散歩の日

語呂合わせで、東京商工会議所のシブヤ散歩会議が10月9日に記念日を制定。語呂合わせは”てくてく”となるらしいが、私の理解を超える。

永井荷風を生涯に渡って読もうとしているのであるが、
サラリーマンの言い訳で、なかなか目を通す時間がなかったりする。
すると、”時間がない”というのは意識高い系の人から、能力がないと揶揄されてしまう。ご指摘は甘んじて受けよう・・・
「深川散歩」なる名文があるが、このnoteもそんな文章を書きたくて書いているところも多少ある。荷風は散歩しながら、アポリネールの「坐せる女」を思い出している。きっとたくさんの読書の中から、ふと相応しい情景が頭に訪れるのであろう。とても羨ましいと思う。こちとら、たしかにそんな能力がないから、”今日は何の日”に紐づけていろんな読書をしていって、毎日の箱にぶち込み、毎日の”何の日”にフックをかけて思い出そうとしているのである。

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今日は、大佛次郎の誕生日だ。
紀伊の宮大工の家に生まれた。野尻抱影を兄に持つ。抱影は英文学者であるが、星を調べたことが有名で、冥王星は泡影が名付けた。

Jirō Osaragi naît à Yokohama. Son père est un charpentier pour temples bouddhistes originaire de la province de Kii, qui a reconstruit un certain nombre de bâtiments principaux et portes de temples renommés. Son frère ainé, Hōei Nojiri, est un astronome et universitaire réputé de littérature anglaise.

白金小学校を卒業、彼はのちに小説家になりたったと思い出を書いている。
小杉天外の娘は同級生であった。一高時代に寮生活を描いた”一高ロマンス”を執筆、これが処女作となる、演劇にも興味を持っていた

Diplômé avec les honneurs de l'école primaire Jinjo de Shirogane, il écrit plus tard dans ses mémoires qu'il a souhaité devenir écrivain en sixième année, quand la fille de Kosugi Tengai était une de ses camarades de classe. Il fréquente ensuite le lycée Furitsu Daiichi. Encore lycéen, il publie sa première œuvre, Ichiko Romance, qui décrit la vie dans le dortoir de l'école. Il s'intéresse également au théâtre.

東京大学で政治学を学び権威主義に抵抗感をいだく。鎌倉女学院の教師に赴任、語学力をかわれ外務省に勤務とトントン拍子に出世したが、1923年の関東大震災を経験し、作家として人生を送ることを決意する。

Osaragi est inscrit au département de science politique de l'université impériale de Tokyo, où il développe un sens aigu de la résistance à l'autoritarisme. Après ses études, il obtient une affectation comme enseignant au lycée pour filles de Kamakura (aujourd'hui lycée Kamakura Jogakuin), situé à Kamakura dans la préfecture de Kanagawa. En raison de ses compétences linguistiques, il est recruté par le Ministère des Affaires étrangères en 1922, et travaille pendant un an environ au bureau des traités. Cependant, après le séisme de 1923 de Kantō, il décide de se consacrer à plein temps à l'écriture.

さて、大佛次郎の執筆したものは膨大である。「鞍馬天狗」はあまりにも有名か・・・テレビシリーズにもなり、昭和初期のテレビをつくった人でもある。また、「ドレフュス事件」「パリ燃ゆ」などフランスの歴史や文化に関係した本を書いている。

大佛次郎のエッセイに今日は目を通してみた。
淡々と書く筆致にさすがと思いながら、フランスにいった文章をみつける。
日本から持っていった買い物袋を下げて時計屋に入ると400万もする時計をみせられドギマギする。それを佐藤敬画伯におそらくそれはアラビアの石油王と間違えられたんだと説明される。石油王は小切手でなく買い物袋を下げているそうだ。
少し酒がすぎた翌日にはライスカレーが食べたくなると、”だらけた胃をカレーで驚かす要求が起こるのだろう”と書いているのに、ちょうど昨日飲み会だった私も頷きながら目を進める。ライスカレーが日本料理になったことを確認してから、インドに行ったときの話が書いてある・・・

強烈なにおいで、食う前から胃袋がちぢんだ。さていよいよ料理が出て口に入れたら、火事のように熱い。からいのではなく熱いのである。それでも日本人向きにマイルドに加減してあるのだと聞いた。一匙食っては大きく息を吐き、あわてて水代わりのビールを煽って鎮火につとめた
           (「ライスカレー」 エッセイセレクションより)

ボルディーニの絵画を買ったときにこんなことを書いている。

雨の日などの独居に、そこにいるとも感じさせぬ屏風の中のつつましい女の姿に目が行った時、どんな心持ちがするかと、思うだけで、わびて花やいでいた。なんとも言えずしずかで美しい・・・
            (「初冬の花」 エッセイセレクションより) 

ちょうどボルディーニの「坐せる女」という作品をネットでみていたので
ちょっと楽しくなった。折しも雨だ。

画像1

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大学時代のフランス語の恩師は、私が在学中に大佛次郎賞をもらった。
それで、大佛次郎って誰だ?ってきいた学生がいて、失笑をかっていた。
実はそのとき、同じ質問しなくてよかったと思った。

いまは偉大さがわかる。
賞の偉大さも、恩師の偉大さもである。

偉大なものに私もならんと欲す。

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<来年の宿題>
・散歩と文学☆
・文学散歩の本を読む
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