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信玄推し|甲府2013

北口本宮冨士浅間神社 富士山

ある日、歴史好きな友人から「信玄堤を観に行こう」という、謎のお誘いをもらい、彼の車で甲府までドライブに出かけた。

謎の信玄堤はメインディッシュに取っておくこととして、まずは、山梨県側からの富士山を眺めるため、富士吉田の北口本宮冨士浅間神社へ参拝。

このときまで、僕はなぜか富士山運に恵まれず、東海道を通るたび、静岡県側から富士山を見るも、雲で隠れていたりそもそも未明で何も見えなかったりで、まともに富士山を見たことがなかったので、山梨県側の神社でお祈りをしたしだいである。

この北口本宮冨士浅間神社、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成遺産の一つとして、世界文化遺産に登録された、れっきとした世界遺産である。江戸時代に大流行した富士山信仰が、文化として認められたものである。

この富士山信仰=富士講は、御師(おし)と呼ばれる信仰指導者が、富士吉田を訪れた人に対し、宿や食事を提供すると同時に富士山信仰の教えを説いていたとのこと。なんとなく、”おし”という名前も相まって、何も知らない素人に何らかの作品について、グイグイ説明してくる、オタクの姿がみえる。

無事に参拝をすませた後、河口湖越しに富士山を眺める。若干雲がかかっているものの、ようやく富士山の全貌を観ることができた。

ただ思っていたのと、なんか違う。

自分の思い描いていた富士山の姿は、たぶん静岡県側からの姿だったようだ。

信玄堤 治水は大事

甲府を抜けて、竜王へ。いよいよ謎の信玄堤とご対面である。

信玄堤、ようは「武田信玄が作った堤防」である。御勅使川が釜無川に合流する地点では、しばしば水害が起きていたのを、かの武田信玄が、20年の歳月をかけて治水したとのこと。

堤防のある地点には、水流の流れを弱めるために随所に設置された「聖牛」と呼ばれる構造物がある。この堤防と聖牛で、武田信玄の治める甲府近辺は盤石になったのだから、治水は本当に大事。

ただ、この堤を見ることを第一目的に、東京から訪れる人は多くはなかろうなのだ。

信玄堤のある竜王を抜けた先には、新府城がある。武田信玄の跡を継いだ武田勝頼が、長篠の戦いに敗れた後、防御強化のために築城されたものだが、このとき、一応の完成とはなったものの、完全には稼働していなかったようで、そうこうしている内に、武田氏は滅亡してしまった。

本来の力を発揮していたら、と想像してみると面白い。

ほうとう 信玄?

甲府まで戻ってきて、少し遅めの食事。山梨といえば甲府といえばの、ほうとうである。

まともに食べるのは初めてか2回目くらいのものだが、味噌が効いたほうとう鍋は本当に美味しい。基本的に醤油党であるが、場合によっては味噌党と連立を組むこともやぶさかではない。

ちなみに、ほうとうという謎の名前の語源は、「武田信玄が自分の宝刀(ほうとう)で具材を切ったから」という説があるらしいが、さすがにマユツバすぎる。信玄の隠し湯よろしく、武田信玄になんとかこじつけたい一心を感じる。

甲府近辺、熱い武田信玄推し。

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