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工場日記

"ものを考えるのをやめなければならないということの屈辱感を、心の底から感じる。それでとうとう、わたしもいくらか早く進められるようになった(中略)しかし、心にはにがいしこりが残った"1972年邦訳の本書は新進の女性哲学者が25才の時に未熟工として飛び込んだ工場での8か月の日々を綴った魂の記録。

個人的には夭折した著者が同じ年齢で発表した当時全盛のマルクス主義批判の初期代表作『自由と社会的抑圧』に次いで手にとりました。

さて、そんな本書は単に"市井の人びとの疎外状況を身をもって知るため"というだけに留まらず【人間のありのままの姿を知り、ありのままを愛し、そのなかで生きたい】という、いかにも著者らしい【純粋かつ本質的な欲求による、やむにやまれぬ選択】として行った、教職をなげうち劣悪な環境の複数の工場にて未熟工として断続的に8か月間働いた過酷な経験。から発表された『労働と人生についての省察』から『工場日記』の全部及び、著者が工場生活中に書き写したノート、断片及び前後に記された手紙が収録されているわけですが。

まず、最初に著者の生涯に関して。少女時代のエピソードとして広く知られる"第一次大戦中、5才の時に前線の兵士の苦労をしのんで、チョコレートや砂糖を我慢した"からずっと変わらず、その早すぎる死まで貫いた【他者への共感、弱者に寄り添う姿勢】には、例え生前はほぼ無名のままだったとしても、時代を超えて大いに共感し勇気づけられるわけですが。本書でも例え【外部から短期間、哲学者が女工として働いても、本質的には理解できるはずがない】と周囲から非難されたとしても(隠れて潜入ではなく)まっすぐに頼みこんで飛び込んだ著者の選択に"らしい清涼感"を感じます。

一方で本書は"哲学者としての論文"ではなく、あくまで"女工としての体験日記"というわけで。そもそも身体が弱く手先が器用ではない著者にとっては結果としては当然に【大変辛い日々】であったことが弱音と共に素直に記されていて(ドジっ子さんめ!)と勝手な親近感を覚えるのですが。

それでも、著者の"自分にはまるでわからない何か大きな機械にのせられているような気持。自分のしている仕事が、どういう要求にこたえるものなのかまるでわからない。明日になれば、何をするようになるかもわからない。給料が減るかもしれないことも。解雇されるかもしれないことも。"(=考えない方が"屈辱的"でも楽)といった真摯かつ素直な言葉は、現在の(例え工場でなくても)組織で働いているビジネスパーソンの多くにとっても変わらず響くのではないかと思いました。

労働自体について、あるいは1930年代の劣悪な労働環境に興味ある方へ。また『行動と思索の人』として駆け抜けた著者が好きな人にもオススメ。

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