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どうせ世界はツラいけど、それでもウチらはギャルをやる "対人支援"の現象学的分析 ファッションデザイナー/YouTuber millnaさん①

現在私は、カウンセラーやコーチなど、様々な対人支援者に対するインタビュー調査を個人的に行っている。この記事は、インタビューの分析の過程と結果を、逐次公開していくものである。

ファッションデザイナー/YouTuber millnaさん

今回は、ファッションデザイナーの「millna」さんにインタビューを行った。

millnaさんは、ロイター通信や日本テレビの「ズームイン・サタデー!」などの各種メディアで取り上げられているファッションデザイナーでありながら、「カワイイカルト」などのコミュニティの運営者でもあり、チャンネル登録者数約8万人のYouTuberでもある。

私が今回のインタビューの分析を通して提示したい問いの1つは、「YouTuberはカウンセラーと何が違うのか?」という問いである。

millnaさんは、CanCamなどの雑誌、youtubeチャンネル、カワイイカルトなどのコミュニティ、物販会場など、様々な箇所でファンとの交流を行い、メッセージを発信している。

今回のインタビューにあたって、millnaさんから嬉しかったファンの声をいくつか選んでいただいたが、以下のようなファンの声を、数多く確認できた。

ー「自己肯定感が低く、生きることが辛い日々を20年ほど送ってきました自分ですが、millnaさんの存在や言葉が、自分が一歩踏み出すきっかけを与えて下さいました」
ー「自分を晒すのが怖くてずっと逃げてきましたが、millnaさんに出会って、自分は何が好きで、何に心を動かされるのかという当たり前のことを、大事にできるようになりました」
ー「millnaさんは、自分が本当にやりたいことを画面越しに気がつかせてくれました」

このような彼女の活動への反響は、Webメディア等でもたまに取り上げられている。

一方で、millnaさんの活動は、millnaさん自身がアイドルとしてファンから「崇拝されてしまう」ことを避け、一人の人間として関わることへの強い意志に貫かれている。

私がこの分析を通して提示するのは、過去の記事でインタビューを行ってきた他の対人支援者と同様、彼女の活動が、特定の人間観と価値観に根ざし、特定の倫理観のもとで他者と関わり、より良い状態へと到るためのきっかけを作り出そうとする活動であること。すなわち、対人支援と同様の構造を持つことである。それを通して、「対人支援者とは何か?」という問いをより深めてみたい。

分析テーマ1:ツラい世界と【1.ギャルのテンション】

上記に掲載した写真からも感じていただける通り、millnaさんの実践は原宿カルチャーを代表とする「ギャルの文化」の影響を強く受けている。最初の分析として、millnaさんが「ギャル」をどう捉えているのかを分析していく。

結論を先取りしておくと、millnaさんの実践は、一貫して「ギャルの文化」へのリスペクトに基づいており、まさにこの「ギャルの文化」を実践していくことが、対人支援として機能していた。

[ブロック1: 【1. ギャルのテンション】]
millna シンプルに、私ギャルの文化が好きなんですけど、ギャルのなんかやり方って結構うまいなって思ってて、そう、なんか、「病み」とか、なんかそれこそオタク的な「むり〜」とか「つらぽよ〜」とか「ぴえん〜」とか、それってまさに軽いノリに昇華、昇華じゃないけどなんか変換する行為で、で、それって「ぴえん」であるだけじゃなくて「ぴえん」っていうノリがすでに共有されてるじゃないですか、すでに「ぴえんノリ」が。(中略)ギャルの言葉遣いうまいし、ギャルの言葉を使うこと自体が良い文脈を持ってこれるというか。
筆者 ギャルの文化って、すごい聞きたかったテーマなんですけど、どういうものを(ギャルの文化と)捉えてて、なんでハマったのかとか聞いてもいいですか?
millna あ、そうなんですよね、私がギャルだと思ってるギャルは本当はギャルじゃないのかもしれないんですけど、(中略)たぶんTwitterとかで言われてるギャルって、「バカ、明るい、でも本当はちょっと賢いかもしれないしちょっとエッチ」みたいな感じだと思うんですよ、正直。私の思うギャルってそんなに明るくなくて、どっちかっていうとなんか、結構病んでるんですよ。結構病んでるんですけど、一切それを表に出さない、それでもウチらはギャルをやるっていうテンションが私の中でのギャルなんですよ、なんでかっていうと、小悪魔agehaで結構ギャルは病んでたので。小悪魔agehaが結構原点にあるんですけど、あの、小悪魔agehaすごいですよ、明朝体みたいな白い文字に、ピンクのキラッキラを重ねてウチらの病みピンク!みたいなのを、たぶん病みカワイイとかより先にやったのが、小悪魔ageha。
筆者 すごいよね、なんか。すごいよなって思って
millna そうそうそう、あのテンションがやっぱりリスペクトしてるし、なんかそれが私にとってのギャルだし、そっからめっちゃ影響受けてます。

