見出し画像

早川沙織からの手紙 #7

古墳4

 1986年の学校新聞に、ヤガミ老人の写真はなかった。
 沙織の話によると、生前の写真は、地元の新聞や企業の広報誌にも残っていないらしい。
 生徒の質問に答える形で、本人が生い立ちについて語っていた。
 1910年に青森県の弘前地方の小作農家の次男として生まれた。
 青森県と聞いて、ぼくが思い浮かべるのは、リンゴと兜の角みたいにとがった形だ。

 おとなしい性格で、ほかの子供と外で遊ぶより、創刊されてまもない『少年倶楽部』という子供雑誌を手に入れて繰り返し読んでいた。当たり前だが、この時代にテレビやゲーム、スマホはない。
 幸運なことに、小学校の数少ない友達(たまたま席が隣になった)に裕福な家庭の娘がいて、ヤガミ少年が読書好きなのを知って、自分が読み終わった本をタダで譲ってくれていたのだ。
 農作業の手伝いがない日には、呉服商を営んでいたその子の家に上がらせてもらい、当時めずらしかった昆虫や動物の図鑑を飽きることなく眺めていたらしい。
 父親もたびたび家に来ては、本を読みふける娘の友人をいたく気に入ったそうで、中学を卒業後に援助を受けて、東京市の本郷にあった第一高等学校、いわゆる旧制一高に進学。晴れて図書室で読書付けの日々を送る。
 この頃、視力が急激に悪くなって眼鏡をかけるようになる。
 真面目な性格で、学習意欲が高かったため成績は順調に伸びて、帝国大学の農学部に入学する。
「この時代、農家の子供が中学に通うのも大変だったはずよ。貴重な働き手だし、兄弟も多いはずだから、みんながみんな学校に行けないだろうし」
 と沙織は説明した。

 大学では農芸化学科で農薬や肥料について熱心に学ぶかたわら、考古学の講義に潜り込んで独自に勉強していたそうだ。
「農学部はわかるよ。どうして考古学なんだろ」
「青森には、有名な縄文時代の遺跡があるでしょ。名前は忘れたけど。校外学習で訪れて興味をもったのね」
「親に飛行場に連れていってもらって、パイロットにあこがれるみたいなもんか」
 1920年代には、大衆娯楽としてトーキー映画が流行しだした時期で、ヤガミ青年も足しげく映画鑑賞に出かけていた。
 大学では友人にも恵まれ、もっとも充実していた時期かもしれない。呉服商の娘とも頻繁に手紙のやりとりをして、年に一度、帰郷したさいには、援助をしてくれている父親に挨拶をして、かならず会っていた。
 出会った頃は幼かったふたりも若者となり、ごく自然と将来を約束する仲になっていた。
 もしかすると父親は、はじめからそのつもりで援助していたのかもしれない。ヤガミ少年の将来性を見込んで。実際、日本有数の大企業を創業するわけだから、見る目は正しかったわけだ。

