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第19回大佛次郎論壇賞「居るのはつらいよ」 選考委員による選考経緯の報告

第19回大佛次郎論壇賞に、東畑開人先生の「居るのはつらいよ」が選ばれました。私は東畑さんから授賞式にご招待いただいたのですが、その際に選考委員の方による選考経緯のご報告を伺うことができました。せっかくなので内容を文字起こしし、公開します。(何か問題があれば削除しますので、ご連絡ください)

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アナウンス:ここで大佛次郎論壇賞の選考につきまして、選考委員を代表して、酒井 啓子委員から、ご報告いただきます。酒井様、お願い致します。

(以下、酒井 啓子委員によるご報告)

本日は、東畑さんにおかれましては、論壇賞受賞おめでとうございます。

この作品は、臨床心理士たる東畑さんご本人のデイケア勤務の経験をもとに、日本社会が抱えるケアシステムの問題を浮き彫りにした秀作です。何よりもまず、大変読みやすい。しかも、軽い文体で深いことを述べる、という、大変高度な技術を要する文体だと思います。ただ、今回私は選考経緯を報告せよというふうに言われておりますので、選考経緯を報告いたしますと、少々辛口になってしまうことをお許しください。

8分間の沈黙があった、とまでは申しませんが、最初からすんなりというわけではございませんでした。選考委員会では、5本の作品が審査されましたけれども、専門性の強い一作を除いて、四本の候補作をめぐって議論が続けられました。

この四作は、二つにタイプがはっきり分かれております。一つは、現代的なテーマを基礎的な議論から解きおこして、網羅的かつ丁寧に解説した堅実な良作でした。もう一つのタイプは、既存の学問に真っ向から挑戦し、これまで扱わなかった形で論じたものです。本受賞作は、後者であることは言うまでもありません。

この選考委員の報告をどのように申し上げればいいかと思いまして、昨年の選考委員の大竹先生のコメントを伺わせていただいたんですけれども、その時大竹先生は、”型破り”というふうに評されました。まさに”型破り”な作品だというふうに思います。ただ、この型破りさというのは、前者、つまり、今回受賞されなかった二つが「啓蒙的ではあるけれども無難に過ぎる」というタイプであったのに対して、後者、今回の受賞作を含めた後者は「啓発的ではあるけれども冒険の結果が未知数である」というような内容でありました。「この冒険的であるけれども未知数である」というところが評価されて今回の受賞に至ったというわけであります。

その”型破り”、かつ冒険的なところの第1点は、この文体、というのは先ほど申し上げたとおりです。加えて、ご自身のデイケアでの経験をベースに、セラピーとケアの違いというものを、明確に示したという点が非常にわかりやすく、かつ啓発的だったというふうに思います。そして、その中でもセラピーではなく、ケアの重要性を主張している。他人の心に入り込み、能動的に関与をするセラピストは、言ってみれば、かっこよく見えます。しかし、現場では、”ただ、いる、だけ”、というふうにご本人が表する、ケアの方が必要とされている、という点をこの本書では強調されておられます。しかしながら、”ただ、いる、だけ”のケアのタイプは、経済的な面を考えて、ケアに投入される労働力や資金は、どんどん削られているという問題。こうした問題も指摘されておられます。こうしたケア、重要にも関わらず、資金が削られていってしまっているケア、そういう現実を、理想に燃えるカウンセラー志望の若い心理士が、現実にぶつかり挫折し、目を開かれていく、といった筋立てで、非常にビビットには描かれている良作だというふうに思いました。

簡単に見える、”ただ、いる、だけ”のケアが重要だという指摘は、ここは私が一番感銘を受けたところですけれども、おそらく現代日本社会全般に当てはまることでしょう。

例えば、本書の中でエピソードとして語られている二種類の別れの方法があります。突然別れを切り出し、日常性の中に喪失をまぎらわせる別れのやり方、これケア型というふうに著者はおっしゃっております。それに対し、前もって予告し、その痛みに向き合うことを強要する別れのことを、セラピー型というふうに分類されています。そして、セラピー型の別れは、痛みをしっかりと刻印する中で、良き記憶が生き残り、感謝の念が生まれる、というふうに指摘されています。

私が関心を持ちましたのは、この別れのメカニズムそのものが、死者への向き合い方にも当てはまるのではないか、と思ったところです。例えば、戦死者を英雄視したり、あるいは不遇の死を遂げた者に対して良い記憶だけを語り継いでいく、といった現代の傾向は、戦争の記憶についての研究や、批評者、私自身の専門で言えば、殉教と称して自爆行動に走る中東の若者たちを論じる際に重要な論点になります。受賞者の議論を当てはめれば、こうした戦死者・殉教者崇拝の傾向は、現代社会の中に死を紛らわせている、というケア型の向き合い方ができなくなっている、それゆえなのかもしれないというふうに考えさせられました。このように、色々なことを考えさせられる作品であるというところが、評価の一つの理由になったと思います。

さて、これからは、選考時点では未知数だった冒険の果実が、どうなるか、が問われます。精神医療の現場のみならず、日本社会全体での、居ることのつらさに、どのような解法を投げかけることができるのか、それを見たい、という期待感を込めての選考結果となりました。ぜひ挑戦を続けて頂き、受賞にふさわしい、大きな花を咲かせていただければと思います。ご受賞おめでとうございます 。

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