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お墓参り(31)

 猛暑、まさに猛る暑さである。我が国東京都練馬区は、連日36°以上を叩き出す、誠に夏に忠実で優秀な成績である。こんな時は家を出るべからずであり、エアコンの効いた部屋の中でお気に入りのゲームでもやりながら、 レデイボーデンのファミリーサイズをパクついているのが一番である。しかし、現実はそうはならないものだ。何かしら用事もあるし仕事だってある。何よりこの時期はお盆だ、お墓参りにも行かなきゃいけない。一日中家で ゆっくり横寝になって放屁をし、冷たいそうめんをツルリと啜るだけの毎日を気兼ねなくおくるためには、まずやるべきことをしっかりやらなきゃいけないのだ。とはいえこんな暑い最中お墓参りなど行った日には、熱中症になってしまう。まして筆者は北国出身であり暑さにすこぶる弱いのである。 日なかお墓参りに出掛けるなんてもってのほか、オラフがチゲ鍋の中に飛び込むが如き愚行である。しかし、お墓参りは最重要事項である。もうお亡くなりとはいえ、お世話になった人に出来る孝行の一つであり、自らをゆっくり省みる良い機会にもなる。考えに考えた末に導き出した結論は、一人サマータイムの導入である。朝早くに出かければ暑くなる前に家に帰れるのではないかということだ。ナイスアイデーアである。その考えに行き着いた時、自分はガリレオ・ガリレイの生まれ変わりではないかとすら思えたくらいである。そうなのだ、今日の題目はガリレオ・ガリレイである。嘘だ。この流れで題目がガリレオ・ガリレイだと最高なのだが、筆者はガリレオ・ガリレイについてあまり知らないし、さほど興味も持っていないので難しい。素直にお墓参りとしておこう。

お墓参り。子供の頃は何のためにしているのか理解が出来なかったものだ。故郷北海道でのお墓参りは、我が家の場合外にお墓がなく屋内であったと 記憶している。屋内に仏壇がコインロッカーのように並んでいて、その一つ一つが参るお墓となっている。故人の名前の書かれた仏壇を開けると、中に御位牌のようなものがあったように思う。そこへお供物の落雁をあげて、手を合わせるのだ、確か。北海道は雪があるから屋内のお墓参りだというのは、多分あるあるのはずである。間違えていたら是非ご指摘を願いたいところだ。

それに比べて関東のお墓参りは屋外がほとんどである。お墓の上から水をかけたり、もしくはかけずにスポンジや雑巾で洗ったり拭いたりする。灼熱の日差しに熱せられた墓石に水をかけると、湯気を出しながら蒸発し、涼し気な空気がお墓の周りを覆うっていく。一通り綺麗に掃除をした後でお花を供えて(当たり前だが故郷もお花くらいは供えてたかな)お酒や何か故人の好きなものを供えたりして、お線香を焚いて手を合わせる。漫画やアニメ、ドラマや映画で見たシーンそのままだ。

手を合わせて何を考えているのか。それは人それぞれであろう。なかにはお墓に話しかける人もいるだろうが、それは自由である。”私のお墓の前で泣かないでください”とあるが、別に泣いても良いのである。そこに誰もいないのは知っているが、いると思うことで色んな事が出来るのだ。梅干しを口に入れたら酸っぱいだろうと考えるだけで唾液が出てくる、それと一緒なのである。一緒、ではないか。

不思議な文化である。宗教的にしきたりが違うとはいえ、世界で行われている。そこに故人がいるわけでは当然ない。しかし、故人を思い出すのに最も思い出しやすく、故人と最も近い所にいる気がする不思議な行為である。もうお盆も終わり、次のお盆はまた来年、なんだか七夕みたいだが、お墓はいつでもそこにある。織姫と彦星もきっと羨ましがっていることだろう。

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この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com