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早川沙織からの手紙 #19

ぼくは、それを一番おそれている3

 日が変われば、沙織の機嫌が直ると思ったのは、ぼくの甘い考えだった。
 あれから三日すぎたが、沙織は口を聞いてくれないどころか、廊下ですれ違っても目も合わせてくれない。小田桐ヒナの仲裁も不発に終わった。
 何度か3組の教室にいって、「そろそろ機嫌を直してくれよ」と話しかけてみたものの、まるでぼくの声が聞こえないみたいに、机に頬杖をついて、窓の外を死んだ目で眺めてた。
 沙織は、話しかけないでオーラを出す達人だ。
 昼休憩には、ひとりでヤガミ少尉の部屋にいって、沙織のかわりに窓を開けて部屋の空気を入れ替え、購買部で買ってきた総菜パンを食べていた。無人の肘掛け付きの椅子を眺めながら、だれも訪ねてくることのない部屋で留守番をしているようなわびしさを噛み締めていた。
 
 残された手は、ぼくが付属高校まで出向いて、校門でコウヘイかナオミが下校するのを捕まえて、あいだに入ってもらうことだ。
(でもなぁ、恋人でもないのに、説明するのもめんどくさいぞ。ウソにウソを重ねるし)
 考えてみたらおかしな話だ。ぼくと沙織は付き合っているわけでもない。部屋に遊びにきてかなりいい雰囲気にはなったけど、いわば偽装カップルのようなものだ。
 ぼくと沙織のいざこざに、ふたりを巻き込むのはフェアじゃない気がした。ミエっぱりな沙織の性格を考えると、万が一に裏目に出た場合がおそろしい。
 あまり優秀ではない脳みそをフル回転しているうちに、以前、似たようなことがあり、沙織が英語の教科書を借りに来たのを思い出した。フードコートで紹介されて、4人で映画を見た翌日のことだ。あれの逆をすれば、許してもらえるかもしれない。
 ぼくは、昼休憩の終わりかけに3組の教室へ乗り込むと、「英語の教科書を忘れたので貸してくれ」と強気に交渉した。
 沙織は、机に肘を着いて、あからさまに嫌そうな顔をしていた。
 ぼくは、周りの生徒の視線を感じていた。これが和気あいあいとした雰囲気ならマシだが、険悪なもんだから居心地が非常に悪い。
 いつまでも、ぼくが横に突っ立ったままなので、しぶしぶといった感じで英語の教科書を取り出した。
 ぼくは、それを持って3組の教室を退散した。

 ここまでは予定通り。このあとが問題だ。
 授業そっちのけで、なにを書くか悩んだ。
 沙織のように英語でスマートに書くのは無理だ。ぼくの英語力だと日が暮れる。
 謝るのは当然として、全面的に謝りまくるのも情けない気がした。ぼくにだって多少のプライドがある。
 ようするにバランスが難しいのだ。なにかいいアイディアはないかと考えて、楽曲の歌詞から引用するのがいいかもと思いついたが、気取ってるみたいで逆に寒い。すくなくとも、ぼくのキャラではない。
 額に手を当てて唸っているうちに、残り時間が短くなり、ダサくてもいいので自分の気持ちに正直に書くことにした。

《海の底より深く反省してる
 もし許してもらえるなら、また一緒に音楽が聴きたい
 いつもの場所で待ってる》

 読み返してみて、消しゴムで消したくなった。中学生みたいな文章だ。
(ぼくに、作詞の才能があると、よかったのになぁ)
 と思った。
 海の底より、という部分がとくに恥ずかしいので、そこだけ消しゴムで削っておいた。
 ページの端を折って、休憩時間に3組の教室に持って行った。
 沙織の姿はなかった。トイレに行ったのか、ぼくと顔を合わせるのも嫌だったのか、とにかく机の上に置いて出た。これでダメならお手上げだ。
 あとは沙織が、ぼくの投げたボールを受け取ってくれるか打ち返すかだ。

