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バランス取りマッスル

全然無関心の、ノーマークだったところで「ムム?」という気づき、というか、、、「あ~凄いなぁ~」というのを感じる事が出来たから。

「この出来事から気づきを得る」というような、構えられる感じじゃなく、ホントにノーマークで。

何と言うのか。

全く面識なく、人としての”繋がり”など、これっぽっちも感じない(当然先方もそのはず)、「人」を通しているものの、メッセージは人じゃない”ヒト”が出しているかのように。

「ヒト」これは私の感覚なので、言葉が合っているかは分からない、という事を前提に進めると、

【「人」としての在り方と、ヒト(霊止)としての在り方(?)に、この差があるのか…?】

と思うケースがあるのか…な。

「力があるんだな(パワーじゃなく能力)…」と感じる一方、人としては全くの別人、というのか。人とヒトは、感じるものがこんなに違うのかと思うと同時に、人としての部分と、人を抜いた部分とを見せてもらったように感じた出来事だった。

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こんな感じ方をした事がなかったのだけど、人は大抵、「○○し易い方」を選択しているはずだから。自分の意識内で当たり前に弾き、スルーする、毛嫌う…。

・・・そうだね。

ゆる~く、この一年を、そのスタンスを持っていていい(それが良い)。

私はこの1月を、気学の捉え方で「2021年度の総片付け」の意識で対応してきたけども、「2022年の流れ」というものに目を通すと、どちらかというと、既に新しい流れの色が濃かったと、ハッキリ言えるから。

「こんなに見事か」という程に、流れの中にどっぷりといたと気づいた。

その事により、やはりバランスよく取り込んでおく事はちょっと、カギになる。


昨日、冒頭のケースを見て、これを感じてupしたのだけども。


出来事はあくまでもこの目で見ている事、そしてそこに「自分」が色んな事を思い、考えてインプットする、しないとか判断して頭の中に蓄積されていく訳だけども。

「ふと」とか、ホントに何気なく、いつも見ない、読まない、触れないような”範疇外”みたいなモノが、自分に与えるモノが大きいと感じた。

これ自体の考え方も決して初耳ではない事だし、珍しくはないのだけども、私は自分を「タイミングが良い人」と思っているので、これタイミングだよね、と感じているから書きました(*^^*)


この目、アタマで当たり前に弾いていたモノ・コト。漠然とし過ぎて難しいならば、毛嫌いをちょっと覗いてみる…とか(笑)

人の好き嫌いとか、合う合わないとか、まず「人」で私たちは弾き易いから。その人を透過して視えるものがあるよな~、なんて。

人を弾くのは多くは人。ヒトと引き合うのはヒト、合う合わないじゃない。ヒトの出会い、出会えるメッセージ(サイン)て、そんな所にあったりするよな~、なんて思う。

いきなりガッツリ力まなくても、そのスタンスを持っていると、今年はいいだろうな~、と私もバランスに気をつけていきたいと思う。

(父の話関連は、また明日以降に)



「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!