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分ける・分解

どんな自分も。
あの時現れた、美しい自分は幻ではなく
その時々の”自分”で抱える。

生きている限り、そのシーンを1ページを埋めた「私」であって
今の私とは違っていいMy journey。

同じじゃない、
毎日1枚ずつめくる日々。
違くていい。

(4/27メモ)


”自分”を通せる時には通したって良いじゃないか

でないと”神”になっちゃうよ

ここでは人でいる事が全員に課せられた任務だと思うよ?

知らんけど―――。

(4/29メモ)


意識をそこから”離す”ことは、私に於いて「深い所」の掘り下げた話でもあります。

習慣、ワン達との関係、母親との関係から身についた、「沁み付いた私の行い」という一つの課題でもある。

”両面”があるもので。

例えば今までのように、私がワン達の事をどういう事でも即座に観れる環境があった事をA面として。

これは私の行いとしてずっと継続してきた”普通”のことであって、この関係性においてはストレスが少ない・・・けども。

この事を”普通”に持たない人たちが世の中に大勢いる事でも分かる様に、決して私の在り方が全体に於いての”普通”ではない、事もすぐに分かる。


そしてもう一つB面が、これから行っていきたい事。

私が今までにワン達とその様に接してきたから、その「習慣」から離れる事に抵抗が出ている、というもので、この現在に抱える(迎える)環境に対しての在り方を”考える”という課題でもある。


”習慣”のままでは厳しい事は分かっていて「であればどうする?」という問いを自分にぶつける事が出来る。

私の時間の使い方を変えて工夫する事でワン達といる様にすることも可能な事は先日触れたのだけども、そもそも今までの在り方・接し方からの脱却、を目指したい所があって、考え始めると色々なことがアレコレと浮かんでくる。


どちらかの”正解”を選ぶことが重要なのではなくて、一つはこの状況を「考える」という事が大切な様に今、感じている。

そして、どちらも対応可能ならば何が残るかと言えば、選択によるストレスの少ない方を選ぶか、挑戦(今までの”自分”でない方)を選か。自分の進みたい方向に”沿う方”を選ぶのが良い。

更にこうして色々を考えた挙句、実際にはもっと緩い条件下での環境変化で事が済むという事もあって、昨年の似たような事で結果的には「そこまで大変でなかった」というオチがあった事も思い出したりする。


今までの選択を進む限り、同様のシチュエーションでは、また同様の”思い”に繋がる事は明らかで想像ができる。

こうして詰めて詰めてしていくと、選択はただ選択でしかなくて、そこへ行くまでの”ルート”を走ることそのものが大切、という事が観えるように私は感じる―――。

この、ネズミが鼻をスンスンさせながらアチコチの迷路を進んで行くようなこの動作が、脳内の”回路探し”に観えたりするから少し笑えてくる。


この、「答え」と感じている正しいと感じる様な選択をしたい、と思うから余計に考える事になるのだけども、やっぱり私は少し掘った所で考えるので、「母親」との関係から、私がワン達に対してその様に”接していたい”と普通に思ってしまう事に繋がった、と考えている。

何度も書いてきたように、小1の頃に両親の離婚で父方の祖父母との生活が始まったのだけども、その強い悲しみの体験から引っ付いてきた私の行動、と捉えている。


そこに焦点が当たった時それは、「その体験がなければ、私はそれを”普通”という習慣にしなかった」可能性があって、無意識に行ってしまう今の動作に気づく度に”修正”を入れるようにしている。


この遠くに置いている私の「目的」を観た時、ここで選びたいのはB面。いつも目を向けてあげられるという事のメリットはもちろん大きいのだけども、やはり反面、”裏面”はきちんと存在している。

”この子達”を信頼出来ていない、という事。

そしてその大元は、その中でもし万が一”何か”があった時に、私がそれを受け容れる事に強烈な恐怖を持っているから、と思う。


この恐怖は私の自覚上では、全く「皆無」なのだけども、それだけ「深い」所にあるから、この自覚にすら上がらない、全く匂ってこない、と私は思っている。

予想できる想定(内)、予想できない想定(外)。
想定できる予想と、想定できる予想外。

本来は、圏外からの、突然の出来事によって知らされる想定外。自分の意識が広げられている範囲と私が思っている限り、私はまだ「安心」の中に居る。


「答え」というものはあまりない。

私達の習慣、血肉になったものその上に選択がある。それがその人それぞれの選択をしているものなので、それをどれだけ気づきに上げた上で”再選択”をしていくか、という事それが「考えた」ことの答えなのだと思います。


掘り下げたり、考えてこうして書くと、私の嫌いなとても理屈っぽい書き方になってしまうのだけども、今回は既に下書きを始めていた事もあり、そのまま仕上げました(*^^*)


【補足】

上記内で、内容的には組み込んでいるのだけども、改めて具体的なカタチで触れたい事を以下に。

ワン達など、ペットと人との生活において。

私は、べったりと側にいる事を肯定している訳ではないです。ここ数日に書いている内容は、あくまでも、「私がワン達に対して”その様に”接してきた」為に、習慣の動物であるワン達に変化が必要な状態を作ってしまった、というものです。

飼い主さんによって、初めからある程度の距離を持って接している方々も当然多くいて、端からそのスタンスで生活をしている動物に於いては、それが”習慣”となる為、私が考える様な細かい事を考えすぎてしまう事はかえって✖と思います。

何より飼い主が「安全・安心」の存在でいる事が、ペットたちにとっての安全・安心であるので、ワン達を考えるならば、この私がしっかりしなければというスタンスを持っています(*^^*)

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☆うみのみか☆
応援チップありがとうございます。自然と学べる記事の提供で倍返しいたします!コメント頂ければ内容を盛り込んで記事として出力いたします。 共に学んで参りましょ~(*^^*)