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事業戦略クリエイティブプロデューサー 樫本 祐輝(カッシー)さん - インタビュー #10|turning point

今回お話を伺った方
樫本 祐輝さん:事業戦略クリエイティブプロデューサー

<樫本さんことカッシーさんのターニングポイント>
15歳 パソコンにはじめて触れ、これを自分の武器にしようと決める
18歳 Web業界を目指し大阪の専門学校に入学
24歳 勤めていた会社が倒産、幅を広げるためマーケティング会社に入社
27歳 クリエイター支援を始め、フリーランス・クリエイターギルド「TheCreative 」をつくる


ニシグチ:まず子供の頃の話から聞いていきたいんですけど、カッシーさんて出身は・・?

カッシーさん:岡山県の美咲町というところです。高校卒業まではそこで過ごしました。

ニシグチ:岡山だったんですね。高校は普通科ですか?

カッシーさん:商業高校の情報処理科です。ちょっとさかのぼるんですけど、中学生の時にダンスダンスレボリューションという音ゲーにはまりまして。こんなのを作れたら楽しいなと思ったんです。ちょうど親が高いパソコンを買ってきたのに全然使えてなかったこともあって「これを使えたらすごいもの作れるんちゃう?」と、パソコンができる商業高校にしました。

ニシグチ:それがきっかけなんですね。パソコンに目をつけるのがいいですよね。

カッシーさん:その頃ってまだ皆パソコンを知らなかったので、これを頑張ってやったら強みになるのでは?と思ったんです。それまで得意なことも自信を持てることも何もなくて、進路も決められずに困っていたんですけど。パソコンに出会ってゲームプログラマーになりたいという目標ができました。ここなら自分の居場所が見つけられるという気がして・・。あ、これ1つ目のターニングポイントかもしれませんね。

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ニシグチ:確かに!大事な気づきですね。じゃあ高校では勉強を頑張っていたんですか?

カッシーさん:パソコンの授業は一生懸命やっていました。ただ、学校で習ったプログラミング言語はCOBOLという銀行とかの古いシステムをつくるものだったので、ゲームとはほど遠くて。たまたま本についていた付録がきっかけでHTMLを知り、高3のときにはペンタブで描いた絵と独学のHTMLでWebサイトをつくっていました。それがWebデザイナーとしての第一歩ですね。

ニシグチ:すでにクリエイターっ気があったんですね。

カッシーさん:もともと教室の隅っこで絵を描いたりしていたタイプですし、軽音部の友達のバンドのグッズをつくったりもしていました。性格的に人と喋りたくなくてパソコンばかりしていたので、将来は在宅で働きたいと思うようになりました。そのためにはプロになって30歳くらいまでに独立できたらいいなとざっくり考えたんです。
 
ニシグチ:えっ?高校生でそんな先まで想像していたんですか!?すごい!

カッシーさん:いえいえ、そんな良いものではなく「人と会いたくない。パソコンに関わりたい」それだけですよ(笑)
あと、両親が大企業に勤めていて幸せそうには見えなかったんですよね。だから大手に行っても僕は幸せじゃないかも、と感じていて。それも影響していますね。

ニシグチ:なるほどー。で、思い描いた通りに進んで行ったんですか?

カッシーさん:そうですね。本当はWeb系の会社で働きながら学びたいと思ったんですけど岡山には会社が当時まだ無くて、それならばと大阪に出てきてWebの勉強ができる専門学校に入りました。
その在学中に1つ転機があって、岡山のフリーランスアートディレクターの西田幸司さんという方が海外の大きな賞を受賞したんです。それで「地方にいながらこんなに活躍できるんだ、フリーランスすげー!」と思いました。そしてその方が登壇されるセミナーに行ったら、Web業界最先端の人が集まっていて。衝撃を受けたし「今勉強してることってなんなんだろう?」と。意識が大きく変わりましたね。

ニシグチ:一気に世界が広がった感じですかね

カッシーさん:はい。Web業界のトップクラスを知れたことで勉強する方向性などが変わりました。外部と関わっていかなきゃまずいと気づいたんです。先生たちの言うことを聞いていたら就職はできるかもしれないけど、世の中は知れないと。そこから他校の人と交流したり、作品を見に行ったりして。就職も決まって希望の会社で働いたんですけど、自分のいる会社が業界の中でどのくらいのポジションかがわかってしまい・・。ここで働き続けるのはどうかなと思ったんです。

ニシグチ:いろいろと気づくのが早いですよね。

カッシーさん:もともとフリーランスになりたくて、外部の仕事もやっていたりしたので。入社して半年後には会社を辞めようと決めました。実際に1年で辞めてフリーランスになったんです。

ニシグチ:1年で辞めたってことは21歳くらいですよね。展開が早すぎますよ!

