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着崩すことさえも芸術に変えた作家がいた

はじめに


僕の大好きな作家に #片岡義男  先生がいる。 この方が映し出す世界は、はじめて読んだ頃から今まで一貫して大好きな世界だ。
ここで、この方が映し出すと書いて、この方が書き下ろすでもなけれど、描くでも、紡ぐでも無いのは、片岡先生の作品が、人と時間と空間を写実的に切り抜いていく独特の表現からだ。
この、空間の中を旅するのことが片岡作品の醍醐味だと僕は言い切る。
まさに80年代に #角川文庫  から出された作品を読み漁るうちに、僕の中に出来た片岡義男ワールドを繰り返し訪れてはしばし滞在することを、長年繰り返している。

そんな僕の大好きな世界観の中で、今日は少しだけ、深掘りしてみたいのです。

着崩しのこと



これがテーマ、着崩すと言っても
その捉え方は多義に渡り、文字通り着崩してしまう場合もあれば、決して着崩してはいないのに、全体から受けるイメージが何処か着崩していると感させるもの 着崩しているであろう人物と、それを見る人の位置関係だけでも、着崩しを感じるばあいもある。
実に面白い。
この場合の着崩しの意味は、言い換えればその人が見せる ほんの些細な "隙” だと感じる。

=ある着崩しの例=

例えば、男性でも女性でも構いません 絵を思い浮かべてくください
ドレスシャツのボタンを、2つ外します これは3つでも1つでもなく2つ釦を外します。外すだけなんです、襟元を広げる必要もなく、釦をしたままの合わせ加減のままで、ただ釦は外している。
ドレスシャツの下からインナーが出るのはNGですから、ティーシャツなんかは着てはだめ。アクセサリーは個性ですからあってもいいし、無くても良い、カラーもスタンドでもレギュラーでも、構わない。
あなたは、釦を2つ外した人と、一緒にいます。
相手が仮にソファーに座っているとします。
あなたも同じ高さのイスに座ります。
正面にイスを置き、正面から相手を観ます。
次に、斜めになる場所にイスを置いてあいてを見る
次は、横に座って真横の相手を見る

着崩してる と感じるのは どの角度でしょうか
あなたが、カメラを抱えて写すとしたら? どの角度が言いですか。
着崩してる を感じる 相手と そうでない相手 どちらが良いですか。

着崩しを感じる先生の作品

本当にたくさんある、先生の着崩し系の作品
代表的なものを一つ選ぶなら

短編集 #ドライマティーニが口をきく  の中に収められた
#ホテルルーム2
この作品で先生は、着崩し的な描写に中に 素敵な意味で 
#ほんの少しだけだらしなく着る

この表現が僕は大好きだ


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