第140回 いい湯だな


近頃温泉に入っていない。
住んでいるところの近くに温泉郷があるので、行こうと思えばいつでも行けるのだが、この状況下ではなんとなく躊躇する。以前は週に1回ほど早い時間に訪れては、お気に入りの日帰り温泉のプールのような広い浴槽を、ひとりで満喫していたものだが。

日本は温泉大国である。火山列島の利点を生かし、古来から温泉場は全国各地に存在した。
長野県は、温泉地の数としては北海道にわずかの差で負けて2位だ。源泉の数や湧出量では、圧倒的に大分県が多いのだが、宿泊施設数でいうと長野県は大分県を上回る。実際近くの温泉郷には何十というホテルや旅館があり、殆どのところでは泊まらなくても内湯を楽しめる。
それぞれの温泉場には地元の常連客もいて、皆それぞれ自分の温泉セットを持ってきて楽しむ姿が見られた。

秘湯と呼ばれる温泉も全国各地に存在するが、どこもそう呼ばれるだけあって訪れるのはなかなかハードルが高い。
そんななか高校生時代に思いがけなく泊まることになった秘湯が、福島県にある土湯温泉である。当時私は生物班(クラブのことを我が高校では班と称していた)に所属していた。生物班恒例の夏合宿は、道中の高山植物や昆虫などを堪能しながら10キロ以上の山道を歩き、テントを張って野外炊飯とするという、今思えばかなりハードなものであった。ほぼ登山部である。
福島県の吾妻連峰に属する吾妻小富士に登った時のこと。無事予定の行程を終えて下山するというタイミングで、深い霧が出た。前が全く見えない濃霧のため、駅まで乗るはずだったバスが運休してしまい、このままでは路頭に迷うというか遭難である。
当時はネットも何もない。急遽地図を確認して、途中の道筋にあった土湯温泉で一泊することになった。手持ちのお金もあまりない中宿泊費をどうやって払ったか覚えていないのだが、顧問の先生が立て替えてくれたのだったか。宿に電話はあっただろうから、帰りが1日遅れることを家に連絡して、さてやれやれせっかくだからと温泉に入ることにした。
強烈な硫黄の臭いの中、白く濁った熱い湯が掛け流しになっている。ふと壁に貼ってある注意書きを読むと「一人では絶対に入るな」「窓は必ず開けておけ」など、怖いことが買いてある。泉質を見れば、硫黄はもとより鉄からアルミニウムまで入っているではないか。
歩き疲れて湿布を貼っていた私は、それを剥がした部分にその温泉の湯が滅茶苦茶しみて、泣いた。もう皮膚がアルミに置き換わってしまうのではないかと思った。
翌日霧が晴れて無事にバスが再開し下山できたわけだが、いまでもあの体験は忘れられない。調べてみるとこの土湯温泉、70℃以上の熱湯が毎分100リットル以上豊富に湧き出す有名な秘湯のようだ。

そもそも温泉は、地下から湧出する温水などで、泉源の温度が25℃以上・指定された成分19項目の1kg中の含有量が1つでも基準をクリアしたものと定義されている。
温泉に含まれている成分の炭酸などは、体をよく温めたり皮膚を滑らかにする効能がある。言うなれば天然の入浴剤だ。入浴剤自体が温泉を真似たものだから当然なのだが。実際に「〜の湯」と書かれた実際の温泉の成分を模した入浴剤も売っている。
海外でもスパと名のついた温泉施設はあるが、基本的に水着で入る方式であり、日本の温泉のように裸で湯船に浸かるものではない。昔は日本の温泉も露天風呂は混浴だったりと敷居が高い場合も多かったが、近年は安心して利用できるよう工夫しているところも多い。
冷たい外気に当たって頭を冷やしながら、熱い湯船で温まる露天風呂は、非日常性が高く楽しいものだ。

近くの温泉郷には、温泉スタンドなるものがあり、自販機のように温泉を買うことができる。夕方になると大きなタンクを積んだ軽トラが列を成し、温泉スタンドからタンクに温泉を汲んで帰ってゆく。自宅の風呂が温泉になるのだから、これは便利だ。
大きなタンクは持っていないのでまだ一度も試したことはないが、少量でも購入できるのなら入浴剤代わりに買ってきて入れてみるのもいい。今の状況下なら尚更ステイホームで丁度良い。
大浴場でなくても、単発温泉と化した自前の風呂は、随分と気持ちが良いものだろう。きっとお肌もすべすべになるに違いない。
遠出ができなくても、身近な楽しみを見つけ直す機会ととらえて、息がつまるようなこの情勢をなんとか生き抜きたいものだ。


登場した定義:特定の成分
→リチウム、ストロンチウム、バリウムなどに加え、ラドンやラジウム塩といった放射能泉まである。本当に体に良いのか心配になる成分だ。
今回のBGM:「交響曲第8番へ長調」ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲 オットー・クレンペラー指揮/フィルハーモニア管弦楽団
→なぜか温泉と縁のあるベートーヴェン。この曲は温泉地フランツェルス・ブルンに滞在して書かれたもので、かの有名な「遺書」を書いたのも温泉地のハイリゲンシュタットであった。

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