カッシーさん:とりあえずやってみようという感じでした。当時Flash(現Adobe Animate)ができる若いクリエイターが少なかったし、そもそも21歳でフリーランスがいなかったんですよ。だから少しずつ仕事が来て、数人で共同で事務所を借りたり。23歳で結婚もしました。

ニシグチ:また随分と早い・・。

カッシーさん:そうですね。と言うのも、フリーランスになってFlashの世界で仕事をやる中で思わぬ形でゲームプログラマーになるという夢が叶ったんです。当時ガラケーのゲームがFlashで作られていて、普通のプログラマーさんでは対応できず自分に依頼がきたんですね。激安でしたけど(笑)それからゲームの仕事もいくつかやり、ニュースにもなって。20代前半でフリーランスになる夢とゲームプログラマーになる夢が両方叶ったので、次は妻の夢を叶えたいと思って結婚しました。

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ニシグチ:なんかいい話じゃないですか。

カッシーさん:そう言うと聞こえはいいですけど、実際はフリーランスになってから大きな仕事で揉めて、貯金も尽きて実家に帰らなきゃいけないくらい生活が傾いた時期があったんです。その時に妻に金銭的にも支えてもらったので。だから今だに頭が上がらないんですよ(笑)。

ニシグチ:いろいろ・・あったんですね。

カッシーさん:はい(笑)結婚してから将来のことも考えて、管理職経験を得るためにサービスを開発するベンチャー企業に入りました。クリエイティブチームのリーダーとしてディレクター兼マネージャーという感じで働いていました。でも作ったサービスが当たらなかったり、社内の不祥事などもあって倒産したんですよ。7~8ヶ月くらいで。

ニシグチ:え!?

カッシーさん:自分はフリーランス経験もあるからどうにかして食べていけると思っていたけど、部下の人たちは違うじゃないですか。給料も1~2ヶ月分払われていない上に転職活動をしなきゃいけないきつい状態で。部下の独立や転職を支援しているうちに、こういうことは得意かも・・と思ったのが今に繋がっています。
あと、そのころFlashの仕事がスマートフォンの普及に伴い一気に減り、先が見えなくなってきました。だから幅を広げないとまずいと思い、マーケティング会社に入りました。会社の都合でクリエイターが振り回されるのは嫌だ、お金の稼ぎ方を学びたいという気持ちもあったので。

ニシグチ:それは大変・・。これもターニングポイントですよね。全然違う業種の会社はどうでしたか?

カッシーさん:SEOのことや、マーケティングでどう仕事が回るのかを知れて勉強になりました。特にこれまでのお客さんへの向き合い方を見直すきっかけになりましたね。その後、この会社は1年ちょっとで辞めました。

ニシグチ:またフリーになったんですか?

カッシーさん:いえ、以前から付き合いのあるめちゃくちゃクリエイティブなNPO法人があり、ぜひとも一緒に仕事がしたいとお願いして入社したんです。それからNPOで働きつつ、それ以外の時間は個人の仕事をしていました。そのNPO法人でイベントの企画・運営・広報などを学ばせてもらいまして。1年くらい経って再びフリーランスになりました。

ニシグチ:そこでイベント運営の経験を積まれたんですね。

カッシーさん:はい。あと、そこに勤めていたときからブログを書いたり、フリーランスセミナーを開催していたので。フリーランス支援をやりたいと思って「クリエイティブな人に幸せを」を理念に活動をはじめました。会社は辞めたいけど、1人でやっていける自信がない・・と言う人に「スーパークリエイターじゃなくても独立できるし、フリーになってその経験を活かして再就職した方がもっと良い会社に入れるよ」ということを伝えるようになりました。
ところが、1年ほど経ったあるとき、どんなイベントを開催しても結局独立しない人が多いことに気づいたんです。ちょっと頑張れば独立できるのに、単発のセミナーでは支援できない。時間をかけて支えていかないと・・と思って招待制有料フリーランス・クリエイターギルド「TheCreative」を立ち上げました。

ニシグチ:そういう経緯があったんですね。「TheCreative」って内容や人数はどんな感じなんですか?

