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境界線のオパリオス(3)

一話はこちらから


国立天文台は、異様な興奮とざわめきで、空気がびりびりと電気を帯びているかのようだった。

多くの研究員が慌てふためく中で、一人だけ様々なデータを映し出す端末に噛りついている。

黒縁眼鏡をかけた「the 理系」という風体をした優秀そうで神経質な青年だ。

彼の癖なのだろう。
ひっきりなしに分厚いレンズの眼鏡を、鼻の上で上げ下げして、その動作は周囲と同様に落ち着きがない。

「………なんなんだ、このデータは」

呻き声が、口の端から漏れ出す。
あらゆる事象を人生の大半をかけて研究し続けている彼でさえ、理論的にも科学的にも呑み込めない想定外の事態。

それはまだ、誰にも知られていない事態。

けれどこれから、地球上の全員が知ることになる事態。

・ ・ ・

「あなた、変人ね」
「……は?」

本日入庁した新人に対する、先輩の第一声が、それだった。

だから、由崎瞬(ゆざきしゅん)が返したぽかんとした声も、致し方ないだろう。

彼女――瞬の四年先輩にあたる――は、廊下の真ん中で、くるりとこちらに振り向いた。

颯爽とした、無駄のない身のこなし。
紺のスーツに包まれた体はすらりと高く均整がとれていて、どこぞのモデルといっても差し支えがない。

彼女の名前は、茅野原理亜(かやのはらりあ)

今日からツーマンセルで行動する上で、瞬が一から教えを乞うことになる存在。

女性というよりも少年のようなショートカットの前髪がさらりと揺れ、その下にあるはずの大きな瞳は、少々野暮ったい眼鏡で覆われている。
だがそれさえ、洒落ているように見えるのは、ひとえに彼女の凛とした美貌のためであろう。

「あなた、この部署、〈潜行課〉に自ら希望を出したっていうじゃない。そう言う人間を世の中は変人、っていうのよ」
「……課というものは、必要だからあると俺は思いますが」

非公式ではあるが、政府直属機関にあたる「潜行課」
五年前の未解決事象「境界越境現象」を解析し、「越境」してしまった人々を帰還させるために日夜探索と研究を続けている。

そんな有用性バリバリの課に入ったはずだが、どうして早々に変人扱いされなければいけないのか。
瞬の細い眼鏡の下に隠された目には、そういう困惑の色が浮かんでいたのだろう。

茅野原は細くため息をつく――その様子さえ様になる――と、「いい?」と前置きをして説明してくれた。

「あれから五年よ、五年。研究は進んでも調査自体は息詰まり。正直なところ、私と君で組んだところで何か進展するわけでもないし、挙句に何か活動するわけでもない」
「でも、境界の揺らぎがあれば、俺たちは出動するわけですよね」

五年前の事象以降、あらゆる箇所で「揺らぎ」が観測されている。
一歩間違えば、一般人がその揺らぎに入り込んで、再び「越境」してしまうかもしれない。

その危険を回避できるのも、「潜行課」に所属する「潜行者(オパリオス)」の業務であり、目がブラックオパールのような異様な色彩を持ち、境界の揺らぎを観測できる自分たちだけではないのだろうか。

しかし茅野原からは、「教科書通りの答えね」のお返事。

「たしかに、私達オパリオスしか揺らぎは観測できない。でも、その揺らぎは基本的に辺鄙な場所にしか現れないから、私達の仕事は調査のみよ」

(ははぁ、そういうことか)

ここまで言われ、瞬は、やっと彼女の言いたいことに追いついた。

「要するに、開店休業中の課にわざわざ希望して入ってきたから、変人、と」
「そういうこと。ま、給料泥棒にでもなりなさい。君、ぱっと見真面目そうだから、すぐに辞めちゃうんじゃないかと思ったの」
「辞めませんよ。それに俺は変人でもありません」
「と、いうと?」
「課長に面談で言われました。この課に所属しようとする人間は、五年前の事件を諦めきれない人間だと。俺も、そういう人種なだけです」

まっすぐ、茅野原の目を見る。

ブラックオパールのような強い瞳が、かち合う。

しかし、彼女の色は赤が強い。
反対に、瞬の目は青が強いと言われることが多かった。

――なるほど、俺たちは正反対なんだな。

瞳の色は持ち主の性格を表していると、まことしやかなうわさで耳にしたことがある。

もしそれが本当ならば、自分と茅野原は何かが「正反対」なのかもしれない。

「俺は、先輩のことを何も知りませんし、業務も今日が初めてです。だから、全部教えてください。俺にも、目的があるんです」

瞬は、深々と頭を下げた。
一呼吸おいて頭上から降ってきたのは、茅野原の細い溜息。

「……頭を上げてよ、新人君。これは恒例の新人いびりだから」



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