 卒業後は、青森にもどって農業指導員になるつもりだったが、昭和初期の若者の多くがそうだったように、ヤガミ青年も時代の渦に巻き込まれる。
 すでに関東軍は中国大陸に進出していた。
 大学2年のときに、ぼくらが歴史の授業でも習う満州事変が起きる。
 翌年に、日本の傀儡国家となる満州国を建国。
 最前線で防衛を担う関東軍は、南下してきたソビエト軍と中国東北部でにらみ合うことになる。
 軍国主義の波に乗って、ヤガミ青年は学位を習得後、日本陸軍に入隊。初級将校として、東京の市ヶ谷台にあった士官学校で訓練を受ける。
 当時の帝国大学では、学生団体でも、愛国教育が盛んにおこなわれていたので当然の流れともいえる。
 東北出身に多い、忍耐強い性格と頑丈な体が軍隊むきだったこともあり、薬学の専門知識を買われて少尉に任官。軍人としても優秀だったわけだ。ほどなく満州に出征する。
 盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発した年だ。
 現地では、主に少人数の部隊を率いて偵察任務を行っていたと書いてあった。
 本人も満州でのことは、あまり思い出したくないのか言葉少なだ。
「どんな気持ちだったのかしら。自分の意思で戦場に行くのって」
「さあ。想像つかないな」
 読んでるだけで重たい気持ちになってくる。
(どこまでも草原が広がっていて、すごく寒い場所なんだろうな)
 ぼくには想像がつかない世界の話だ。
 とにかくヤガミ少尉の人生は、戦争を起点に大きく変わったのはたしかだ。
「ふたりは幼馴染ってことね。ヤガミ少尉の婚約者は、きっと聡明で美人だったはずよ」
「へー、なんで?」
「呉服商は、いまでいうブランドショップみたいなものでしょ。繁盛してたってことは、評判になってたことだし。みんな、美しい女性のいる店で、着物を買いたいと思うもの」
「いわれてみればそうかも」
 ぼくも、理にかなってる気がした。
 呉服商の娘は、専属モデルみたいなもんだ。
 みんながみんな、というわけではないけど。
「個人的なことまで話すって意外だな」
 ぼくの中でのヤガミ少尉は、写真で見たまんまの朴訥としたイメージと、沙織が話してくれた徹底した秘密主義の堅物だった。
 そういう人物が、過去のプライベートな部分まで深く話すのは意外だ。
(まるで自分の死期がわかってたみたいだ)
 と、なんとなく思った。
 ヤガミ少尉にとって、幼馴染の女性は特別な人だったのだろう。
 小学校で出会って、本を譲ってくれたり、いろいろとふたりで話したりしただろう。だれも知らない秘密の場所で、肩を寄せ合っていたかもしれない。そういう時間の積み重ねが強く結びつけていたにちがいない。ひっそりとした小さな庭で、二輪の花が寄り添って成長するように。
 だが、ふたりが結ばれることはなかった。永遠に。
 出征で結婚が延期になった2年後の1939年に、幼馴染の女性は29歳の若さで結核で亡くなってしまった。
 そのことを、ヤガミ少尉は戦地に届いた手紙で知った。
「戦時中、結核は不治の病だったの」
「そっか……」
 記事には、ヤガミ少尉がどんな気持ちだったのかは書かれていない。
 ヤガミ老人が語った事実のみが淡々と書いてある。
「ヤガミ少尉は、生涯独身を貫いたのね。自分なりに責任を感じていたのかしら」
「へー」
「とてもステキね」
「ステキなのか」
「楠くんなら、どうする? もし最愛の恋人が急にいなくなったら」
「どうっていわれても」
 ピンと来ないってのが正直な気持ちだった。
 ぼくは、人をそこまで好きになった経験がなかったし、どちらかといえばやっかいごとを避けるタイプで、ドラマやマンガで見たり聞いたりするぐらいだ。
(戦争にいってるあいだに、好きな人がこの世からいなくなるのってどんな気持ちなんだろ)
 そういうことは、あの時代にはたくさんあったはずだ。
 考えただけでも、やるせない気持ちになる。
「すぐに新しい恋人を作るの?」
「うーん……わかんないよ」
「ヤガミ少尉は、恋人の写真を持っていたんじゃないかしら。戦地でも肌身離さず。死んだときには、棺の中に入れて」
「早川さんは、ロマンチストだね」
「楠くんはちがうの?」
「ぼくは……いまはスマホがあるだろ」
 こういうのって、男と女でちがうと思う。
 案外、男が引きずって、女はさっぱり忘れそうな気がする。
 とくに沙織は、泣くだけ泣いて新しい恋人を探してそうだ。