<小悪魔agehaが結構原点にある>という語りに代表されるように、millnaさんは、既存のギャル文化に強く影響を受けていることが語られる。

ここで、millnaさんの言う「ギャル」は、世間一般のギャルとはちょっと違うかもしれない、と留保していることに注目しよう。

millnaさんは、ギャルを「明るくなくて、どっちかっていうと病んでる」人だと考えている。そして、「結構病んでるんですけど、一切それを表に出さない、それでもウチらはギャルをやるっていうテンション」がmillnaさんの中での「ギャル」だと語る。このテンションを、【1. ギャルのテンション】と名付けておく。そして、millnaさんはこの【1. ギャルのテンション】をリスペクトしてると語る。

ここで具体的に出される例が「病み」「むり〜」「つらぽよ〜」「ぴえん」などの言葉である。「ぴえん」と語ることは、病みを表に出さずに、軽いノリに変換する行為である。なぜなら、ギャル文化の中で、すでに<ぴえんノリ>が共有されており、それを借り、ギャルの言葉を使うことで、<良い文脈を持ってこれる>からだ。この<良い文脈>とは、【1. ギャルのテンション】、すなわち「結構病んでるんですけど、一切それを表に出さない、それでもウチらはギャルをやるっていうテンション」のことである。

さて、では、なぜ【1. ギャルのテンション】は、millnaさんにとってリスペクトの対象になるのだろうか? 次にそれを分析していこう。

[ブロック2: 【1. ギャルのテンション】がリスペクトされる理由]
筆者 「結構病んでるけどそれを一切表に出さない」って、(中略)ここが、リスペクトである理由というか、すごく気になってて。
millna やっぱり、なんていうのかな、最初の話に戻るんですけど、生きづらくない人はたぶんいないんですよ。だから言ってしまうと、Twitterの人が言ってるようなギャル?「全然ツラくないし超ハッピーマジギャル」っていう人はこの世にいなくって、って私は思ってて。そう、その上でだからそれでもギャルをやってる人たち、って私は認識してるので、だからリスペクトだし、なんていうのかな、どうせ世界はツラいので。私がそのマジでTwitterで140字ギッチギチに自己否定的なことを描き続けるみたいなことを、ま、10年くらいやってたんですよ。やってたからわかるけど、そういうネガティブでいることってすごく簡単なんですよ。だから、簡単なのにそれをしないでそれでもウチらは明るく生きようってなれるのがやっぱりマジでかっこいいなって思うし、そうありたいなって感じです。

まず、大前提として、millnaさんは、「どうせ世界はツラい」し、「生きづらくない人はたぶんいない」という認識を持っている。それゆえ、人間にとって、ネガティブでいることはすごく簡単だ、と語る。

この考え方には、millnaさん自身の過去の経験が影響しているようだ。(このことは後の分析でもう少し詳しく見ていく。)実際に、millnaさん自身も、生きづらさを抱える中で、<Twitterで140字ギッチギチに自己否定的なことを描き続けるみたいなこと>もやっていた過去を持つ。

そのような、誰もかれもが「つらさ」を抱え、ネガティブでいる方がすごく簡単な状況の中で、ギャルの「それでもウチらは明るく生きよう」とする姿は「リスペクト」の対象となる。millnaさんにとって、ギャルとは、ツラい世界に生き、ネガティブに流されそうになる中でも「それでもギャルをやってる人」だからだ。<それでもウチらは明るく生きようってなれるのがやっぱりマジでかっこいい>のである。

<ギャルをやっている>という言葉遣いはかなり特徴的だ。millnaさんにとって、ギャルとは、「ギャルである(be)」という単なる状態ではない。つらい中でも、それでも、ネガティブに流されずに「ギャルをやる(do)」という、状況に刃向かおうとする主体的な意志として現れるのだ。