 放課後、ぼくはヤガミ少尉の部屋で、沙織が来るのをひたすら待っていた。
 窓の外からは、運動部の練習をする声が聞こえていた。吹奏楽部が鳴らす楽器や、演劇部の発声練習なんかも。学校がにぎやかになる。
 サッカーグラウンドでは、サッカー部がミニゲームをしていた。シュートが決まると気持ちいいけど、せっかく攻めあがってもパスが来ずにボールが奪われて自陣に戻ると、疲れるよなぁ、とか考えていた。
(うちの学校に女子サッカー部ってないよな。ソフトボール部はあるのに)
 そんなことを考えているうちに日が傾き始め、グラウンドからサッカー部の部員たちの姿が消え、閉館時間になった。
 部屋のドアが開くことはなかった。スマホを確認したけど、連絡は届いてなかった。
 ぼくは、たいして荷物の入っていないスクールバッグを背中に提げて、あきらめて帰ることにした。
 沙織は、ぼくが投げたボールを知らんぷりで後逸したわけだ。不毛、という二文字が頭の中に浮かんだ。

 その日の夜中に、自分の部屋のベッドに寝転がって思い返しているうちに、だんだん腹が立ってきた。
(悪かったのは、ぼくだけど、そんなに怒るようなことか?)
 と思った。
 あまりにおとなげない。ぼくと沙織の関係は、その程度だったのかと思うと、もうどうでもいいやって思えた。
 こうなったら、ぼくも徹底抗戦だ。あっちが話しかけてきても、無視してやろうと思った。
 9月か10月か、来年か。とにかく関係の修復は、とうぶん無理だとあきらめた。

◇ ◇ ◇

 夢のほとりで、着信音が鳴っているような気がした。
 半分閉じた目でスマホを見る。沙織だ。
 あわてて画面をタップした。
「もしもし、沙織」
 返事はない。電話の向こうに沙織がいるのが気配でわかった。
 眠たい目をこすりながらスマホを耳に当てて、ベッドにあぐらをかいて座る。壁にかけてあるセイコーの電波時計は、もうすぐ1時だった。
「このあいだは、ごめん。沙織に酷いことをいって」
 とりあえず謝った。このチャンスを逃すと、つぎはいつ電話が繋がるかもわからない。
 沙織が電話をかけてきたということは、仲直りをする意思があるということだ。
「……どうして、電話くれないの」
 ボソボソとした声で、元気がない。怒りすぎて疲れた感じだ。
 沙織の声を、1ヵ月ぶりぐらいに聞いた気がした。
「何回もかけた。着信拒否されてたみたいだから」
「してないわよ。スマホの電源を切ってただけ」
(同じようなもんだろ)
 と思ったけど、またややこしくなりそうなので、黙っておいた。
「ごめん」
「人の教科書にラクガキしないでくれる、勝手に。汚い字で」
「放課後、ずっと沙織が来るのを待ってた。あの部屋で」
「私が悪いの?」
「そうじゃなくて、沙織にちゃんと謝りたくて。ほんとごめん。ナオミとコウヘイはなんかいってた? 予備校で会ったんだろ」
「……いますぐ来て」
「来てって、どこだよ」
「外の公園」
「部屋じゃなくて、外にいるのか? いま何時だと思ってるんだ。出歩いたら補導されるだろ」
「……30分以内に来なかったら、声をかけてきた人についてく。悪い大人にホテルに連れていかれて、めちゃくちゃにされるかも」
「あのなー。人をからかうのも、いいかげんにしろよ。どうせ、冗談だろ」
「ウソじゃないわ。私、本気よ!」
 プツリと通話が切れた。
 すぐにかけ直したけど、電源を切ったみたいで繋がらなかった。
「勝手にしろ。知るか」
 スマホを枕に投げつけて、ベッドに倒れた。
(電話してきたかと思ったらこれかよ。どこまで自分勝手なんだ)
 明日、学校であらためて話せばいい。すこしは冷静になって話ができるはずだ。
 目を閉じて寝ようとしたけど、深夜の公園のベンチで座っている沙織が浮かんでイライラした。強く訴えかけるような声がSOS信号のように思えて、いま行かないと大事な物が永遠に失われてしまう気がした。

