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即席ラーメンの日

日清食品の創業者でもある安藤百福が即席ラーメン(チキンラーメン)を発売したのを記念した日である。

即席というのは中国語である
(こんな風に書くとたいていの言葉は中国語になってしまう)
即席(jixi)は用意せずその場で”即興で”みたいな意味である。
台湾生まれの安藤(呉)百福、後の日清食品の基礎をつくりあげる。
戦禍により国民が飢えていたのを見かね厚生大臣(Le Ministère de la santé)がアメリカが供給する小麦でパンをつくれと言ったのに対し、安藤は日本人は麺がすきでよく食べているのにどうしてパンなのかと疑問をもった。すると大臣は麺を製造する会社では国民に対して供給量が足りないのではと懸念を示した。それでは麺を普及させるのにはどうしたらいいか研究に着手する。そしてこの経験が”食足世平”(日清食品の理念)を世に認めさせることになる。

Au sortir de la guerre, le Japon souffre d'un manque de vivres. Le Ministère de la santé essaie d'encourager la population à manger du pain, fait de farine de blé fournie par les États-Unis. Ando se demande pourquoi l'état recommande la consommation du pain, alors que les Japonais sont beaucoup plus habitués aux nouilles. Le Ministère lui répond que les entreprises fabriquant des nouilles sont trop petites et instables pour satisfaire les besoins de la population. Ando décide donc de développer la production des nouilles lui-même. L'expérience le convainc que ≪ La paix viendra au monde quand les gens auront assez à manger. ≫


”食足りてはじめて世が平和になる”
La paix viendra au monde quand les gens auront assez à manger.
はたしかに一義ある。
ところが、最初に開発にずいぶん苦労したのであろう、最初の値段は35円。
当時のうどん・そばが約6円だったのでおよそ6倍の金額だ。

Le 25 août 1958, après des mois d'expérimentation, Ando annonce qu'il a finalement perfectionné sa méthode de cuisson rapide, inventant les ≪ nouilles instantanées ≫. Il baptise son invention ≪ Chikin Râmen ≫ (チキンラーメン), d'après le nom générique (Râmen) des plats japonais à base de nouilles, et ≪ chikin ≫ provenant d'une déformation du Chicken, nom anglophone du ≪ poulet ≫ (la première saveur du produit). Son invention est au départ une nourriture de luxe, puisqu'elle coute 35 \, soit environ six fois le prix des nouilles traditionnelles d'udon et de soba.

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晩年の彼はかつてから関心をよせていた食の文化的な面の研究から
ラーメンの起源にせまり、石毛直道とともにシルクロードをめぐり
ヨーロッパまで源流をたどっていった

安藤によれば、ラーメンは中国起源でシルクロードを通ってイスラム文化によってイタリアにパスタをもたらしたと壮大な結論にいたる。
この結論の真偽は不明だが百福の名は、間違えなく世界の麺の歴史にその名を刻むのである。

 多くの人に安価に食べ物を届ける、その理念には感服するが、安価にという部分を多少見くびった部分があるのではないだろうか。
こと日本について言えば、食えればなんでもいいという時代はとっくに過ぎているように思われる。出されたもんはつべこべ云わずに食べろという封建的な思想も死に絶えた。それよりもいまは個人の責任が問われる時代がきたといってもいい。自分の食べるものは自分で探すんだ。ライフスタイルは押しぎせではいけないし、みんなと一緒のものを食べる必要なんかないんだ。
こういうとグルメを気取ってお高くとまった奴に思われちまうかもしれない。でも、それは違う。自分でそんなことも考えなくてはいけない時代になったということだ。さらに感染症流行がこれをさらに先へ進める。政府の判断と自分の判断が合わなかった場合に、自分の判断を生命のために優先していい、というか優先しないといけない時代なのだ。
  サラダ油(日清オイリオの商品名)が危険なことは、油の日でも触れた。
政府がいくら危険な食物を野放しにしようと、健康で長生きしたいなら、政府の責務の前に自分で安全を確保する時代に入ったということである。
即席麺についてもいうまでもない。丹精込めた料理と即席の差は品質の差以上のものがあると思う。
  ちなみにサラダ油の危険をはじめて知ったのは日本のサイトでなく台湾のサイトからであった。つまり日本の問題だけでなく、世界的な問題である。つまり、日本の国はうるさいから海外で売ろうとしても駄目である。そして、各企業は個人の選択に対して、その要求に応えなければいけない使命を持つ。
(ここまで書くとやや言い過ぎか・・・)

