【3分で学べる偉人の名言】 果たして人生は「永遠に続く山登りである」のか?
今回の名言は、私の務める会社の上司が教えてくた言葉である。
この名言はとても共感できるし、哲学的な要素も感じる。
まず、私はこれを見てすぐに「夏休みの宿題と一緒だな」と感じた。
面倒なこと(困難)を後回しにすればするほど、それを乗り越えるのが大変な作業になるという一面は共通しているように思う。
また、誰かとけんかした後に「早めに謝っておけばよかった・・・」と思う苦い経験も、この言葉が意味することとリンクしているだろう。
哲学的だと表現した理由としては、仏教的な考え方と似ている気がしたからだ。
仏教では「一切皆苦」(この世界の全ては苦しみである)という、超スーパーミラクルネガティブ思考でこの世界を見つめ、それでいてこの苦しみの輪廻から抜け出す(解脱)というウルトラC難度のゴールを目的としている。
ちなみにではあるが、「四苦八苦する」という言葉は仏教用語で、人間のあらゆる苦しみのことを表している。
生・老・病・死の「四苦」と、それに愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとくく)・五陰盛苦(ごおんじょうく)を加えた八苦でこの世の全ての苦しみをコンプリート!
ある仏教学者が言うには、人生は全体として登り坂であり、その坂をよく見てみるとノコギリのように小さい山の連続が連続している状態なんだとのこと。
その一つ一つの小さな山を、どのように越えていくかという戦略を立てることが「人生をどう生きるか」というテーマになる。
これらのテーマに関しては、様々な自己啓発本などにも書かれているなテクニックを駆使して、なんとか山を乗り越える術を身につけていくことができる。
しかしもう一つのテーマに、そもそも、「なぜ山を登らなけれならないのか?」というものがあり、これがすなわち「なぜ生きるのか」という大きなテーマとなっている。
その答えのない問いに自分なりの答えを見つけ出すことが大変な作業なのであるが、その答えを探すヒントをくれるのが「仏の教え」である仏教なんだそうだ。
ちなみに、仏教的にはこの二つのテーマのいずれかでつまずいて、山を越えられなくなった時が「死」の時と捉えられており、体力的や年齢的に山を越えられないといったような人間としての普通の死も全てこの中に内包されている。
もし仮に死ぬまで小さな山(困難)を登り続けるしか生きる道がないのであれば、自分は果たしてどのように生きていたいだろうか。
「人生の終わりに自分が登ってきた道を振り返った時、少しでも高い場所から景色を見渡せるように、がむしゃらに登り続けたい。」
と考えるか、はたまた
「小さな山を越えることなく、今いる場所で幸せを感じることのできる人間でありたい。」
と考えるかは人それぞれであるし、同じ人でもその時々によって違ってくると思う。
私の場合は、その困難を少しでも楽しんで乗り越えられる要素を見つけることができたり、その困難を乗り越えた後の景色に少しでも希望や憧れを抱く事ができたら積極的に困難を受け入れたい。
そして、それ以外の困難からは積極的に逃げるようにしたい。
要するに、必要な困難を取捨選択できる知識や経験を身につけていきたいと(今のことろ)考えている。
そして、まずは明日の理想の身体を作る為に「間食を控える」という困難に立ち向かうことを決意したのだった。
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