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痛いの (33)

 「痛いの痛いの飛んでけ〜」

 特に怪我もしていないのだが、この言葉がふと頭に思い浮かんだ。そういえば子供の頃、よく膝を擦りむいていたものだ。幼稚園から小学校低学年までは、おそらく定期的に膝を擦りむいていたのではあるまいか。そしてその度に近くにいる大人がこの呪文を唱えていた気がする。誰が唱えるかによって、”痛いの”の飛び方が違うもので、優しいお姉さんが唱えると、とりわけよく飛んで行ったように思う。それはそうだろう。ガッキーや石原さとみ様方が唱えるのと、ラッシャー板前さんが唱えるのでは、”痛いの”の飛び立ち方に違いが出るのは仕方がないことだ。調べてみるとこの呪文を最初に唱えたのは加藤茶(カトちゃん)様らしいが、語源となるとどうやら定かではないらしい。青森県のわらべ唄にこういう歌詞があるそうで。

『あいにさらさら こがねにさらさら
いだいところは ぴんぽんぱちんと
むかいのおやまさ とんでけー』

どんなメロディかは青森県の方に聴かないとわからないが、きっと昔からある歌詞なのだろう。余談だが呪文の前に”ちちんぷいぷい”とつける場合もある。これも調べてみたところ、その昔なかなか泣きやまない少年家光に春日局が言った「知仁武勇御代の御宝」(ちじんぶゆう ごよのおたから)が語源で、武士としての賢さや仁徳を兼ね備えている徳川家の御宝なのだから泣くのではありませんよというような意味らしい。これが庶民に伝わって、ちちんぷいぷいとなったとのことである。おお、完全に余談だ。ネットで調べたとはいえ、たまにはこういう真面目なウンチクを語るのも、文章を彩る上で良いかもしれない。

 ”痛いの痛いの飛んでけ”は先刻申し上げた通りに、誰が唱えるかで効果が変わる。さらに言うとどんな表情で唱えるかによっても変わるのである。なるべく眉を和らげ口角を上げ、慈しみの表情を浮かべた方が効果が高い。幾らガッキーや石原さとみ様方でも、血管を浮かべ歯茎をむき出しにし、金剛力士像のような表情で絶叫するように唱えたとしたら、どこにも飛びようがないのだ。反対にラッシャー板前さんが年輪を重ねた顔をしわくちゃに、白い歯(ラッシャー板前さんの歯が白いかどうかは確認していませんので、もし多少黄色くても苦情は受け付けません)を見せながら、穏やかな甘い声で唱えるとするなら、”痛いの”は凄まじい勢いで飛んでいくことだろう。つまり、この呪文は言葉自体に効能があるのではなく、相手を思いやった時に効力を発するのである。そして子供の頃にはそんな思いやりの気持ちを、ストレートに受け取る感受性があるのではないだろうか。

 大人になるとなかなか膝を擦りむかないものだ。擦りむいた膝の痛みを何度も経験することによって、擦りむかないように自然と体が動くようになったのかもしれない。そればかりか大人は、躓いても転ばないようにグッと堪えたりする。結果色んなところに無理がたたり、肩こりだったり腰痛だったり頭痛だったり、何処かを痛めてその”痛いの”と付き合いながら毎日を過ごしている。そんな毎日を頑張っていて、その上疲れてるのに最後までこの文章を読んでくれた読者の皆さまに、僭越ながら慈しみの顔で、声で、呪文を唱えさせていただきたい。

『痛いの痛いのとんでけ〜』

因みに痛いの痛いのBomb A Head! というシャレを思い付いたが、m.c.A.Tを知ってる人にしかわからない。

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この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com