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早川沙織からの手紙 #9

沙織2

 フードコートは、学校帰りの学生たちで半分ほど埋まっていた。
 ぼくらの高校の制服はむしろ少数で、H女子高やJ高校、B学園などいろいろな制服がある。
 カップルらしき男女もチラホラいる。

 ぼくと沙織は、窓際のテーブルを確保した。
 店舗からはすこし離れているけど、落ち着けそうな場所だ。
「モスのフィッシュバーガーとアイスティーのセットね」
「もしかして、ぼくがおごるの?」
「安いもんでしょ。胸を当ててあげたんだし」
 沙織は、テーブルに肘をついて、フフっと笑っていた。
 すごい意地悪な顔をしていた。
 ぼくは、(わざとだったのかよ)とブツブツいいながら、モスバーガーのカウンターに並んだ。
 沙織のフィッシュバーガーセットと、自分の照り焼きチキンセットを買って戻った。
「悪いわね。私がおごらせたみたいで」
「早川さんって、ときどきすごく性格悪いよね」
「そうかしら。先生に、とてもいい子だって褒められるのよ」
「付属高校のイメージが変わりそう」
 ぼくは、包み紙を開いてハンバーガーにかぶりついた。
 沙織が、こっちをじーっと見てた。
 大きな瞳でマジマジとぼくを観察するみたいに。
「食べないの?」
「ううん……楠くんって、子供みたいな食べかたをするんだなって思って」
「行儀が悪いってこと?」
「私、男子がガツガツ食べるのって好きよ。なんでも美味しく食べてくれそうだし。見てて気持ちいいわよね」
 沙織は、モソモソとハンバーガーを食べた。
 一口一口、小さくかじるみたいに。
 口もとにソースをつけたりしない。
「やっぱりモスが一番ね。値段がすこし高いけど」
「うん。バーガーキングも悪くないけどね」
「私、モスのフライドポテトが好きなの。ポテトの味がしっかりしてて。まえの高校でも、よく学校帰りにこうして寄り道してたなぁ。中学のときから、5人でずっと仲のいいグループがいたの。休みの日にはイベントやセミナーにいったりして」
 沙織はポテトを指でつまんで頬張る。
 ストローに口をつけて、アイスティーを飲んだ。

「……でね、ここからが本題だけど。いまからいうことは、かなりセンシティブな話だから、まじめに聞いてほしいの」
「センシティブ?」
「私、初潮が中学1年だったの」
 ぼくは、飲んでたコーラを吹き出しかけた。
(いきなり、なんちゅーことをいうんだ)
 と思った。
「だからいったでしょ、センシティブだって」
「っていうか、いきなりそんなことをいわれても」
「まじめな話なの。私がその夢を見るようになったのは、生理がはじまってからなのよ」
 沙織の表情は、いたって真剣だった。
 ぼくをからかったり、困らせようとしているふうではなかった。
 それに沙織はそんなことを冗談でいうような女子ではない。すくなくともぼくが知るかぎりは。
 
