・「台湾封鎖」に踊らされるな 静岡県立大学特任教授 軍事アナリスト 小川和久

米国のペロシ下院議長の台湾訪問に反発した中国が台湾周辺で軍事演習を始め、マスコミには「台湾封鎖」という大見出しが躍っています。しかし、マスコミが大きく取り上げるのは致し方ないにしても、専門的には整理する必要があります。騒いでいるだけでは、中国の掌の上で操られ、本当に必要な防衛力整備の目が曇ることになりかねないからです。

確かに中国はあたかも台湾を海上封鎖するかのように台湾本島周辺に演習区域を設定し、弾道ミサイル9発を撃ち込み、うち5発は日本の排他的経済水域(EEZ)に落下しました。しかし、これが実際の軍事対立であれば、海上封鎖ではなく戦争なのです。

考えればわかることですが、1962年の米国とソ連の間のキューバ危機を見るまでもなく、海上封鎖は戦争と和平を分ける分水嶺の位置づけにあります。このときは、ケネディ大統領の断固たる姿勢の前にフルシチョフ書記長がキューバへの核兵器の搬入を断念し、世界大戦が回避されたことは歴史に刻まれています。

これが台湾の場合、台湾本島を出入りする船舶を中国海軍が封鎖線で臨検し、台湾側が突破を断念したり、米国や日本などの軍事的圧力の前に中国側が封鎖線を解けば、軍事衝突は回避されます。

しかし、中国側が臨検する現場で小競り合いが起き、また封鎖線周辺に展開する日米などの艦船が武力で阻止しようとすれば、そこから軍事衝突に発展していく危険性があります。

中国が弾道ミサイルを台湾や西日本に撃ち込んでくるとしても、それは海上封鎖が戦争という斜面のほうに転がり始めたときなのです。マスコミ報道は、その点で事態の順序を理解していないと言ってよいでしょう。

そして、実を言えば今回の弾道ミサイル発射は、中国が台湾への本格的な上陸作戦能力に欠け、台湾本島にも上陸作戦に適した海岸線(上陸適地)が10%ほどしかなく、海軍と空軍も台湾周辺で海上優勢(制海権)や航空優勢(制空権)を握る能力がなく、むろん海上封鎖の能力にも乏しいことを自覚した結果でもあるのです。強硬姿勢を示すには、弾道ミサイルの発射しか手段がなかったのです。

これまでにも書いてきたように、台湾に上陸侵攻して占領するためには第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦に匹敵する100万人規模の陸軍部隊を投入する必要がありますが、中国にはそれに必要な3000万トンから5000万トン規模の船腹量を捻出できるだけの船舶がありません。2隻が就役した4万トン級の強襲揚陸艦と海兵隊(陸戦隊)の上陸作戦の能力は限られたものです。

海上封鎖にしても、特に日本と領海を接する台湾北東海域は日米の海空軍と軍事衝突する可能性が高く、しかも世界の頂点に位置する日米のASW(対潜水艦戦)能力などの前には、脆弱性をさらさざるを得ない中国海軍は封鎖線を展開することさえままならず、台湾を出入りする船はこの海域を利用できることから海上封鎖は成り立ちにくいのです。

海上優勢や航空優勢にしても、マスコミに登場する航空機や艦船のカタログデータではなく、編成途上にある空母打撃群と航空機運用の習熟度や、ハイテク化されるほどに重要性を増すデータ中継衛星など軍事インフラの角度から眺めると、中国軍の能力に対する評価は一変するはずです。

ことあるごとに登場する空母キラー(対艦弾道ミサイル)にしても、時速50キロ以上で移動し、米本土と比べても最も濃密なミサイル防衛の傘を差した空母打撃群を攻撃する能力は、それが備わっていないのは軍事インフラを見れば明らかです。空母キラーを機能させるには、発見→位置の確定→継続的追跡→空母の重層的な防御の突破→戦果の確認という流れに必要な能力が備わっている必要があります。韓国の打撃力と同じキル・チェーンという名で呼ばれていますが、中国側には索敵から戦果を確認するまでの動きに必要な衛星(データ中継、偵察)、レーダー、偵察機などが基本的に不足しており、米空母側にはキル・チェーンを寸断する能力が備わっているのです。