分析テーマ2: カワイイカルトと【2.軽さへの意志】

millnaさんの語りでは、一貫して、「つらい中でも、重くならずに、"軽いノリ"を維持し続けること」へのこだわりが語られている。このような【1. ギャルのテンション】の分かりやすい具体的な実践例の一つがmillnaさんが主催しているファッションイベントのカワイイカルトであろう。

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カワイイカルトとは、ちょっぴりシャイな ファッショニスタに宛てた、"カワイイ"で集う ファッションパーティー! ドレスコードは「あなたにとってのカワイイ」
カワイイカルト公式Twitter

上記のキャッチコピーと写真に現れている通り、このイベントは、参加者が「自分がカワイイと思う服」を着て集まるファッションパーティーである。すでに10回開催しており、リピーターも多い。millnaさん自身は、カワイイカルトを「ウチらの小さい天国」という表現で呼んでおり、ファッション好きな人が集まってワイワイ楽しむ場と捉えているようだ。

[ブロック3: カワイイカルト①]
millna
カワイイカルトは、(中略)年齢層で言うと、中高生くらいから、20代後半、30代前半くらい、で、ファッションが好きな人が。(中略)あと、お一人様で来る人がめちゃめちゃ多いんですよね。1人でやってきて、で、そこで友達を作って、繰り返し来てくれたり、仲良くなってくれてたりするみたいです。

分析テーマ2では、「カワイイカルト」の分析を通して、【1. ギャルのテンション】の中に含まれる【2.軽さへの意志】の詳細に迫ってみよう。

 [ブロック4: カワイイカルト②]
millna カワイイカルトっていうパーティーで、みんなでジュースとかお酒とか飲んでイェーイウチら可愛いイェーイって、なんか本当に可愛いっていう、カワイイカルトの会場の映像が一個あるんですよ、あとでお送りしておきますね。それ見ていただけると、もしかしたら伝わるか伝わらないかわからないんですけど、割と本当にね、なんかその、居場所、みたいな雰囲気じゃないんですよ。なんか、「来たー!」「遊んだー!」「楽しいー!」「帰るー!」みたいな感じで、割とふざけてるノリでなんか、ウチら、まあウチらっていう表現をしますけど、ウチらは、ウチらがシェアしてる感情は、まあたぶんマジで本当に軽いノリではたぶんない、なんか、ウェイウェイではたぶんないんだけど、その上で私たちはウェイウェイをやるわけじゃないですか。なんかそれができてるのが、私的になんか、「これやねん」ってなってます。

millnaさんがカワイイカルトというファッションイベントを語る際に、<居場所>という単語が登場することは注目に値するだろう。

millnaさんは元々、いわゆる「居場所活動」に関心を持っている。筆者の主催する居場所活動に参加してくれたこともあるし、実は、筆者と一緒に活動を企画したこともある。millnaさん自身が、精神疾患の当事者も参加するグループに参加していたこともある。

居場所活動に関わっていた人ならピンとくる通り、<シェアしてる感情>という表現も、居場所活動でしばしば使われる表現である。居場所活動は、同じような困難(引きこもり、うつ、留年、etc...)を抱える人同士が、互いのツラい気持ちを共有すること、すなわち感情のシェアの場となることが、しばしば目的になる。

カワイイカルトでも、このような「感情のシェア」は起きているが、そこでシェアされる感情はいわゆる「居場所活動」と違いがあり、その違いが重要だとmillnaさんが考えていることが読み取れる。millnaさんは、カワイイカルトという活動にいわゆる「居場所」的な役割があるかもしれないことを認めつつも、いわゆる本当の「居場所活動」に対しては、微妙な距離感があるようだ(※1)。この距離をより深く分析していくことを通じて、millnaさんの考え方を明らかにしてみよう。