「はじめは、なにが起きてるのかわからなかったの。真っ暗な場所で、目がさめて……水の音が聞こえる。まるで私だけ、深い森の中に取り残されたみたいに。とても怖くて、とても寂しい。暗闇の中で、泣いてたすけを呼んでも、だれもたすけてくれないし、返事もないし、時間がすぎるのを待つだけ。それを毎月1回、生理の日に見るの」
「中学1年からずっと?」
 沙織はうなずいた。
 ぼくに、理解をしてほしいと黒い瞳が訴えていた。
「……それと、私、生理がすごく重いの。初日はとくに。男子にはわからないと思うけど、貧血みたいになって、一日中ベッドから起き上がれなくなるぐらい。ママが心配になって、大丈夫? 大丈夫? って。ぜんぜん大丈夫じゃないの。この先、一生こんなつらい目にあうぐらいなら、いっそ死んじゃいたいって思うぐらい。それにあの夢でしょ……はっきりいって、憂鬱を飛び越えてる」
 ぼくは、なぐさめるべきなのか、同情すべきなのか、判断がつかない。
 陰鬱な夢だけでも大変なのに、普通の人よりもかなり重い生理。
 沙織にくらべたら、ぼくなんて屁みたいなもんだ。
「私、いつも夢の中で泣いてた。でもね……人って不思議よね。1年ぐらいしたら、あー、またあの夢かって思うようになったの。真っ暗でさみしいのは変わらないけど、基本的には無害なわけだし」
「ぼくは、起きたらいつも汗でびっしょりだ」
「それは、楠くんが必要以上に恐れているからよ」
「そういってもさ」
「考えてみて。夢の中で銃で撃たれても、ビルから飛び降りても、死ぬことはないでしょ」
「早川さんって、度胸あるよね。転校したり、元カレを返り討ちにしたり」
 あのリアリティはそんなもんじゃない、とぼくは思った。
「楠くんよりベテランっていうだけよ。あとね、【暗い洞窟の夢】っていってるけど、洞窟じゃないの」
 ぼくも、最近になって気づいていたことだ。
 沙織とあの古墳を訪れて以来、なんとなく。肌で感じるという感覚がピッタリかもしれない。
「古墳?」
「証拠があるわけじゃないけど」
「やっぱりそうなのか」
 むしろ、ぼくは怖くなった。
 あの暗闇の恐怖が、現実にあるのだと思うと背筋が寒くなる。それも思ってたより近くに。
 まるで暗闇のほうから、ぼくを追いかけきているようだ。
「早川さんは、ぼくが夢を見てるのを、どうしてわかったの?」
 それはぼくにとって、ずっと疑問だった。
 沙織が、あの夢を見ているというのなら、そうだろう。
 それだけだと、ぼくが同じ夢を見ているとはわからないはずだ。
「それは、明確な理由があるの」
「どんな?」
「……そのまえに説明させてもらっていいかしら」
 沙織は、どこから話すべきなのか考えているみたいだった。
 まるで紙に書かれた迷路の出口を、指でなぞって探すみたいに。
「私の見る夢は、真っ暗じゃないの。いまは、だけど」
「真っ暗じゃない??」
「真っ白な空間なの……壁も天井も床も、どこまでも真っ白。ある日を境に」
(真っ暗から、真っ白な空間??)
 それはそれで、かなりトリッキーだ。
「……私を見下ろすように大きな水晶の柱があるの。白い空間にポツンと。高さ3メートルぐらいで、横幅はこれぐらい」
 沙織は両腕を左右に広げた。
 ブレザーの制服が、かなり体に馴染んでいた。
「全体が青白く輝いていて、内側にサイダーの泡みたいに、見たこともない文字が下から上に流れてる。それに触れると、いろいろなことがわかるの。正確には、私が知るべき情報を、頭の中にインプットしてくれる。でも、砂浜に書いた文字みたいに夢から覚めるとほとんど忘れてるの。それが私たちに夢を見せている装置」
(まるでSF映画に出てくる、モノリスみたいだ)とぼくは思った。
 沙織がいってることが、事実なら。
 ふと、夢に事実ってあるのだろうかと、関係ないことを考えた。
 夢と事実は対局にある物のような気がする。
「それが古墳の地下にあるの?」
「にわかには、信じられないわよね」
「早川さんのことを疑うわけじゃないけど、話が飛躍しすぎてて」
「私も楠くんの立場なら、同じふうに思ってたはずだから。自分でいってて、あぶない宗教の勧誘みたいだし」
「ごめん……」
「安心して。簡単に証明できると思う」
 ぼくは、沙織の顔を見た。
 沙織は、瞳を輝かせて悪戯っぽい顔をしていた。

「続きが聞きたかったら、銀だこのたこ焼き買ってきて」
 ぼくは顔をしかめて、「有料なの?」と聞いた。
「こんな美人と話せるなんて、お得でしょ」
 ぼくは「そういうこと、自分でいうなよな」と文句をいいながら席を立った。

