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24. サイケを超えて、あるいはサイケを取り入れて:『ベガーズ・バンケット』と『ロックンロール・サーカス』

前回はストーンズの異色作と言われる『サタニック・マジェスティーズ』を紹介したが、その後、ストーンズは再びシンプルなバンドサウンド、彼らのルーツであるブルースに基づいたロックスタイルへと回帰している。恐らくブライアン・ジョーンズが極度の薬物依存とうつ状態に入り、バンドから距離をおくように(あるいはバンド側から距離をおかれるようになり)他のメンバーたちが「やっぱり俺たちはこっちだろう」と判断したのであろうが、その判断が68年のシングル『ジャンピングジャックフラッシュ』につながる。そしてその方向性を受けて発表されたのが誰もが認める名盤アルバム(迷盤ではなく名盤)『ベガーズ・バンケット』である。

このようにサウンド的にはブルーズロックに回帰したストーンズであるが、しかし、ファッション的には、まだサイケの影響下にあったと言えよう。それが分かるのが68年12月に撮影が行われ、翌年放送されたテレビ特番『ロックンロール・サーカス』である。「サーカス」という舞台も含め、ここでは視覚的にはサイケ色が前面に押し出されている(観客も)カラフルなポンチョにハットというスナフキン的なファッションで統一されている)。しかしここで演奏される曲は『サタニック・マジェスティーズ』からの曲ではなく『ベガーズ・バンケット』からの曲である。もちろん新しいアルバムのプロモーション的な側面があったからではあるが、ここからもサイケからブルーズロックへの回帰という流れが、ストーンズにとっては断絶した上での回帰ではなく連続的なものであったことが確認できよう。

私見ではあるが、恐らくストーンズはサイケというものを自分たちなりに消化(昇華)したのであろう。そしてその消化/昇華する際に使用したのが「悪魔を憐れむ歌」が『ベガーズ・バンケット』の1曲目に来ていることからも分かるように、「サタニック」(悪魔的、悪魔主義的)というイメージである。『ロックンロール・サーカス』の終盤でも、ミックがシャツを脱ぎ上半身裸になるシーンがあるが、そこにボディペイントされているのは悪魔の顔である。サーカスなのにピエロなどではけっしてなく、あくまで悪魔、それがストーンズなりのサイケと言えよう。

なお、この『ロックンロール・サーカス』では、ストーンズ以外のバンドの演奏も見ものである。特にジョン・レノン、エリック・クラプトン、ミッチ・ミッチェル(ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのドラマー)、キース・リチャーズの4人による1夜限りのバンドの演奏は歴史的価値があるものでもある。キースはここではベースを担当している。さらにこのバンドの演奏中にはヨーコが布をすっぽりとかぶって黒い鞄になりきるという謎の?というかこの時代ならではのパフォーマンスをしており(そしてそれについては何の説明もないのもまたいい!)、また2曲目からはバイオリニストのイヴリー・ギトリスという人(今の日本で言うと葉加瀬太郎的な人?)も加わり、さらにジョンが何らかの耳打ちをした後でヨーコがチャントというかシャウトの形でそこに加わるシーンはまさに圧巻である。パフォーマー、ミュージシャンとしてのヨーコの凄さが垣間見られる瞬間であり、観客も「すごいものが見られた」という感じで熱狂していることが確認できる。

一方、というかやはり気になるのはこのライブ全体を通してのブライアン・ジョーンズの存在感の薄さである(事実、このライブがブライアンにとってはストーンズでの最後のライブになったとのこと)。しかし、そのブライアンが目を輝かせて笑顔になるシーンが最後にある。最後の一曲として、バラード調のおとなしい曲をキースのアコギの演奏で観客含めみんなで座って合唱しているのだが、興奮を抑えきれない観客たちが自然発生的に立ち上がって踊り出す(踊るというよりもでたらめに暴れるという感じ)。おそらくこれは演出外だし想定外だったのだろう。ミックは笑いながらも苦笑いを隠し切れないでいるが、ブライアンはこの狂乱と混乱こそが見たかったものだとばかりに目を輝かせて、自分も立ち上がる。この時のブライアンの笑顔は本当にいい笑顔である。この笑顔を目に焼き付けるだけでもこの『ロックンロール・サーカス』は是非一見する価値のあるものである。

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