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嫌なことから逃げるなら努力が必要

働いてない女、まつ子です。

今まで頭に「ギリギリ☆社会人」って付けていたのですが

もはや社会人でも何でもないので爽やかで前向きな名前に改名しました(´▽`)

今私がやっている事と言えば

専ら趣味の演劇の戯曲を書くことなのですが、

まあ進まない。書けない。

どんな内容であれ自分から文字を産み出す行為は

イヤでも自分と向き合うことだなーと思いました。

それって慣れてないと結構しんどい。

久々に戯曲を書くし、noteにしろアメブロにしろ、トライしては毎日更新に挫けて、「書く」事を習慣にできていない私は

アウトプットができない。しにくい。なかなか文字が出てこない。

気分を変えようとカフェに行っても、筆が進まない。

ただ毎日カフェに居る、謎のカフェ好きの女です。

人の文章を読んだり好きな舞台のDVDを観て気持ちを高めたりもしますが、

結局は、自分が紙やパソコンと向き合い、一文字ずつ作ったり消したりして

泥臭くちょっとずつ積み重ねて進めていくしかないんだなーと思いました。

そもそも「面白いことを書こう」とか、そういう甘い考えから抜け出せてないから書けないんだと思う。

カスみたいなものでも最後まで書ききるってことは

現時点での自分を受け入れないと難しいことだと思いました。

だからカスでも出せたら花マル。

日々そんなことを考えていると、

自分自身の働き方についても猛烈に思うことがありました。

それは、

我慢ができないなら努力をしなくちゃいけないってことと、

会社勤めだろうが何であろうが、1個ずつ積み上げていくしかない。

ってことです。

未だに仕事のメールやチャットのチェックを命ぜられているので、

同僚の出張に次ぐ出張や、

二転三転するクライアントの要望に応える姿を垣間見るたびに、

自分は仕事から逃げたんだなーと日々実感しています。

もう我慢できなかったんですよね。ヤだった。

毎回毎回、私、我慢できずに辞めてる。

だからもう同じことを繰り返しちゃいけないと思いました。

それを繰り返すことは労働者の中で圧倒的弱者になるし、会社にとっても迷惑です。

そんで、我慢と努力は別モノで、

私にとって、我慢をするってことは、努力することよりもお手軽なことのようです。

我慢は受身で、努力は能動的。

我慢は創り出す苦しみとか、自分と向き合って丁寧に考えることをしないで済む。

ついつい怠けて、適当に就職して我慢して働く日々を送ってきましたが、

我慢スタイルの働き方だと長く続かない(:_;)

じゃあ今後、今までみたいな我慢スタイルではなくお金を稼ぎ続けるには、どういう作業を自分の仕事にするか、

その仕事を得るために必要な行動は何か、

さらに、その行動を積み重ねていく。

それは簡単なことではないよなーと思いました。

ラクに何かを手に入れることはできないし、

努力と工夫と行動の積み重ねから、逃げてはいけないと思う日々です。

それではね!

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