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嫌な言葉に支配されそうになったら。

時に誰かの言葉に傷付くことがある。投げられた言葉が暴言であれ正論であれ、その時の受け手の状況によっては重いものとなることがある。

酷いことを言われたと愚痴った後に、明らかに相手がおかしくとも、そもそもそういう事態にならないよう自分が気をつけなさいと言って育てられた私。これは、実は結構きつくて、先に察知ができて回避できたならまだしも、そうじゃなかった場合、自分が悪くなくてもわざわざ悪い部分を自分の中から探し出して、だから仕方ないんだという納得で終わらせてしまうことがある。現に、私は様々な嫌だったことを自分の中で握りつぶしてきた。

口撃されたり、当てつけや、その場を収める為だけの生贄にされたんだなと感じたこともあった。そういう経験は、やられた方の心をおかしくさせる。他者から受けた傷を自分で治すことが出来たならもちろん素晴らしいことだが、心がおかしくなっている時には難しいものだ。以前、数日間パワハラ的な言葉を浴びた後、これはちょっとマズい方向に自分が行きかけていると感じたことがあった。外では毅然としていても、家に帰ればいつもできるようなことができない。安心できる場所にいたとしても、脳内ではずっと口撃がリピートされている。相手がおかしいんだと分かっていても、自ら否定できるだけのエネルギーが残らなかった場合、嫌だったはずのことを肯定しそうになる。自分が上手くやれなかったからだと。それでも私がマズい方向に行かなかったのは、浴びせられた負の言葉を全部否定してくれた人がいたからだ。あなたはそんな人ではないとはっきり言ってもらえたことで、頭の中で再現される罵詈雑言の世界から抜け出せた。

自分をすり減らしてしまっている時、解決策を考えるよりも先に、纏わりついている負の言葉を切り離して自分を取り戻した方が良い。誰かに寄りかかり続けるのは違うけれど、友達でも家族でもお医者様でも、プチンと切ったり剥がしてくれる人がいれば、頼っていいのではないか。心が元気であること、まずはそれが何より大切なのだ。作戦を考えるならその後だ。







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