いつの間にか、ちゃんとライターになっていた話

ライターになって、2か月になる。

ちゃんとした勉強はしていないし、書きたい記事をのんびり書いているだけではあるのだけど、それで収入を得ている。

「へぇ、noteやってるんだ。すごいね」

今の上司にあたる人は、面接時にそう言って笑った。

彼は、その気になれば、You Tubeで見つかる人である。

いちYoutuberであり、一地方情報誌の脅威的アイデアマンであり、私に学ぶべきことを数か月で叩き込んでくれた人だ。

「やめとけ、やめとけ。俺は止めといたほうがいいと思う」

SE時代の先輩が、お酒を奢ってくれながら、こう言っていたのが、たった数か月前。新型コロナの恐ろしさが囁かれ始めた時期。

私なんかが、ライターになれるわけがないと、言われた私も、世の常識のように考えていた。

今だって、そう。けれど、今の上司は先日、こう呟いた。

「俺って小説書けないんだよね。売れる記事は書けるんだけど。すごいよね、千羽さんは。ライターだもんね。」

ライター。

その言葉を反射的に脳内で検索する。ライターとは、記事を書いてお金を稼ぐ人のことを指す。

――取材した。記事を書いた。喜ばれた。取材交渉をした。OKをもらえた。

経験値なんて、そのくらいだ。ポケモンで言えば、レベル3ぐらい。

でも、たしかに、自らが書いた記事で、収入を得たのだ。

わが社が運営するポータルサイトは、決してPVが多いわけではないけれど、それでも、そこで「人に見せる記事」を書いた。反応をもらった。

ポータルサイトの中では、よく読まれる記事になっていた。

まだ、実感が沸かない。呆然としている。

人生の潮の流れは、時に魂を置いていくほどに早すぎる。

私の心はまだ、noteを書くだけの、しがないSEだ。

けど、結果は再び、現れた。

先日、「磨け感情解像度」の佳作を頂いた。

敬愛する、星野道夫さんの写真について。

あの時、感じた「書きたいもの」を文章にしたためたのは、やはり魂がまだ現時点まで追いついていないから、原点に戻りたがっていたのだろう。

「あの時手にした感情」は、やっぱり心のど真ん中に居座っている。

この文章を書いている今も、私は「書きたいもの」をより解析したい衝動に駆られる。

恐ろしいまでに今、人との出会いがある。

慄かんばかりに今、書物との出会いがある。

私が伸ばすと、手には欲しい知識が鳥の羽のように落ちてくる。

この道の先には、私の文章を読んでほしい人がいる。

その背中が、初めてはっきりと見え始めている。

あらゆる勉強をしようと思う、時間が許す限り。

あらゆるところに行こうと思う、時間と状況が許す限り。

そんな風に決意してオンライン授業を終えたら、梅雨が消え去った空の下、柔らかい日差しに満ちる窓の外で、真っ白い百合が笑っていた。

読んでいただきありがとうございます。 頂いたサポートは、より人に届く物語を書くための糧にさせていただきます(*´▽`*)