[ブロック5: "グループ"にいた過去]
millna 私もともと高円寺とかの、なにか生きづらさのようなものを抱えている方々のグループにいて、で、まあ、具体的な診断を受けているかどうかっていうのは重要じゃないんですけど。重要なのはつらさを前に出していることなので。ただ、インターネット上でも、実際そういった面を前に出している方々のあたりにいたのかなって思っていて。
[ブロック6: 軽いノリへの転換]
筆者 「あくまでも軽いノリで」っていうのをとても大事にされているんだろうなって思ってて、どういう紆余曲折があって行き着いたのかとか、なぜ大事なのかって
millna あー、あのー、これは実体験に伴うことで、あの、昔は重いノリでやってたんですよ、それを。そしたら、あのー、なんて言うのかな、重いままで、ハッピーになれなかったって言うか、重いまま、ずるずるずるずるツラい世界みたいになってしまって、そっからハッピーになりづらかったっていうか。ま、すごいわかりやすく言うと、私19歳の時に彼氏ができて炎上してるんですけど、あの、(ファンから)「不幸なあなたが好きでした」って言われて。っていう感じで、ハッピーになる、なりたいから、なりたいがための全て(の活動)なのに、ツラさの中に居続けるじゃないけど、ツラいことに慣れちゃうっていうか、あんまりハッピーになれないかなっていう気がしてしまって、でたぶん実際、わかんないけど、重いノリで言われると、重いテンションで「うおー」ってなっちゃうから、それは軽いノリで言われた方が、「あ、なんだ軽いノリなんだ」ってなるでしょうし。それこそ「ウチらの天国」っていう言い方って、たぶんもっと重い言い方もできて、なんか「私たちの居場所」っていう言い方もたぶんできるけど、「私たちの居場所」って言っちゃうとたぶん集まる人は全然違う、と思うんですよ。

ここでは、<昔は重いノリでやってた>という言葉に代表されるように、過去の【2-1. 重いノリ】でやってた頃から、【2-2. 軽いノリ】へと転換するまでのmillnaさんの経緯が語られる。

millnaさんは、過去には精神疾患の当事者も参加するグループに参加していたこともある。また、millnaさんは、過去に10年くらい<Twitterで140字ギッチギチに自己否定的なことを描き続けるみたいなこと>をやっていた、と語る通り、ネット上でも、いわゆる「病みアカウント」の界隈に属していた。

このような領域で行われる、互いのツラい想いを共有し、共感し、受け止め合うようなコミュニケーションの雰囲気を、millnaさんは【2-1. 重いノリ】と呼んでいる。millnaさんは、昔は、リアルでもネットでも、ツラい気持ちを共有し合うようなコミュニケーションに多く身を置いていたのだろう。

にも関わらず、現在では、millnaさんは、このような【2-1. 重いノリ】を退け、【1. ギャルのテンション】のような【2-2. 軽いノリ】に方針転換するに至っている。

なぜなら、彼女の実体験として、【2-1. 重いノリ】のコミュニケーションを続けた結果、「重いまま、ずるずるずるずるツラい世界みたいになってしまって、そっからハッピーになりづらかった」からだ。

ここで、具体的なエピソードとして、millnaさんの19歳の時の経験が紹介される。millnaさんは19歳の時に彼氏ができたのだが、「不幸なキャラでやってたくせに彼氏がいるなんて!」というネットの反発によって炎上してしまった。ファンからも「不幸なあなたが好きでした」と言われてしまう。millnaさんの活動は全て「ハッピーになる、なりたい」ために行われているものであるにも関わらず、millnaさん自身が過去に【2-1. 重いノリ】で活動をしていた結果、ファンから「不幸で居続けること」を期待されてしまうという事態に至ってしまった。(※2)

まとめると、millnaさんにとって、「グループ」への参加も、Twitter上のコミュニケーションも、ファッションデザイナーとしての活動も、「ハッピーになりたいがため」の活動であった。にも関わらず、これらの【2-1. 重いノリ】の活動は、むしろ「重いまま、ずるずるずるずるツラい世界みたいになってしまって、そっからハッピーになりづらい」という結果になって返ってきた。

この経験が、millnaさんが【2. 軽さへの意志】を重視するきっかけになっている。しんどい時、しんどさを共有しようとするのではなく、明るく生きようとする方がカッコイイ、という彼女の価値観は、こういう過去経緯の上に成立しているのだろう。

さて、millnaさんは、「ウチらの天国」と呼び方は、「私たちの居場所」っていう"重い言い方"もたぶんできる、という。それでも「ウチらの天国」という"軽い言い方"を選択するのはなぜなのだろうか?