カッシーさん:2013年に5、6人からスタートして、今は東京・大阪合わせて80人くらいいます。「未来をつくる人材育成」がコンセプトで、自分でサービス・事業をつくれるようにいろいろ教えている感じです。交渉術・自己分析・セミナーを開催する力などを教えていく一環としてクリエイター祭りというイベントもはじめました。

「TheCreative」の中でプレゼン大会をやって、この話はもっと広めたいと思った人にクリエイター祭りで登壇してもらっています。有名になった人の話ではなく、今まさに頑張っている最中の人に話をしてほしいんです。僕がイベントを始めた頃には現在進行形のリアルな話を聞けるチャンスがなかったので、これをきっかけに「この人みたいになりたい」と思う人をもっと増やしていきたいですね。

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ニシグチ:なるほどー、クリエイター祭りは教育の一環みたいな感じなんですね。そして身近な人のリアルな話の方がやる気が出て良いと思います。話逸れますけど、カッシーさんはクリエイティブ支援の他にはどんな仕事をされているんですか?

カッシーさん:企業のIT支援やコンサルをやっています。週3日くらいは企業を訪問したり打ち合わせをしたり。デザインとマーケティングが組み合わさった内容など、誰に聞けば良いかわかりにくいものほど相談されやすいですね。「カッシーに聞けば何か知ってる」という人でありたいと思っています。

ニシグチ:これまでの経験の賜物ですよね。今までたくさんの人や企業と関わってきたカッシーさんから見て、これからのフリーランス事情はどうなっていくと思いますか?

カッシーさん:最近はフリーランスでもある程度安定的に働きたい人が多くなった印象ですし、週に数回会社に勤めながら自分の仕事もやるという人が増えると思います。

あと、カメラも映像も絵もできる・・・・みたいな若い人が増えて良くも悪くもクリエイティブの垣根が変わってきていますよね。プロの人と、それ以外のオールラウンダーの二極化が今後ますます激しくなるし、専業1本でやるハードルは上がっていく。その人じゃないといけない理由が必要になるでしょうね。自分で考えなければいけないことが増えてきて、だからこそ自分のコアはなんなのか、強みややりたいことが明確な人の方が動きやすい世の中になると見ています。

ニシグチ:確かにそうですね。僕も同じようなことを思います。カッシーさんご自身の今後の展望はありますか?

カッシーさん:クリエイティブな投資家になりたいです。例えば「スタジオがあれば撮れる仕事の幅が広がるのに」というカメラマンがいたら直接資金を援助したり、スタジオ設備に投資したり。才能を経済的な理由で潰したくないんですよ。なので、お金を持ったクリエイティブなことがわかる投資家になりたいですね。一緒に何かやっていきたいし、クリエイターの可能性を広げ、解決できるような人になりたいんです。

あとは、いちクリエイターとして言うとDTM(パソコンを使って音楽を作ること全般)やモーショングラフィック(文字やイラストなどの静止画像に音や動きを加えたもの)などに興味があるので、演出寄りにマルチにやるけどすべてをちゃんと仕事にしていきたいとは思っています。

ニシグチ:本当にクリエイターが好きというか、支援したい気持ちが強いんですね。そしてカッシーさんご自身がクリエイターとしてやりたいことがあるのも素晴らしい!では、最後に今年のクリエイター祭りの宣伝をしていただきましょうか!

今回のクリエイター祭りは11月4日開催で今回で6回目を迎えます。これまでよりもっとクリエイティブ色のあるイベントにしていきたいと思って、今回はイラストレーターの山本神恵さんを主体に謎解き要素を入れたイベントにしています。名刺交換をするのもいいけど、協力して一緒に謎解きをした方がより打ち解けやすいかなと。あと、本当にいろいろなジャンルの人が来るので幅広いつながりができますよ。特に学生さんは実際に働いている人たちと接することができますし、学生さん向け500円オフチケットもあるのでオススメです。クリエイターの人生に焦点を当てたイベントは数少ないと思うので、ぜひお越しください!!

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ニシグチ:僕も去年、一昨年と行きましたけど、本当にいろいろな人と知り合えるのでオススメですよ。今日はカッシーさんの熱い思いが知れて刺激を受けました。ありがとうございました!

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話を聞いた人:上司ニシグチ
撮影&ライティング:UNO
バナーデザイン&記事編集:秋山楓

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<取材を終えて>
私が初めてクリエイターの交流会に参加したのは「クリエイター祭り」でした。そこで出会ったクリエイターのみなさんとは、ありがたいことに今も仲良くさせてもらっている人が多かったりします。カッシーさんと私は、住んでいる街が同じということもあり、ツイッターでは地元話をちょこちょことやりとりをさせてもらっていました。今回のインタビューでは、カッシーさんのバックグラウンドを詳しく聞くことがきて、多くの経験と知識の蓄積が人間としての幅を広がるんだなと、カッシーさんのお話を聞いて、改めて実感することができました!カッシーさん、今回はステキなお話ありがとうございました!

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