「いったいなんだよ、あいつ。めんどくせえな」
 結局、ぼくは沙織に振り回される運命かと思った。
 シャツにアディダスのハーフパンツの格好で部屋を出た。階段を駆けおりて、玄関で靴を履いて飛び出し、車庫にある自転車のライトをつけて乗る。
 空気はひんやりとして、星が輝く夜空には、そこだけ切り取ったような半月が輝いていた。
 家の前の道路をセブンイレブンのほうに行き、下り坂を利用して加速してスーパーの角を体を傾けるようにしてブレーキをかけずに曲がる。
 この時間だと下手に裏道を通るより、幹線道路を走ったほうが早い。
 県北と市内を結ぶ県道へ出ると、側溝の砂にタイヤが滑らないように注意して、立ちこぎで車道を走った。
 深夜で道はかなりすいていて、真横を車がビュンビュンと走り抜ける。大きなトラックにクラクションを鳴らされたけどおかまいなしで飛ばした。
 赤信号を連続で無視して、左手に灯りの消えたモールを見ながら、山城通りの交差点を直角に右折する。とにかく最短距離を選んだ。
 線路をショートカットする地下道を猛スピードでくぐって、県民球場近くの脇道を通って、市内にポツンとあるお皿山を貫通するトンネルを抜けた。トンネルの中はオレンジ色に照らされていて、気持ちいいぐらい車が走ってなかった。
 駅の近くから流れる支流にかかる橋を息を切らして渡って、観光客の姿が消えた公園通りへと出る。そのまま西に直進して、斜めに交差する駅前通りに左折する。ペダルがアスファルトに接触してガリガリと音を立てていた。
 遠くにタワマンの巨大な姿を見えてくる。残りの直線を無心でペダルをこぐ。パトカーが停まっている警察署のまえをパスして、最後の難関の国道との交差点が青信号になることを祈りながら駆け抜けた。

