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本気の覚悟に、返された本気の言葉

手紙が届いた。年末の恒例行事だ。

私はその人に手紙を出す。

一年何があったのか、どんな勉強をしたのかを私は手紙に綴る。

我ながら汚い字だ。そろそろいい加減にボールペン字の練習帳でも買おうかな。

今年書いたのは、やはりnoteのことだった。

〈こんなイベントに行きましたよ、そうそう、来年は本を出そうと思うんです――〉

その人は家族ぐるみでお世話になっている人で、手紙を出すのは決まって母。私は「ついで」に手紙を書いている。

けど、いつからか私はその人のことを「先生」と思うようになっていた。実際に先生もやっているらしいのだけれど、本職は全くの別。

その人は本をくれる。ご自身で書いた本。

歴史と向き合い、研究し考察し尽くした学術本。

だから、私はその人への手紙に夢を書き続けてきた。

〈私は本当はこんな勉強がしたいんです、こんな世界に触れたいんです、こんな本を書いてみたいんです〉

そんな手紙を出す自分が、今まで大嫌いだった。

何もかも夢見がち。何もかも空想話。

それは、手紙の向こう側の人もわかっていた。だから、子供を見るような優しい目で私を見守ってくれていた。

ただ、今年、私が出した手紙は違った。

〈本を出そうと思うんです。自費出版です。「自分で書きたいから本を書こう」と思います〉

――返事は、ちょっとだけ普段より厳しかった。

「自分で書きたいから」。良いと思います。けれどもうちょっと進んで「書かずにはいられないから本を出す」がいいのだけれど
仕事と執筆の両立は難しい。その微妙なバランスをうまくつかみ取った人が、それを継続することができます。あとは学ぶだけです。学びが広く深くなるほど着想は自然にあふれてくる

ザクリザクリ。

優しい言葉に変わりはない。ただ、その言葉は今の私には本当に痛くて。

そう、私は書かずにはいられない人間なんですと、どうして胸を張って書けなかったのか。

本を書く前に内観しなさいと、諭された気がした。

――仕事の両立さえできない状態で、貴方は書くことができるのですか?

できますと、どうして言えなかったのか。

今、猛烈に不安ではある。

仕事と文章を両立させることができるのか。

でも、それはこれからの話だ。これから、おびえながらもつかみ取っていかなければならない感覚、ただそれだけの話。

何を問われても、結局のところ「書かずには生きられない」人間なのだ。

私は小冊子を出す。来年、必ず出す。

準備は着々と進んでいる。

というか、この手紙を読んでから文章が涙の代わりように溢れて止まらなかった。

あの人からの手紙はこう続く。

私も「この世界の片隅で」あなたの歩みを見守っています

涙が出るのをこらえる代わりに、指が止まらなかった。

本音を見透かされて、それでもこの世界は厳しいと言われて、それでも指は止まろうとしない。今この瞬間だって。

その人は、本を出版されている人だ。研究者だ。私が憧れてやまない人だ。

憧れの人が、私をご自身と同じ世界にいると言ってくれた。

――手紙の最後。名前が書いてある場所には、その人が「文章の世界」で生きている名前が記されていた。

母の返事の方には、ご自身の本当の名前が書かれていた。

私は本気になった。だからこそ、あの人は「本気」をそっくりそのまま返してくれた。

だから私は書く。

本気を返してくれた感謝の想いは、涙になる代わりにこうやって文字に変わり、溢れて止まらないから。

もう一度言おう。私は本を出す

noteの中だけでも応援してくれる人がたくさんいて、本当に涙が出そうになった。

けど、それ以上に、「見守っている」と言ってくれたあの人に贈れる本を、私は心の底から書きたいと思う。

恥ずかしいとか、時間がないとか、人に読ませられるもんじゃないとか、そういう内側で叫んでいる言い訳はもう無視して。

――書かずにはいられないから、私は書く。



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