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【観劇記録】令和6年9月歌舞伎公演≪歌舞伎名作入門≫/社会人のための文楽鑑賞教室

2024.09.03 @ 新国立劇場 中劇場(歌舞伎)
2024.09.08 @ 新国立劇場 小劇場(文楽)

 歌舞伎と文楽で同じ演目(『夏祭浪花鑑』)を見比べられる、というのに釣られて観劇。新国立劇場という慣れた劇場だったのも大きいかもしれない。国立劇場、演目ジャンルもそうだけど(これは仕方ない)、半蔵門に馴染みがないのもハードルが高い一因な気がする。
 先に言ってしまうと、歌舞伎も文楽も見慣れているわけではないので、見るだけでわりと必死だった。せっかくなのでこの記事は比較をメインに書いてみるが、ド素人の感覚的な感想であることはご容赦いただきたい。

 比較という視点でいうとやはり、「歌舞伎は人間が演じるので入ってきやすい(理解しやすい)」「文楽は人間が生身で演じないからこそできる表現がある」というところだろうか。
 文楽も太夫が演じ分けて語っているはずなのだが、俳優がそれぞれ台詞を喋っている方が圧倒的に頭に入ってきやすい。言葉の節回しとかもあるのだろうが、脱落しにくい&脱落しても戻ってきやすいのは歌舞伎だと感じた。
 花道や客席降りを使えるのも生身の人間が演じるからこそ。特に今回は、舞台が通路と同じ高さにあるという新国立劇場の構造を生かしていて、舞台上の世界がシームレスに飛び出てくるような立体感があった。

 一方で、太夫が人形(登場人物)の台詞だけでなく、小説でいう地の文も語るからこそ、台詞以外の部分でもその場の空気を盛り上げることができる、というのは気づきだった。振れ幅が広い、とでも言えばいいだろうか。
 人間同士ではできない人形の表現も興味深い。片方の足首だけ掴んで引きずるとか、身体を文字通りぶん投げるとか、生身の人間ではさすがに無理だ。この演目ではないが、首を落として首が飛んでいったり、落とされた首がそのまま出てきたりするし……。
 当日無料で配布されていたパンフレットの中に「今でいうとアニメに近い」といったような記述があったが、確かにそれに近いものはあると思う。視覚的な表現についても、振れ幅の振り切った先が突き抜けているような感じがした。

 最後に『夏祭浪花鑑』自体について。やはり長町裏での団七に対する義平次の煽りは笑ってしまう。そして団七もとっさに適当なことでっちあげるし……。夜の路地裏の雰囲気も好きだった。それと、文楽ではこのシーンなかったと思うが(あったらごめん)、喧嘩に出て行った三婦を見送って、その姿を見てでれでれしているおつぎにはほっこりした。

おまけ。中劇場の提灯。国立と新国立のロゴ……!

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