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小さなバスケ少年がアメリカの大学でコーチになるまでの話

皆さんはつい夢中で周りが見えなくなってしまうような、本当に好きなことはありますか?

今回、取材した武井樹さんは、現在NCAAディビジョン2の大学男子バスケットボール部に所属し、学生コーチとして帯同している傍らで、アメリカの大学院でMBA(経営学修士号)の勉強をしています。

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そんな武井さんは、身長160cmと日本人の中でもかなり小柄。

中学は無名校、高校は強豪になる前の飛龍高校に入学しました。その後は名門の東海大学に進学するも、同期には現在プロで活躍する選手も多く、武井さんはスタメン出場とはなりませんでした。

そう、武井さんは決してバスケ選手としてはエリート街道を歩んできたわけではなかったのです。

そんな武井さんが、今アメリカでバスケコーチと大学院でのビジネスの勉強に挑戦できているのは、常に自分の好きなことを徹底的に続けた結果なのだということを知りました。

「周りから見たら辛そうでも、自分は好きなことをしてるから楽しいんです。」

この言葉はとても印象的でした。

BASKETBALL DINERさん公式YouTubeにて、セントジョセフカレッジ所属の酒井達晶さん(@ta2basketball)と、武井樹さん(@mickytakei)の対談が行われました。今回特別に許可をいただき、その対談の内容と,直接インタビューした内容を掲載させていただきました。

執筆 Hibiki @HbkBasketball

小さなころから自分が好きなことを貫いてきた

タイのバンコクで幼少期を過ごした武井さんは、周囲の影響もあり「英語が話せるようになりたい」と独自に英語を学び、中学生のころには「将来はアメリカで働きたい」と思うようになったそうだ。

アメリカの前にも、武井さんには大きな目標があった。小学生の頃に通った東海大学のクリニックで触れ合った選手に憧れ、東海大学でバスケをしたいと思うようになったのだ。

それらの幼少期の思い出から、「東海大学でバスケをした後にアメリカでコーチ留学をする」とまで明確にイメージするようになったという。

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その後、実際に東海大学に進学。進路を考える大学3年時には、アメリカに行く意思を示した。

しかし、アメリカ留学は決して簡単なことではない。親や周りからは反対されたそうだ。

「みんなからは反対されましたが、留学するなら今しかないと思ったんです。けじめとして部活をやめて、自分で留学費用を稼ぐことにしたんです。

そこまでしてアメリカ留学をしたいわけはいったい何だったのか。

武井さんはただ一言。

アメリカが好きなんです。

英語を話せるようになりたい
将来アメリカで働きたい
バスケを学びたい

いろいろな理由はあったが、その中心にあるものは「好きなことをやりたい」というシンプルな想いだった。

高校進学時にも親の反対を受けながら、自分で選んで他県の飛龍高校に入学した。小学生の時からあこがれ続けた東海大学に進んだ。

そして現在は、小さいころからの夢であったアメリカ留学を叶えている。

武井さんは、常に自分がやりたい・好きだと思ったことにまっすぐに行動し続けている。その結果として、今がある。

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ツテも何もない中「コーチになりたい」と直談判

自分が好きなことをやるという武井さんの性格を象徴する、大きなエピソードがある。アメリカに留学してすぐの事だった。

「大学到着2〜3日後にコーチのオフィスに行って『コーチとしてチームに入りたいです!』と直談判しました。そこで想いを伝え、履歴書なども渡したんです。」

何のツテもなくいきなり飛び込みで訪ねてきた小さな日本人。そう簡単に事が進むはずもなく、メールでの返事は一向にこなかった。

普通の人ならめげてしまいそうだが、武井さんは違った。

「なにか突破口はないかと考えながら、一般の人が使えるジムに通っていると、そこで大学の選手がたまたまピックアップゲームをしていたんです。迷わず声をかけ、一緒にプレーをしました。」

この偶然の出会いが、後々大きな意味を持つことになる。

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偶然の出会いが生み出した、コーチになるまでの道のり

しばらくすると、直談判したコーチから「今は空きがないから無理だ」と返事がきた。

「こればっかりは難しいなと諦め、勉強を頑張って1年で日本に帰ろうと決めました。そんなときに食堂で食事をしていたら、ジムで一緒にプレーした選手に偶然出会い『僕のワークアウトをやってほしい』とお願いされたんです。

