「忙しさ」を冷静に見つめた先にあったもの

ぴよ🐥です!いつもありがとうございます(^_^)

今日は、「忙しい」って死にそうになった時に、ふと我にかえって冷静になったら気づいてしまったことについて。気づいた瞬間「チーン」って終わりの鐘が頭の中で鳴った(TДT)


今日も相変わらず忙殺された日を過ごしていた。本当は定時に帰りたかったけれども、帰れず(泣)
仕事終わってトイレで手を洗っているときに、ふと「私は一体今日何に時間を使ったんだ?」「何でこんなに忙しいんだ?」「昨日と比べて成長したって言えるのか?」と妙に冷静になった。体中の力が抜けるような軽い感じなった。

冷静に今日の自分の行動を振り返った結果、私は「作業」しかしていないことに気づいた。しかも、大した量の作業をこなした訳ではない。さらに、認めたくないけど「雰囲気で忙しい」だけだった。もっと言うと、昨日の自分と今日の自分を比べても大して「成長していない」ことが分かった。なんとまぁ!!!

で、で、さらに、どぎつい事実にも気づいた。それは、ここの会社で今の私のポジションでの成長って「作業が速くなること」だけだなぁと思った。むしろ、会社自体が「何かを生み出す」ことではなく、「作業をこなす」ことに時間を使う傾向にある会社だと気づいてしまった。それが文化だと思っていて、社長はじめ役員さえ、おかしいということに気づいていない。
これ、マジでマジでヤバい!

「忙しい」という言葉を口にすることで、そんな雰囲気に飲み込まれて冷静さを失い、しまいには作業に振り回されることになるのかもしれない。

言葉は現実化するって言うけど…口にすると途端に忙しい風になるのはそのため?また脱線しちゃった(笑)

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