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人とちょくちょく会って談笑したり、ご飯を食べる。それは義務じゃない、俺がそうしたいからだ。そう思えるところは、あの時と比べて変わったところなんだろう。楽しめるかどうかってだけのことなんだ。
こういう症状が現れないように、せめて休み中は何日かおきに人と会って自分の中の規定値を安定させておく。ここ最近の自分は、何というか、そういう気持ちで友人や後輩に接している気がする。病んでるかなある意味(笑)
今の自分、つまり、人と接するエネルギーがちゃんとあるか?っていう感覚。とてつもなく感覚的な話なんだけど、そのエネルギーが規定値より低い場合、不安と焦りがごちゃ混ぜに押し寄せてきて、冷静でいられない、緊張する、挙動不審になるとかの症状?が現れる。結果普段の自分でいられなくなる。
皆人と会うとき、その相手の特性によって自分もモードを変えて接する必要があると無意識に、あるいは意図的に心得ていると思う。けど、個人的に、どんな人に会うにしてもまず「今の自分で会っていいか」という根本的な疑問が浮かんだりする。
それでもおろおろイライラするならば仕方がない。おろおろイライラすればいい。そうなってしまう性格なのだと後から知れる。マイペースに治していけばいい。心に余裕を持ちたい。総合能力が低い自分でも。あたふたしたくないんだ。
また相手の言動にしても前後関係でおろおろせず、どうしてそんなアクションをとったかと自分なりに憶測する。大抵外れても、まずい応答にはなりにくい。はず。
自分の抱いた感情を抑えず客観的に自覚することでとても冷静でいられる。状況を楽しもうという余裕すらできる。
だって時には優しい人にだって会えるし、そういう精神で臨んだ方がかえって気持ちが安定するものだ
最近は割と優しい心で人に接してると思う。どんなに自分が無能で礼儀のない人間だとしても、つくろってでも相手に朗らかに対応することは大事なことだと感じる。少なくとも、自分がそう振る舞えるうちは。
人と交流するって、当たり前だけど、マニュアル通りにいかないよなー。いくら仲良くするだの方法を知ってても、経験重ねなきゃ意味がない。コミュニケーション力=人と会う経験の数
何故なら、逆に偉そうに相手の欠点を言ったりしたらキレるか、建前でも良好な関係にひびが入るし、秀才が失態をみせようものなら周りから信用を失う。よって、相手も優れた自分でいなければならないし、周りもそんな相手の理想像だけしかイメージしようとしない。ここに、天才と凡才の距離を感じる。
自分より優れた能力の人間に、「やっぱり君は優秀だね~」、と嫉妬とか関係なく誉めたとする。相手は「そんなことないよ~」、と謙虚ぶる。実際のところ、自分にも劣等感だってあるのに、わかった気で褒めるなよ、と内心思ったとしても、誉めた側はそもそもそういう返し方しかできないのだ。