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「夜見枯古書店心書譚」第十六話

「夏笠さん、無理しないようにな! お兄さんも!」

「だ、大丈夫ですから。斎藤さん……」

鍵を開けてくれた兄の元同僚――名前は斎藤さん――は、おっかなびっくりな態勢でその場から逃げ出すようにして言い残して去っていった。

「……あれでいいのか図書館員」

「たぶん、ダメだと思います……」

せめてしばらく一緒にいるとかしなければいけないと思うのだが、よく昼間にちゃんと働けたものである。

とはいえ、気持ちはわかる。

この街の図書館は、異様に古い建物なのだ。噂によると戦前の建物で、建築物としては文化財に指定されているレンガ造りの重厚な建物である。

謎の地下室の存在や軍の実験場だったといううわさも絶えない建物なので、夜に歩くにはずいぶん勇気が必要だ。

「警備員さんにも話を通してあるので、まっすぐに噂の出ている部屋に行けば問題ないそうです」

「ダメだな、あいつ、バレたらクビだ」

そうだろうなぁ、と察している。だが、状況は美夜子にとっては理想的なので文句は言えない。

自分にできることといえば、早くその部屋に行くことぐらいだ。

美夜子は足元をスマホで照らしながら、阿光よりも先に立って建物を進んでいった。

「まず、噂のことですが。2階の中央らへんに広場があって、そこで目撃されることが多いそうです。そこから広いフロアをまっすぐに進んで、L字に曲がるのだとか」

「……幽霊はこの棚を突っ切っていると?」

阿光が指さしながらライトを向ける先は、壁のようにそびえる本棚である。

それがまっすぐではなく、視界を遮るように迷路のようになっているのがこの図書館の特徴だ。本棚は購入したのではなく備え付けらしく、建築家の精神を疑う造りをしているな、と美夜子でさえ思う。これではまるで、迷うために作っているようではないか。

実際、美夜子は子供のころ、かくれんぼのために図書館を利用したことがある。

この街の子供なら一度は通る恒例行事で、追加すると、この図書館でかくれんぼした子供が神隠しに合ったという噂もある。まったく、噂には事欠かない建物だ、としみじみ思った。

「はい。この棚をまっすぐ通過するそうです。そして、『ないはずの部屋』まで連れていかれるのだと……。やっぱり、ウサギの時に似てませんか?」

「……人間が、ねぇ……」

阿光は何か言いたそうだったが、美夜子は無視して進むことにした。

「幽霊を待つことないですよね、さっさとその部屋に行ければ……」

と、一歩踏み出した、その時。

「え」

視界が、ぐにゃりと歪んだ。

途端に足もともぐらりと揺れ、後ろにいた阿光に縋りつく形になったのは不本意だった。

「す、すみません」

「……」

慌てて謝って阿光を見上げたが、その表情にはいつも通りの無関心の中に、少しだけ緊張が滲んでいる。その視線は、美夜子ではなく、先ほど彼が指さした本棚へ向けられている――はずだった。

美夜子もつられてそちらを見たが、そこには予想外の景色が広がっていた。

「……街?」

図書館の外壁と同じレンガで作られた、小さな路地に、美夜子と阿光はいた。


それは、小さな町だった。

建物も小さく、阿光や美夜子のような身長の住人ではなく、童話の中の小人が住まうような小ささだ。

実際、建物のドアが開くかどうか試してみたが、そのドアが開くことはない。

曇天が空を覆い、赤いレンガと不吉なグレーが、否応なしに冬の物寂しさと冷たさを感じさせる。

美夜子は気味の悪いテーマパークに迷い込んだかのような錯覚を覚えた。

だが、ここは確かに図書館だったのだ。

阿光は、それこそ探偵のようにしばらく動き回っていた。いつものぐうたらはどこへやら、ドアを点検したり、屋根に上ったりと機敏な動きで周囲を確認し、常に美夜子をそばに置いていた。

危なくないように、とのことなのだろうが、なんだか落ち着かない距離感だ。

阿光は一通りの確認を終えると、呆れたようにため息を吐く。

「見事に『心書』だ。ここまででかい規模は久々だが」

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