 街路灯に照らされて、ベンチに座っている沙織を見つけた。深夜で、公園にほかに人影はない。
 地面に自転車を横倒しにして、ぼくは転がるようにして隣に座った。全身で息をする。
 昼なら40分はかかる距離を、15分で走破した。
「すごい。新記録」
 沙織は、ぼくがあげた水色のパーカーを羽織って、赤のバスケットパンツを履いてた。
「息が。ちょっと休ませて。気持ち悪くて吐きそう」
「タクシーで来ればよかったのに」
「へっ……そうだな。ぜんぜん気づかなかった」
「これ」
 沙織が、ポカリスエットのペットボトルを差し出す。
 家を出るまでは文句をいうつもりだったのに、寂しげな沙織の顔を見たら、そういう感情がすべて消えてた。
 自分の単純さが笑えた。スポーツドリンクを用意してたってことは、ぼくが来るのがわかってたってことだ。
 キャップを開けて、一気に飲み干した。ずっと握っていたせいか、すこしぬるくなっていた。
「私、わがままでしょ。試したの、将樹が来てくれるかどうか」
 背中を丸めて、肘を着いた両手にあごを乗せるようにまっすぐに前を見て、感情の起伏がない声でしゃべる。
「沙織が右といったら、右だっていうのが、ぼくの役目だろ。呼ばれたら、何時でも駆けつけるよ。でも、つぎからは余裕をもって教えてもらえるとたすかる。車にひかれて、死んじゃうかもしれないだろ」
「それは困る……私のわがままを聞いてくれる人がいなくなるから」
「そっか……そうだよな。沙織のわがままを聞くのは、ぼくぐらいしかいないか、ハハ」
「本当は、一週間ぐらい無視するつもりだったの、将樹を懲らしめるために。でも、三日が限界……おかしいわよね、これぐらいなんてことなかったのに。将樹がいないと胸が苦しくなる」
「あのさ、今日、予備校の下見行くのダメかな、一緒に。夏休み、通ってみようと思う。沙織と同じコースは無理だけど」
「本人のやる気がないのに通っても意味ないわよ」
「……うん」
「将樹は、なにもわかってない。私が怒ったのは、約束をすっぽかされたせいじゃない……一番、腹が立ったのは、やるまえから自分はダメだって決めつけてあきらめてたこと。いいじゃない、受験に落ちても。目標に向けて努力して、ダメでも私が褒めてあげるわよ。失敗を笑う人がいたら、その人たちこそバカなのよ」
「ごめん」
 今日は、謝ってばかりだ。
 沙織が怒っていた理由が、ぼくの心の弱さだと知ってしんみりした。
 あーだこーだ考えて、腹を立ててた自分がめちゃくちゃかっこ悪い。
「最近、様子がへんだぞ。急にやさしくなったり、怒ったり。ほかに、いいたいことがあるんじゃないのか、ぼくに」
「……将樹のくせに、生意気」
「くせにって、おまえ」
 街路灯の灯りの下で、目だけ強気にぼくをにらんで、祈るようにした手が小刻みに震えていた。顔色が青ざめて見える。
「大丈夫か、沙織」
 熱でもあるのかと思って、沙織のおでこに手を当ててみた。いたって平熱だ。
 なにかに怯えている。
 ぼくは、温めるように沙織の肩を抱いた。
 沙織は、ぼくの頬に頭を当てるようにして、しがみついてきた。
 そのまま、ぼくらはベンチで抱き合っていた。お互いの温もりや不安を分け合うようにして。
「私、18歳で妊娠するの」
「……夢で、水晶にいわれたのか?」
 そろそろ夢を見る頃合いだ。最近は、沙織のことで頭が一杯で、すっかり忘れていた。
「普通の妊娠じゃない。18年間、受精卵のまま身ごもる。見た目には、わからないの。そのあいだ、お腹の中であらゆる知識や情報を吸収して、私は病気や災厄から守られる。なにかが起きそうになると、水晶が危険を知らせてくれる。まるでショートメールが届くみたいに。そういう不思議な力が水晶にはある。同時に、私は重苦しい生理から完全に解放される。生まれた子供は成長して、18歳になると仲間を引き連れて旅立つ」
「旅立つって、どこに?」
「わからない。とても遠くに。私が知る必要がないのか、水晶も知らないか。期限までに、選択するようにいってる」
「妊娠するかどうかを? 拒むとペナルティがあるのか?」
「なにも……すべてが正常にもどる。水晶はふたたび長い眠りについて、夢を見なくなる。私は加護を失い、辛い生理を一生我慢しなければならない。卒業アルバムの写真のように記憶の一部になり、夢が夢になる。ただそれだけ……私、頭がおかしいのかな」
 つぶやくような声が、ぼくの胸に直接響く。
 ぼくにも話せずに、ずっとひとりで抱え込んでいた。はじめて、沙織の心が聞けたような気がした。
「沙織は悪くないよ、どこも……わけのわからない夢を見せられて、いろいろな重荷を背負わされてるだけだ。それで、すこし疲れてるんだよ」
「ほんとに、そう思う?」
「うん……沙織は悪くない。むしろ、よく頑張ってる。これからは、沙織の重荷をぼくが半分背負う。だからさ、怒ったりわがままいったり、もっとぼくに甘えていいよ」
「よかった。私、将樹にそういってほしかったの」
 震えが収まり、沙織は落ち着いたみたいだった。
「ねえ、私がしたことを許してくれる? イライラして、将樹を無視したこと」
「許すも許さないも、ぼくに怒る権利はないよ。そりゃあ、ちょっとはムカついたり、寂しかったりしたけどさ。全部、理由があって、ぼくのことを思ってだろ。ぼくは、沙織を尊敬してる」
 ぼくが「時間も遅いし、部屋に戻ったほうがいいよ。見つかるとヤバいだろ」といっても、沙織はしがみついたまま、額を擦りつけるように頭を振って離れようとしなかった。
 ぼくも、それ以上なにもいわなかった。たぶん、言葉が見つけらなかったんだと思う。
 深夜の公園で沙織を抱きしめて、灯りの消えたタワマンを見上げるようにして眺めていた。

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