[ブロック7: ノリの共有]
millna やっぱりそのそれまで、ヘビーで、それこそ不幸だから好きでしたみたいな方向性になっちゃってたのがなんか全然、ファンの方のノリが真逆になったっていうか、みんな超ポジティブなんですよ今。それがなんかすごくいいなって思ってて、なんかそうでありたかったし、そうしたかったし、そうだったらいいなって思ってたし。(中略)なんか、ノリの共有ができたかなって思ってます、なんか、ウチら軽いノリで行こうっていう。たぶん軽いノリの方がいいことがあると思ってる。

<ヘビーで、それこそ不幸だから好きでしたみたいな方向性>という表現は、millnaさんの考える「重いノリ」の特徴を良く表している。「重いノリ」のコミュニティでは、「互いにつらい気持ちを共有すること」がコミュニケーションの前提にあるため、つらい気持ちを共有できない人は、交流の対象ではなくなってしまう。

ブロック6で出ていた<「私たちの居場所」って言っちゃうとたぶん集まる人は全然違う>という表現が暗示しているのは、「私たちの居場所」という言葉を使ってイベントを開催すると、【2-1. 重いノリ】を求める人、すなわち、自分の不幸を、共有し、受け止めてくれる相手を探す人が集まってしまう、ということだろう。

一方で、<ウチらの天国>という軽い表現を使うことで、「ウチらは軽いノリで行こう」というノリの共有を行うことができる。その結果、ファンの方のノリが真逆になり、<超ポジティブ>になった、という。

ブロック4で、<うちらがシェアしてる感情は、まあたぶんマジで本当に軽いノリではたぶんない、なんか、ウェイウェイではたぶんないんだけど、その上で私たちは、ウェイウェイをやる>という表現が登場した。<ウチらの天国>という言葉が持つ【2-2. 軽いノリ】は、<マジで本当に軽いノリ>ではない。なぜなら、<ウチらの天国>という言葉が持つ【2-2. 軽いノリ】には、【2.軽さへの意志】が含まれるからだ。<ウチらの(小さな)天国>という言葉には「ツラい中でも、ウチらは軽いノリで盛り上がろう」という想いが込められている。だから、カワイイカルトの中で「シェアされる感情」は、単になる「軽いノリ」だけではない。そこには【2. 軽さへの意志】が含まれている(※3)。millnaさんにとって、「カワイイカルト」というイベントは、しんどい日々の中でも、この一瞬を楽しもうとする人々へ向けた「パーティー」なのだろう(※4)。

次回の記事

第二回では、millnaさんにとって「ファッション」とは何か、特に、ファッションによって表現されるべき"自己"とは何か?について分析を行った。

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※1 このような語りが登場する経緯には、インタビュワーである私とmillnaさんの関係性も影響しているだろう。millnaさんは私が「居場所活動」を行っていた人だと知っているわけで、そんな私がカワイイカルトについて尋ねてきた時に、「居場所」的な雰囲気ではない、ということに注意を促すのは普通のことではある。

※2 このような重いノリのコミュニケーションによって「重いまま、ずるずるずるずるツラい世界みたいになってしまう」という現象は、メンタルヘルス業界においても全く珍しいものではない。筆者自身も、自助会活動やメンタルヘルス業界に長く関わっているが、かなり共感できるものがある。例えば、当事者会の中には、当事者会の中で重鎮になりすぎて、もはや当事者というアイデンティティを捨てられなくなり、「病気から治ることができなくなった」人がたまに存在する。私は卒業論文で「ピアスタッフ」という、精神疾患の当事者でありながら、精神疾患の当事者を支援してお金をもらっている人を研究テーマに選択したが、前までは単なる同じデイケアに通い、お互いのツラい気持ちを共有しあう友達同士だった人が、片方が「ピアスタッフ」として職を得てしまったせいで、友達関係が壊れるケースもある。【2-1. 重いノリ】のコミュニケーションが人を救うことも数多くあるが、同じくらい副作用もある。

※3 例えるなら、沈みゆくタイタニック号の中で、最後まで陽気に音楽を奏で続けた音楽団のようなものだ。音楽は、陽気さをシェアしただけでなく、このような環境の中でも陽気であり続けようとする勇気をもシェアしただろう。

※4 ここには、「祝祭」についての社会学の議論を当てはめることが可能だろう。「祝祭」は、非日常の時間や空間を作り出し、日常的な関係性や感情が発散する。簡単にまとめるなら、「祭り」の非日常性は、日常のくだらないルールから一時的に解放されることを可能にする、ということである。また、ある種の「ガス抜き」としてこのような非日常の時間が定期的に行われることで、平凡で退屈な日常を耐えることができる、という側面もある。

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