
コンピュータはクリエイティブ?人間にできること
コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」です。(略)目的を与えれば人間には太刀打ちできないスピードと精度でそれを処理しますが、それは「やりたくてやっている」わけではないでしょう。
落合陽一著『これからの世界をつくる仲間たちへ』を読んでから、コンピュータにできることは何か、できなくて我々にできることは何かと言った差を考えている。
落合(2016)は「モチベーション」をコンピュータになくて人間にあるものと考えている。
確かに、そうだ。じゃあ、モチベーションを起点として人間にしかできない点はあるのか考えてみた。
モチベーションを要するものとして、何かを創造するというものがある。
よく、AIに負けないためにクリエイティビティが必要だなんて言われている。
しかし、これもなかなかコンピュータに太刀打ちできなさそうだ。
というのも、新しい発想というのは既存の知識と既存の知識の組み合わせで、その組み合わせが今までにないものであるから、新しいと言われるのだろう。
ただ、単純に何かと何かを組み合わせてアイデアを生み出すとなると、総当たり戦になり、コンピュータに敵わないだろう。
アイデアの質を高めるのは大量にアイデアを生み出すことだ。
量が増えれば、すごいものが生み出される確率も高くなる。と言われる。
そして、エジソンなんかが引き合いに出されて、天才もたくさん失敗してるんだよ、いっぱいチャレンジしようねという話になる。
確かに、そうかもしれない。ただ、ここで量を増やすのが質を高めるというのが成り立つとすると余計にコンピュータの方が得意な作業になってしまう。
ここで、a=b✖︎cで新しい組み合わせを作るとする。bをいっぱい変えて、cをいっぱい変えて、大量のアイデアが出るとする。
ここに、コンピュータを使い人間はどうやってアイデアの質を高められるだろうか。
ここで一つ提案してみよう。
コンピュータは既存のb✖︎cを蓄積している。
そうなると、b✖︎cのセットが既存のもの(アイデアの質が低いもの)、例えば検索ヒット数が多い、論文数が多いものなどを除き、b✖︎cで総当たりにかければ、よりアイデアの質が高いものを見つけやすくはなるだろう。
ただ、ここで難しいのは、質の高いアイデアとは既存の枠組みを超えた、前提を覆すようなものであるということだ。
(もちろん、質の高いアイデアの条件について、検討余地はあるが)
では、人間がモチベーションを持って、コンピュータに総当たり戦をさせる際に、既存のジャンル✖︎既存のジャンルをさせると、そこまで面白いものは出ないだろう。
え、そことそこ組み合わせる?どうやって?と目を疑わせるようなもの同士を組み合わせるのが素人の考えであり、面白いアイデアと言えるだろう。
そこから、玄人の目を持って、実現可能性の高いもの、実行に移せるものを取り出すのが良いのではないだろうか。
ただ、ここまで考えていて思うのはコンピュータはあくまでクールでモチベーションがなくてバイアスがないということだ。
人間はどうしても既存のバイアスにかかってしまう。それゆえ、新しいものを生み出すというのはなんのしがらみもない素人的な目を持てるコンピュータではないだろうか。
そこから生み出されたものを、ただ変な組み合わせなのか、コンテクストにあった創造的なものなのか判断をする。これが人間にできることではないだろうか。
やはり、どのアイデアも人間の世界に取り入れるものであることを考えるとそれが実現可能かどうかという判断を迫られる。それすらも再構築するアイデアもあるかもしれないが、それは社会に受け入れられづらいものになるだろう。
社会的合理性とでもいうものを持ち合わせているのが人間だ。
総当たり、処理などとなるとコンピュータが得意である。
ここは人間として受け入れられるのか、受け入れられないのかといった倫理的な観点も人間でしか考えられない線引きできない、あるいはしてはいけない部分なのかもしれない。
コンピュータとの文化交流は続く…
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