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グランド・ツアー

2009年の4月28日の記事である
「世紀末のメランコリー」と題されている

エドマンド・バークは、フランス革命を徹底的に批判した
啓蒙主義により獲得した「人間の知力」など
古来からあるもの「=制度」には決して及ばないと
人間の知による「進歩」など取るに足らんものだ
と跳ね返す
その印象から自分などは、
保守的な”爺さん”的なものを感じるのだが
「崇高と美の観念の起原」を読むと一筋縄ではいかないなあ
と思う
なぜなら自由がもたらす不幸を予言しているからだ
自由になりたいならなれ
でもお前は幸せにはなれんぞ!
と腕組みし、余裕たっぷりなのである
自由がもたらす人間の不幸を
彼は早くも看破していた
18世紀の半ばのことである
季節季節のことをすれば悩まないですむという
処世術がある
正月からはじまり節分ごとに人は神とともに
行事をこなして生きてきた(と思う)
生きるマニュアルは宗教もあるが、それ以外に
自然と一体であった。
産業革命の勃発により、機械化が進み
自然と人間が分化した
つまり人間が自分で自然を搾取の対象とみだしたのだ
マルクスがもうすぐ「資本論」を出す
そんな時代である
その疎外とは人間をマニュアルから解放することであった
18世紀末には世紀病が出る
みんな好奇心に飢えていくのだ
「不思議な国のアリス」は18世紀に書かれたが
主人公アリスの口癖は”curiouser and curiouser”
である
18世紀になんでも見てやろうという動きがある
これをグランド・ツアーという旅行が流行る
イタリアの自然あふれる風景をこの目でみたいと
いったものである
好奇心の満たされないことに対する処世からでたものだ
こういった好奇心は 向上心の芽生えではなく
魂の不幸をがもたらした産物である
対象から疎外されたとき
見るものと 見られるものの2項対立となる
対象は表象化される
バークの著作の中では
見るもの/見られるものという構図から
自分は見る側にいて、サディスティックにも
カタルシスを見たいと要望する
世紀病は憂鬱(ボードレール)となって噴出し
メランコリー、スプリーンとよばれる倦怠の空気が蔓延する
20世紀末を振り返って世紀病の端緒はみられるのだろうか
もう検証してもいいころかもしれぬ

まず、グランド・ツアーという用語が出てくる
旅行は上流階級における教養の一つであった。
ピクチャレスクと呼ばれる芸術の様式にまで影響を及ぼすのだが、
これが鎖国されているはずの日本にも伝播している、つまりは人間の知的欲求における共時的な類似性を示している。このことは「黒に染める」(高山 宏氏著)にかなわないので、そちらを参照されたいが、簡単にいえば東海道五十三次などの なんでも見てやろう という欲求に類似する。
可愛い子には旅をさせよ というのは グランド・ツアーなのだが伊勢参りなどの”講”になっている。中でも落語の富士講は口ほどにない江戸人の脚力のなさを描いていて、実に興味深い。

 これに加えて、ピーターターチン(Peter Turchin)氏の仕事(データ中心に歴史や社会を捉え直す)が面白いと思っていて、2000年も前から注目される都市は変わっていないそうである。それから、過去8世紀における人々の移動距離も飛行機の出現や船の改良に関わらず 「長距離を移動する確率は現代人も同程度だ」(→ 参照記事 )とのことだ。
 データに注目して、ピクチャレスクや江戸時代の講のありさまを捉え直すのは面白いかもしれないが、さらに、今回まさにタイムリーな
 La mondialisation du confinement (外出禁止の世界性)も非常に興味深い記事だ。一部紹介しよう

Ces inégalités jouent un rôle majeur dans l’impact du Covid-19 sur nos sociétés. En effet, les pandémies surviennent plus particulièrement durant les périodes d’accroissement des disparités sociales. Peter Turchin observe une corrélation historique entre le niveau des inégalités, l’intensité des liens entre territoires éloignés, et la violence des pandémies. En effet, plus une classe s’affirme dans son aisance, plus elle dépense dans la consommation ostentatoire, souvent dans des produits de luxe originaires de lieux éloignés. Or les virus voyagent avant tout avec le commerce de longue distance. Ce fait n’est pas nouveau : l’effondrement presque simultané des empires chinois et romain dans les premiers siècles de notre ère s’explique en partie par la virulence des épidémies qui se diffusaient le long des routes commerciales. Mais les mobilités étaient alors sans commune mesure avec celles d’aujourd’hui. Pour les flux humains mondiaux, la différence est particulièrement marquée pour les classes supérieures. Leur sociabilité a toujours été internationale, voire cosmopolite. Mais leur mobilité a pris une nouvelle dimension sous l’effet de la globalisation, et de l’urbanisation planétaire. Dès lors, face à un nouveau virus à la fois hautement social et difficilement détectable, les classes supérieures se sont présentées comme un potentiel super-diffuseur collectif. Et cela a bien été leur rôle pendant l’hiver 2020.

抄訳:この格差は、ウイルスの感染流行にも重要な役割を果たしました。
格差の激しいところでパンデミックが発生しているのです。その伝播の様子は、ある種特権クラスが、遠方の豪奢な物品を求めるのと相関を見せています。つまり、ウイルスも豪華品を求める消費活動のため距離を動くのです。
このことは目新しいことではありません。ローマ帝国と中国文明の滅亡の同時性は貿易ルートを伝わった疫病によって一部説明されましたし、特権階級は今日までずっと国際的で社交性のコスモポリタニズムを備えているのです。さらに、加えて今日のグローバルな状況と飛行機による伝播の加速が挙げられるのです。その結果、非常に社会的で検出が困難な新しいウイルスに直面して、上流階級は潜在的なクラスターとして彼ら自身を提示しました。そしてそれが2020年の冬の間の彼らの役割だったのです。

この記事をまだ鵜呑みにはできないが、その通りなら複雑性による危機そのものである。数値による正しい分析と理解を進めていきたいが、上流階級こそクラスターであるという観点が正鵠を得ているとするならば、日本の入国禁止の遅れは、致命的といっていいのかもしれない。そんなこともあとから反省すべき教訓となるのであろう。
 引用記事はやや論理の飛躍がありすぎるので、書き直すのもめんどくさいが、ライフワークとして、 history of idea をデータ化すると 捉え直しによってモチベーションを保っていきたいことをここにメモする。

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