 ぼくは銀だこでたこ焼きと、唐揚げ専門店のからあげを買ってきた。
「わあ。美味しそう。私、一生、楠くんにたかって生きて行こうかしら」
 沙織は、熱々のたこ焼きをハフハフいいながら口にした。
「いいわよ。半分あげる」
「どういたしまして」
 ぼくは、銀だこを箸で摘まんで食べた。
 外はカリッとして、中はジュワ―としてて、とても美味しい。
「なんか、普通にデートしてるみたいだ」とぼくはぼやいた。
「デートじゃないの?」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
「なに、そのへんな言い回し」
「早川さん。歯に青のりがついてる」
「やだ」
 ぼくの小さな仕返しだ。
 たこ焼きを食べ終わったあと、ぼくらは一つずつ唐揚げを食べ始めた。

「ねえ、楠くんの妹さんって、何歳なの?」
「小学校5年生だから11歳だよ……小田桐さんに聞いたの?」
 ぼくは、小田桐ヒナに妹のことを話したことがあったかな、と考えた。
 ヨシオは知ってるけど、早川さんがヨシオに聞くとは思えないし。
「5年生か……悔しいなぁ。さっき、”ある日を境に”夢が変わったって話したでしょ」
 ぼくは、黙ってうなずいた。
「ある日っていうのは、去年のお宮さんの日なの」
 お宮さんっていうのは、9月の半ばにある秋祭りのことだ。
 地元で一番大きな祭りで、夕方には中央通りが歩行者天国になって、親子連れや市内中の若者が大挙して押し寄せる。
 通りには露店や屋台がぎっしりと並んで、とにかく歩くのも大変なぐらいの大賑わいで、こんなに人がいたのかっておどろく。
 ときどき特攻服をきた暴走族が乱入してきて、取り締まる機動隊と衝突する騒ぎが起きることもある。
 通りの奥にある神社には、恋愛成就のご利益があり、女の子は色あざやな浴衣を着て参拝するのが習わしで、それを目当てにナンパしにくる男たちがたくさんいる。

 沙織は、セミロングの髪を両手を使って頭の上にかきあげて、まとめる仕草をした。
 髪に隠れていた、形のいい耳や、シャープなあごのラインが見えた。
 その格好のまま、ぼくのことをじーっと見ている。なにか思い出さない? というように。
 ぼくは、口の中に残っていた唐揚げを塊のまま飲み込んだ。
「もしかして……お団子頭にしてた?」
「やっと、思い出してくれた」
 沙織はふふっと笑っていた。
「だって……ウソだろ」
 ぼくは、もごもごといって、うまく言葉が出なかった。

 去年のお宮さんに、ぼくは、ヨシオのナンパに付き合いでいってた。ものの見事に空振りだったけど。
 途中ではぐれてしまい、まあ、そのうち会えるだろと思いつつ、イカ焼きを食べて、ひとりでウロウロしていると、ぼくの目の前で、浴衣姿の女の子が思いっきりコケた。
 履き慣れない下駄のせいなのか、ビタン! て感じで地面に倒れて、まるでマンガみたいだった。
 いままであんな見事にコケた人を見たことがなくて、びっくりしたぐらいだ。
 まるでぼくがコケさせたみたいで気が引けた。
 ぼくは「ケガはない?」といって、手を貸して起こしてあげた。
 アサガオの浴衣を着て、お団子頭を紫のリボンで結んだ、一度見たら忘れられないような美人だった。
「手にソースが……」
「ごめん。さっきイカ焼き食べたんだ」
「……」
 ぼくは、浴衣についた泥を手で払ってあげて「ぼくの妹も、浴衣を着せてもらってはしゃいで転んでたな」みたいな感じで軽く笑った。
 べつにバカにするつもりじゃなくて、フォローするつもりでだ。
 そのコは、ぼくのことを不機嫌そうにキッとにらんでいた。
 というか、たぶん怒ってた。
「ありがとう」もいわずに、下駄を鳴らして人ごみに消えてった。

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