 失意のヤガミ少尉は、その後も満州での任務を続けて、1942年に日本へ帰還する。
 前年の12月には日本がハワイの真珠湾を奇襲攻撃して、太平洋戦争が開戦している。
 上官の命令で、F市(この場所)にあった駐屯地への配置転換(転補というらしい)を言い渡される。
 前線に送るよりも、専門知識を活かして後方任務に就かせるのが適任だという上層部の判断があったみたいだ。
 もちろんそこには、考古学の知見が含まれている。軍隊内で、そういう人材は貴重だったはずだ。
 表むきは、中国大陸や南方戦線へ派遣される新兵の訓練と教育という名目で。
 陸軍がどういった理由で、あの古墳に目をつけたのかは書いてない。たまたま古い文献かなにかを見た、オカルト好きな将官か参謀がいて、とりあえず調査してみるか程度の思い付きだったのか。はたまた、怪しい占いとか風水に従っただけかも。ウソみたいな話だが、戦前の軍隊内にも現代の陰謀論みたいな超自然的な話が溢れていた。有名なのは、ぼくも聞いたことのある神風だ。
 もしかすると上官に、ヤガミ少尉を理解している人物がいたのかもしれない。帝国大学出身なので、陸軍内部に出身派閥みたいなものがあったはずだ。
 ぼくらは少尉と呼んでいるが、キャリアからいって少佐に昇進しててもおかしくない。もしくは恋人の死が影響して昇進を固辞していたか。ヤガミ少尉が階級に興味がなかったのか、そういう話は一切出てきていなかった。とにかく駐屯地では、主任として現場の指揮を執っていた。
 沙織が期待していたような、古墳に関する記述はなかった。実際のところ、軍上層部にどんな命令を受けていたのかわからない。こっそり毒ガス兵器を作っていたかもしれない。戦争が終わって何十年たったからといって、責任感の強い(ぼくはそう思っている)ヤガミ少尉が、任務を学校新聞に話すわけがない。

 あとは、ほぼ沙織が話していた通りだ。
 ちがうのは、ヤガミ少尉が独断で駐屯地を引き払っていたことだ。それもかなり強引に。
 これは軍に対する重大な背信行為だ。
 憲兵に逮捕、拘留され、軍法会議にかけられることになった。
 軍法会議では、厳しい処罰を受ける可能性が高かった。
 しかし、ヤガミ少尉は、見事に賭けに勝利した。
 8月の敗戦で、日本全体がそれどころではなくなったのだ。
 むしろ進駐軍による接収を防いだことで、地元でのヤガミ少尉の評価は上がったみたいだ。
 GHQの命令によって日本軍は解体。拘留を解かれて、晴れて自由の身になった。
 ヤガミ少尉を慕って残っていた大勢の部下を養うため、F市で農薬を取り扱うメーカーを創業。
 肥料製造や栄養ドリンク、製剤開発など、事業を拡大して、一代で巨大企業に育て上げた。
 学校新聞によると、帰還兵や傷痍軍人を積極的に雇用して、彼らの生活を支えたみたいだ。
 このあいだに、空き地のまま放置されていた土地を買収して、ぼくらの高校を創立した。
 65歳になったときに社長職を姉の息子に譲っている。

「これだけ?」
 沙織は不満そうに、ぼくを見た。
「みたい」
「古墳について、ひとことも書いてないじゃない」
「ぼくにいわれても困る」
「この先、どうやって調べろっていうのよ」
「思ったんだけどさ。ヤガミ少尉は、どうして古墳を埋め戻したんだろ。上層部の命令に逆らってまで。戦争に勝つために軍隊に入ったんだろ」
「……たぶん、戦争に勝つよりも大切な物を見つけたのね」
「古墳の調査をして?」
「ヤガミ少尉は、それを守るために、ひとりで戦ったのよ。文字通り、命をかけて」
 沙織は、含みのあるいいかただった。
 ぼくは、戦争に勝つよりも大切な物ってなんだろう、と考えた。

<<前へ 7-古墳4 次へ>>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?