このような中国に対して、ペロシ訪台時に米軍がどのような凄みを見せたか、少しご紹介しておきましょう。事前にミリー統合参謀本部議長が「訪台は望ましくない」と懸念を伝えていたように、軍事の専門家集団にとってペロシ訪台は厄介な動きでした。しかし、シビリアンコントロールのもと、米軍は任務に忠実に不測の事態に備え、中国を圧倒して見せたのです。

ペロシ議長の一行はマレーシアのクアラルンプールから台北入りした訳ですが、直行すれば4時間ほどのコースを7時間かけてフライトしました。これは中国が管轄権を主張し、埋め立てた岩礁に滑走路などを建設している南シナ海上空を避けたためです。

中国との関係が良好であれば、ペロシ議長を乗せた空軍の要人輸送機C−40C(ボーイング737のビジネスジェット版)は南シナ海上空を直行できたでしょう。しかし、中国が反発する中での訪台です。沖縄の嘉手納基地から出動したKC−135空中給油機5機を伴ったF−15戦闘機18機が護衛した状態ですから、南シナ海上空の飛行は軍事衝突を招きかねません。しかも、中国の海空軍の戦闘機は夜間の洋上飛行にはまだ不慣れです。威嚇するために接近してきたのが、機体が接触したり衝突する場合もある。それで迂回ルートをとった訳ですが、同じとき米軍は中国側がたじろぐほどの戦力を台湾周辺で突きつけていたのです。

フィリピン海から沖縄東方海上にかけては、原子力空母ロナルド・レーガン(FA18戦闘機48機を搭載)、強襲揚陸艦トリポリ(F−35B垂直離着陸ステルス戦闘機20機)、同アメリカ(同)がそれぞれ護衛艦艇を伴って展開していました。戦闘機だけで実に88機。これはオランダの空軍力に匹敵する強力な布陣です。そして、この戦闘機を活動させるために37機のKC−135空中給油機(嘉手納基地所属機15機、増強部隊22機)が出動したのです。1機のKC−135はこれらの戦闘機10機平均を満タンにすることができます。37機のKC−135は延べ370機の戦闘機を満タンにすることができる訳です。FA18同士でも空中給油は可能です。

これは台湾周辺に展開していた空母遼寧と山東を含む中国海軍に壊滅的な損害を与えるに充分だったことは言うまでもありません。特に中国が苦手な夜間戦闘になれば、その結果は目に見えていました。

この米国側の本気度と凄みを見せつけられたせいだけではないでしょうが、中国側は台湾周辺での軍事演習をペロシ議長が台湾を離れたあとの8月4日から7日の間に設定しました。

とにかく中国としては、11月の共産党大会での習近平国家主席の3選続投を控えています。メンツをつぶされたままでは、国内世論の突き上げでその路線が揺らぐかも知れない。弱腰でないところを見せるためには、日本の排他的経済水域を含む演習海域に弾道ミサイルを撃ち込むのが、それなりに望ましい選択だったのです。

海上封鎖を含む台湾有事の問題は、これまで述べてきた要素や条件を踏まえて眺める必要があるのです。

日本としては、基本的には台湾、米国との連携体制を構築し、中国の軍事的動向に対する緊急展開能力を整備し、その兆候が察知されたら日本と台湾の国境線に日米の部隊を緊急展開する演習を頻繁に展示する必要があります。その日米台の断固たる姿勢が中国側に軍事行動を躊躇わせる有効な抑止力となるのです。

日本が同時進行で進める必要があるのは、ミサイル防衛、反撃、サイバー防衛の能力を備え、大都市にまずは通常弾頭用のシェルターを整備することですが、上記のような緊急展開能力の整備も忘れてはならないと思います。

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