を与えることで目的を作って、勉強する癖をつけるの。手段と目的よね」
「へー」
「中学の自由研究で調べてみたことがあるんだけど、付属校の生徒って、ひとりっ子と長子が多いの」
「自由研究か。面白いこと調べてるなぁ」
「あとね、優秀な生徒は、母親が専業主婦で、ほぼマザコンなの」
「マザコンって、あのマザコン?」
「ほかにある? コウヘイはモロにそうよね。母親に絶対逆らえないタイプ」
「そうなんだ。よく観察してるな」
 沙織は、そういう目でコウヘイを見ていたわけだ。
 ぼくはマザコンではないが、コウヘイにシンパシーのような物を感じた。
 いまなら、ぼくとコウヘイは確実に親友になれる。
「私も人のことはいえないけど、母親がマンツーマンで勉強を見て、問題を解けたら、やさしく頭を撫でて褒めてあげるの。子供にとって最高の報酬よね。幼少期の小さな成功体験の積み重ねが、自信に繋がって、勉強やスポーツを継続する原動力になるの」
「なるほどなぁ」
 うなずきつつ、沙織の母親は、教育ママだろうなと思った。まえにチラっと話してた。
 沙織は、両親の愛情をたっぷりと注がれて育てられたわけだ。ピアノや英会話教室とか、習い事もたくさんしてそうだ。
 ぼくは、沙織と親しくなってから、中心部まで自転車をこぐことが増えて、学力よりも体力がアップしたような気がする。皮肉な話だ。
「逆に家が共働きだったり、兄弟が多かったりすると、どうしても親にかまってもらえる時間が減って、勉強を継続する目的化が弱くなるわよね。
 付属高校の生徒だからといって特別頭がいいわけじゃないの。たまたま、他の家より経済的余裕があって、環境が恵まれているだけなの。そういうちょっとした差が、学校の成績や受験の合否に影響を与えてる。
 でも、そういうのって本人の努力でどうこうできるものでもないでしょ。だから、勉強ができるとかできないとかで、だれかを下に見たりするのは浅はかだと思うし、自分を卑下たりする必要はないのよ」
「つまり、ぼくの家は共働きで親にかまってもらえないから、成績があまり伸びないってことかな」
「将樹の場合は、すこし特殊かしら。英語だけ極端に成績が悪いのは、基礎段階でつまづいて自信を喪失したせいで興味をなくして、負のスパイラルに陥ってると思うの。だって、考えてみなさいよ。アメリカだと子供でも英語を話してるのよ。現代国語は私より優秀なぐらいなのに、おかしいでしょ」
「リスニングはそれなりだけど、発音が苦手でさ」
「解決策はあるわよ。私が毎回ご褒美をあげるの。勉強を頑張ったら、よしよしって、ハグをしてあげて」
「あのなぁ。高校生だぜ? 同い年の」
「ほんとはうれしいくせに。素直じゃないのね」
「うれしいは、うれしいよ。人として、情けなくないか。ますます沙織に頭が上がらなくなりそう」

 そんなことより、ぼくは、一刻も早く帰って、ベッドでぐっすりと眠りたかった。
 帰ったのは3時すぎで、ベッドに入っても寝付けなくて、授業中は半分居眠りをしてた。それでも寝たりなくて、いまも猛烈に眠い。
 あんな話を聞いて、よく寝ろというほうが無理な話だ。
 沙織は、すっきりとしてる。転校してきて一番元気というぐらい、肌も黒髪も艶々だ。
 また機嫌を損ねると怖いので、「悪いけど、今日はすごく眠たい」と、下見まえに伝えてあった。
「睡眠の質は、勉強の効率下げるわよ」
「うん、だな」
 沙織のせいなんだけどなぁ、と思いつつ、そういうところを含めて沙織らしいと思える。
 ぼくは、かなり沙織に洗脳されてきている。もしくは毒されている。
 どちらにせよ、沙織と仲直りできたことが素直にうれしい。
「ママがいなかったら、私の部屋でゆっくり休ませてあげるのに」
「気持ちはうれしいけど、そんなことされたら、よけいに寝れなくなりそうだ」
「どうして?」
「ぼくも男だから、部屋で二人きりになったら、沙織のことを襲いたくなるかもしれないだろ」
「……将樹ならいいわよ。おとなしく襲われてあげる。そのかわりやさしくしてね。そういう経験ないから」
「なんだよ、おかしな日本語。静かに騒ぐみたいな」
 沙織は、めずらしく前髪を指で触っていた。照れくさそうに顔を赤く染めて。
 ほんと女子は、なに考えてるかわかんねえな、と思った。とくに沙織は。