上一篇讲了手机的微波对大脑的危害,其实日本著名脑科学专家、医学博士山嶋哲盛,是因发现失智症的主要病因在于色拉油(サラダ油,又译为沙拉油,广义上指家庭常用的精制植物油,包括常吃的豆油、玉米油等)产生的神经毒而闻名,因此他在《百年贤脑 · 健康法》系列书中的第一部,最大篇幅揭示的,就是常年食用现代精炼色拉油,对大脑的严重损害
[...]
不过也正因为大脑主成分是油脂,而且很多油脂中的一些脂肪酸,人体不能自行合成,需要食物补充,这就使得食用油与大脑的健康关系非常密切。食用油的好坏,影响着大脑神经细胞的好坏,莫要小看看似精制的色拉油中含有的大量毒素。

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今日はウェイン・ショーターの誕生日でもある。
日本のレコード会社も当然彼にインタビューを試みている。日本向けのインタビューと、海外でのシャイでロマンを夢想し宇宙の話になってしまうショーター。どっちが素(す)なのかはわからないが、日本向けにはリップサービスが目立った。マンディ(穐吉敏子の娘)とマイルス・デイヴィスと映画を観に行った話をしたりする。まぁそれもジャズファンとしては欲しい話ではあるのだろう。しかし、彼の演奏についての話は日本向けには彼は披露しなかったようだ。出てくる話はロン・カーターはまじめで、ジャコはいつも走っていた、という程度であった。
海外での彼へのインタビューにおいて、聞き手は苦慮を強いられる。彼の話はすぐに宇宙に飛び出し抽象論に終始し主旨がわからなくなってしまう。そこで、モード・JAZZについて絞って話をきいてみようと工夫をした。
ニューヨーク大学を出たショーターはその質問に対して真摯に向き合った。
 モード・ジャズ=モードイディオムとし、1940年にその原型があったことから語り出した。”セロニアス”と”イン・ウォーク・ド・バド”にすでに萌芽していて1950年で脚光をあびた。”チュニジアの夜”もモードを予感させるが、マイルスが”煮詰めた”という。もっともショーター自身はそんなに意識はしていなかったらしく、ヴォルター・デイヴィス・Jrに演奏を教わりながら、また、あの吹き方が格好いいなと思ったら真似してみたら、あとからそれがモード・イディオムだと知ったという。
 リー・モーガンとの出会いが強烈で、モーガンはきちんとモードのことを意識していた。それで、ショーターは自分の演奏をモードフィーリングと語るのである。さらに、コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」をきいてみよ、きちんとモード・イディオムに基づいて演奏していることがわかるから、という。そうしたモード路線にいかに自分の感性が盛り込めるか、そこがモードの面白さであり、感性が試されてしまう難しいところでもあるという。
ともあれ、ウェイン・ショーターは、マイルス・ディヴィスとともにモードをやり、そして離れた。マイルスとの音楽性の違いについて

マイルスはモード・イディオムによってこれまでに浮かばなかったインスピレーションを得ようとしていた。わたし(ショーターのこと)はそうではなくて、イマジネーションをもっと発展させるためにモード・イディオムを用いていた。これは同じように思われるかもしれないが、似て非なるものだ。アプローチは全く違う

モードをイマジネーション発展の基礎として使うか、それとも制限として使い、逆説的にイマジネーションをふくらませるか。
彼らの考え方の違いは演奏の中にしか現れないので演奏を聴くしかないが、
聴いたところでモードに関する違いまで聴き比べが効くのかどうか・・・
 モード云々はこの際おいておいて、ミーハー的に、マイルスに対してでさえも自らを比較する個性と音楽に対する自立を感じる。
そうジャズメン達、それもジャイアントとともなると、自分のスタイルなり、態度が演奏を離れても確固とある人物が多い。

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 未来を見据えると、たとえサラリーマンであったとしても自分をしっかりともち、個性を打ち出していくのが、これからの生き方だろうと思う。
即席ラーメン、アンディウォーホールが大統領と同じものが飲めると肯定したキャンベル・スープ。

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だが、いまや大量消費に支えられた経済の歴史は終焉を迎えようとしている(すくなくとも人口が減っている)
即席ラーメンは、ときどき懐かしいと思って食べるもので日常品から非日常品になっていくことであろう。現に、どこかの有名ラーメン店とのコラボ商品をコンビニはならべ、かつてはカップヌードルが独占していたインスタントの棚も多様化しつつある。
 この多様化こそ、これからの社会のキーワード。個人それぞれの選び取りが重要な要素となってくるのである。
 人それぞれのモード・イディオムこそ求められている時代になったといえよう。

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<来年の宿題>
・ラーメンとパスタとシルクロード
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雪山で食べるカップヌードル。確かに最高だ。

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