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”集中”で括れたのか(笑)

洗濯機の給水管が冬場に酷く凍る事は、何度か経験しているけども。

いつもの事ながら、まずは時間を待ち、”そろそろ回したい頃”にドライヤーを何度か当て始める。


昨日はふと。
『他の場所が凍ってないんだから…、”洗濯機”側だよね?』

脱衣は早朝にエアコンが入る様に予約してある。洗濯用の給水管にはタオルは巻きっ放し、隣の洗面もいつも通り使っている・・・のだから?


いつも温めてきた所でなく、洗濯機側のホースを少し温めた。

「ガッガッ、ガーーッ!」

塊を押しのけ、水が流れて行く音を確認した。

『あー、良かった。洗濯機が回せる(*^^*) 助かった♡』

前日は大物だけで済ませたので、昨日は少し洗濯物が溜まって回したかった。

氷点下になるのは結構ある地域だけど、流石に一昨日の晩は「本当に寒い」と感じた。


今日も予定では何かひとつの事に焦点を当てて書く予定だったのだけども、そうすると「話」として何個も(何日も)かかるから、溜まってしまうという事に気づき(笑)

書き方の工夫が必要な事も見えて来た(今後に)。

今回の土用は本当に“ミラクル”で、いつもの地上ラインから、上にも下にも範囲をしっかり押し広げている様なイメージ。

バーッと短くパッパと上げていきます。

・・・ ・・・ ・・・

行動が大事。行動という”運動”、動くという事を意図的に行い続ける事って人にとってあまり簡単な事じゃないけども(その逆の人もいる)、それでもこれは本当に、

「現実側が目まぐるしく動く・動かされる状態、状況」というのはあって。

その時は本当に忙しない。だからどんどん消化していく事で目の前の事に「集中」した状態が必然的に作られる。

・・・ ・・・ ・・・

「何を信じて 何を行うか」

その、”信じた”というものの要素によって、「自分」というものができる
ということ。

・・・ ・・・ ・・・ 

”結び先”
結着(決着)を求める。結着させたい。結び先も分からず、ふらふらふわふわというのは、不安定で落ち着かないから、「そういう事」として結んでしまいたい。楽だもの。

一旦はそれで良いね。

・・・ ・・・ ・・・

両方取れる(見れる)→”感情”フィルターを通して二方向に分けている(分かれる)

又は、”分からない”→判断なし

・・・ ・・・ ・・・

「前提」
何を前提としているか辿っていくには、遡って行くしかなく、”感覚”に必ず触れることになる。

探し物の途中で、”別モノ”を拾う、よくある話。

もしかしたらその、”別モノ”を拾う為に、その通りを通過していくのかもしれないね。

・・・ ・・・ ・・・

全部を”肯定”から入るって、奥深いと知る。

それは、「起きている事をそのままに見ていってしまう」という、受容に繋がる話だったと気づく。

・ジャッジをしないとはそういう事
・受容れるとはそういう事

今まで表面で解釈している事の内側が観れた様に思った。

(私は一般的意味での”ジャッジ”を否定する考えは持っていない。だけど内側を観た時、そもそもそれ自体がない、という意味)

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「オレ、やっぱり先に行ってる…」
『それ、分かる(笑)言ってる事、よく分かるよ』

ある話題から主人が言った。その感想は私も主人の色々な面を観ていて、「そうとれてしまう」と感じるものだった。

”今”という所以外は、前(未来)だろうが、後ろ(過去)だろうが、ズレはズレ(以前に触れた)。


「意識が」今という所に合っている方が、ある意味で”現代”の中では生き易いとなる。

「前」に合わせるなら、それを主に出来るような生き方の選択(職など)をすれば良いのだけども、そうしたい訳でもない、又自分の傾向として、”今に生きたい”ならば、「今」という時点に少し意識を戻す事。

前から今へ。

主人とそんな話をした。

(ズレが悪いの意味はなく、意識の状態の話)

・・・

(上記があったからだろう…)

翌日。風呂上りの脱衣で「ドライヤーや軽い運動をこなす」という事が”今”やるもの”としてある状態で、主人が台所で食事の用意をする音を探していた・・・、

【ここに居させて】

懇願か、優しい命令か。
いずれにしても、私が発し私が受取っている。

(”音を探す”理由。目覚ましをかけている主人、止めて再び眠る事もままあり。早い帰宅の週は朝も早く、それに合わせてリズムを変えている。

その「起きたかな?」に私の意識が行ってしまい、「自分のやる事」を急いでいるのを感じた時、【 】が浮かんだ。どちらにも取れる。どちらでも良い。私はこの急ごうとする自覚側の”私”に、「そこに居なさい」と言われたように感じた。)


意識って、ちゃんと「ココ」にいる(ある)事ってあまりない。目の前に集中できず、何かに氣が飛んでいる状態はよくある。

また、前後だけでなく”中央”から外れた状態が普段の”普通”とも言えるような状態の中にいるから、集中状態を示す「今ココ」なんて言葉も使ったりする。

前出の主人の話の様な大きなスパンだけでなく、日常の小さな事に於いても意識は本来少しも”ココ”という所に大人しくいるものでないのかもしれない。

だから、「ココ」に収まっている時、とても静かであちこちにスパークしないでいられる、と感じている。


(これはシンクロ話)

「映像(画)」というのは、本当に”視える”のかもしれないね(笑)

表現がちょっとアレだけど。。
足が十分に熱くなって眠りに入る頃、短くパッパッと画が何個か切り替わったのを憶えている。

特に「それは何?」と憶えていたのが、「海なのに海面(?)付近に火、赤いのを見て”なんだろう…”」と思ってそのまま眠った。

濃紺の海に赤という火。
因果で結ばなくても、”状態の一致”を重ねると、十分なデータになって行く。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!