 別れぎわに、沙織が大事なことを思い出したみたいに振り返って、駆け寄ってきた。
 両手でスクールバッグを提げて、すました顔をしている。
「ハグして」
「いま? 人がたくさんいるよ」
 夕方前の公園には、犬を連れて散歩をしてる人や、ベビーカーを押してる女性、ベンチに座って休んでいる学生もいて、芝生のところでボール遊びをしている子供たちもいた。
「いいから、はやく」
 沙織は、どんどんわがままになってるみたいだ。
 ぼくは、ぎこちない動きで沙織を包み込むように抱きしめた。
 襟のところに顔を寄せて、ぼくの背中に沙織の細い腕が絡みつく。
 不思議と周りの目は気にならなかった。
「将樹がやる気をだしてくれた、ご褒美。1年あれば、きっと追いつける」
「あのさ、ご褒美なら逆じゃないのか」
「いいの、細かいことは。また、将樹の部屋に行っていい? 勉強しに……サツキちゃんと遊ぶ約束したでしょ」
「サツキも喜ぶよ。部屋もしっかり掃除しとく。危ないブツが見つからないように」
 ぼくらは、お互いの耳元に話しかけるように、とても親密にしゃべった。

 ◇ ◇ ◇

 部屋に戻ると、予備校のパンフレットを机の上に置いて、ベッドに横になった。
 考えることが多すぎて、頭の中の整理が追い付かない。
 深夜の公園で、沙織が打ち明けてくれたことを思い返した。
(人はびっくりしすぎると、一周周って反応できなくなるもんだな)
 好きなコに妊娠すると聞かされて、動揺しないヤツはいない。
 沙織は冗談はいうけど、親密さのバロメータみたいなもので、人を傷つけるようなウソは決していわない。
 これまでも、ぼくが夢を見るのを当ててきた。
『それに触れると、いろいろなことがわかるの。正確には、私が知るべき情報を、頭の中にインプットしてくれる。でも、砂浜に書いた文字みたいに夢から覚めるとほとんど忘れてるの。それが私たちに夢を見せている装置』
 以前、沙織がいっていた。
 おそらく、予知夢みたいなのを見ているのだ。それぐらい簡単にできそうだ。
(妊娠するということは、相手がいるはずだ)
 ぼくを、一番悩ませている問題だ。
 父親はだれだ?
 そんなの、わかりきっている。ひとりしかいない。
 学校帰りのフードコートで、小さくかじるようにしてハンバーガーを食べていたときの、沙織の目。あれは、ぼくがどんな人間か観察していたわけだ。やたらぼくに勉強を勧めるのも、そうだ。ようやくすべてが繋がった。
 おかしな夢を見せられて、わざわざ敵陣に乗りこむあたり、沙織の度胸と行動力にはおどろかされる。ほんと尊敬する。
 水晶は導こうとしてるわけだ。
(18年間、妊娠して、18歳で旅立つか……どこに?)
 すくなくともアメリカとかではなさそうだ。飛行機で行ける。
 沙織に選択権があるのは、とても良心的だ。
 嫌なら拒否することができる。スマホのオプション契約のように。
 そのかわり、重くて辛い生理が復活する。リスクリワードの問題だ。
(18+18で、いまは2024年だから、ちょうど2060年……いや、沙織は17歳だから、2061年だ。そのときは沙織もぼくも、54歳になってるのか)
 18歳・18年・18歳と3つ並んでいるのは、たまたまか。18歳は成人年齢だ。自分の意思で、人生を決定できる。子供を産むことも、結婚することもできる。法的にも社会的にも。
 54歳になった沙織を想像しようとして、すぐにあきらめた。
 沙織は、ずっと沙織のままのような気がする。わがままで勝ち気で、たまにすごくやさしい。
(2061年か。車は空を飛んでないだろうな。リニア開通は、いつだったかな。スマホは、もっと薄くなってるかも)
 話を聞いた感じだと、水晶は沙織本人というより、沙織の子供が目的みたいだ。
 子供を守るために、ついでに母親を加護する。病気や事故から守る。ショートメールが届くみたいに夢で知らせる。
 例えば、搭乗予定の飛行機が墜落しそうだ、と教えてくれる。一家に一台あれば、とっても便利な機能だ。
 そのあいだに、お腹の中の子供は、あらゆる情報や知識を吸収する。まるで高性能のAIのように。
 古墳の地下に埋まっている、なにかが関係している。戦時中にヤガミ少尉が見つけて、あわてて埋め戻した。
 なにかはわからないけど、沙織は核兵器よりも、もっとすごい物だといっていた。日本を敗戦の危機から救うような。

 ぼくは、寝返りを打った。
 沙織は、まだ大事なことを隠してるような気がする。
 ぼくに話すつもりがないのか、まだそのタイミングではないのか。沙織の決断を左右する、とても重要な秘密だ。
 それに気づいたのは、公園でハグしていたときだ。朝、忘れ物をしたような違和感が疑問に変わった。
(謎が謎を呼ぶとは、このことだな)
 ぼくは、考えるのをやめた。
 わかったところで、なにかできるわけでもないのが、ひとつ。もうひとつは、深夜からずっと疑問がループしてて、さすがにクタクタになった。
 それに、ぼくは沙織に振り回される、いまの状況にわりと満足している。学校に通って勉強をして、昼休憩にはヤガミ少尉の部屋でふたりで食事をして、放課後になると一緒に帰る。たまにデートして、公園でハグして。月に1回、おかしな夢を見て、報告し合う。
 本当に妊娠するかどうかもわからない。夢がはずれることだってあるかもしれない。
 まだまだ先の未来だ。2061年という数字自体、ピンとこない。
 そうこうしているうちに、天井から暗幕がスルスルと降りるようにして、ぼくは深い眠りについた。

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