たまたまジムで一緒にプレーしたその選手は、武井さんのハンドリング力などを認めていたのだ。何回かその選手とワークアウトをすることになり、ついに一つの兆しを見つけた

その選手が周りに自分のことを広めてくれ、チームにボランティアのスタッフとして入れてもらうことが出来ました。最初こそボランティアだったけど、今は給料をもらえるようになりました。」

武井さんは一時諦めもした。しかし、行動し続けた結果、運や周りを味方につけ、与えられたチャンスをしっかりと掴んだのだった

最初は何も保障などなく、身一つでコーチをしたいという気持ちだけで大学に飛び込んだ武井さん。しかし、諦めず行動し続けることで周りに影響を与え、自分の成し遂げたかったことを達成することができたのだった。

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負けず嫌いの心と父から受け取った言葉

海外で生まれたこともあって「人と違った方がいい」という考え方を持っていた武井さんは、日本で過ごした時期は価値観の違いに苦悩することもあったと言う。

否定された人たちに対して、どうやったら認めさせることができるか。否定された人に、行ってよかったね、やってることすごいね、と言わせたら、誰も自分を止めることはできないと思うんです。」

ひたすらやりつづけることで、否定されたことでも突き抜けることが出来るんだと話す。

「親や周りに反対されても、自分が好きだからこそやり続けるんです。やり続けているとだんだんと周りに認めてくれる人や、助けてくれる人が出てきて、結果を出すことが出来るようになるんだと思います。」

この言葉から、他の人と異なることを恐れるのではなく、武井さんの負けず嫌いな性格や、自分の心に素直で、人としての芯の強さを感じた。

そして、もう一つ武井さんは父親からよく言われる言葉で、好きな言葉があるそうだ。

「父親によく覚悟だといわれるんです。この2文字めちゃくちゃ好きなんです。覚悟があれば何でもできる。覚悟あるなしでは全然違いますね。」

アメリカ留学をすると決めた時も、部活をやめることで覚悟を決めた武井さん。自分がやりたいことをやり続けてきた武井さん。

やりたいことをやるからにはそれに値する、覚悟を持って行動していたのだった。

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現時点と今後の目標

幼少期の頃からの夢を実現している今と、これからについて聞いてみた。

まだまだ達成できたことなんてないです。まだ始まってもないですよ(笑)」と謙虚な口調で話す。

「将来的にはアメリカでやりつつ、日本でも活動していこうと思っています。私自身まだまだ学び途中ですが、自分の経験や考え方をシェアできたらないいなと思っています。」

アメリカの大学で仕事としてコーチをした経験を、日本に還元してくれるというのはとても楽しみだ。

最短の目標としては、NBAのコーチになることです。その先は世界規模でやりたいことがあってそれを目指してます。」

死ぬまでの事を考えているとまで語ってくれた武井さん。

そのため、あえて最短の目標という言葉を使ったのだろう。今のアメリカコーチ留学もまだまだ通過点に過ぎないのだ。今後も好きなことに向かって突き進み、武井さんはどこにたどり着くのだろうか。

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あとがき

武井さんは行動力があると思います。ただし、その行動力というのは自分の気持ちに正直で、他人と異なることを恐れず、覚悟を持って行動しているということを知りました。

私は典型的な日本人で、周りと同じでいたい、異なることに怖さを持っていました。社会人を目の前に、大学を卒業して就職するという道だけだと思い込んでいました。

しかし、ここで一歩立ち止まって自分自身に、本当にやりたいこと、好きなことは何なのか問いただしてみようと思いました。生き方は一つではなく、正解などないと思わせていただきました。

執筆 Hibiki @HbkBasketball

酒井達晶さん
Twitter:@ta2basketball
Instagram:@ta2basketball
YouTube:BASKETBALL DIARYBASKETBALL DINER

武井樹さん
Instagram:@mickytakei
YouTube:Coach Micky/コーチミッキー


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