221回 西部戦線異常なし


今年の冬は例年に比べても寒いような気がする。
寒冷地である当地でも、いつもは年内にマイナス10℃近くまで下がることはまずないのだが、この冬は何度も最低気温がマイナス5℃以下を記録した。
これだけ寒いと外出時にコートは必須である。
ダウンコートやメルトンの厚いロングコートに並んで、根強い人気を誇るのがダッフルコートだ。
その特徴的な胸元のトグルから、可愛すぎて女子供が着るものという蔑視がある一方で、いやこれこそ男性的なヘビーユースなコートであるという意見(こちらもある意味差別的だが)も聞かれるように、毀誉褒貶の多いコートである。

ダッフルコートの直接的なルーツは、第一次大戦頃にイギリス海軍で採用された、防寒用に制服の上から羽織る作業着である。なので本来は確かにミリタリー系のタフな服だったのだ。ちなみにイギリスで最初に発売されたのは、1887年のジョン・パートリッジ社の製品である。
そしてそのもっと前の起源を辿ると、ノルウェーの漁師が濡れても染みないように分厚いウールの布を見よう見まねで縫ったとか、いやいやポーランドの民族衣装からだとか、諸説芬々としていていまひとつはっきりしない。
中でも織物産業が盛んだったベルギーのアントワープ近郊にある小都市で、かつては厚手のウール生地の一大産地だったダッフル(Duffle)が元だという説が一般にまかり通っている。
実際はコート自体がダッフルで作られたわけではなく、そして生地もダッフル生地は使われておらず、「昔ダッフルで織られていたような毛羽立たせた分厚いウール生地で作られたコート」という意味でダッフルコートなのだ。ダッフルの町は名前だけを使われて異論はなかったのだろうか。

長らくイギリス軍に愛用されたダッフルコート。イギリス陸軍元帥だったバーナード・ロー・モンゴメリーが、世界的にこのダッフルコートを有名にしたと言っても間違いないと言われている。彼の愛称である「モンティ」の名を冠したダッフルコートが、今でも人気を誇っている。
第二次大戦が終結したことで不用品となった大量のダッフルコートは、英国国防省の委託を受けたグローバーオール社が販売したことで、一般的に普及する。
このグローバーオール社、現在でもダッフルコートの第一人者として有名だが、当初は言ってみれば軍の余剰品のダッフルコートを販売するだけで、自社での製造実績はなかった。もともとはH&Fモーリスという家族経営の会社で、手袋(Gloves)と作業着(Overalls)の卸売業者だったのだ。
それが1951年に「Gloverall」社としてあらためて創業した後、1954年からは自社製ダッフルコートの生産も始めて、現在に至るまで、単なる防寒着ではないファッションアイテムとしてのダッフルコートの隆盛をつくっていった。

ここであらためて、ダッフルコートとはなんぞやという説明をしておく。
生地はメルトンよりもっと粗く分厚いウール地、本来裏地は付いていない。この生地、弾薬箱の内装緩衝材から転用したという説もあるほど、分厚く頑丈だ。色はドラブ(Drab)と呼ばれるキャメルベージュの無地が主流。吹雪となるような場所用には白もあったという。頭部には帽子の上から被れる大きなフードが付いており、襟元にはチンフラップが縫い付けられている。
手袋をしたまま止め外しができるようにというトグルは本来木製で、麻縄製の輪にくぐらせて止める。現在は水牛の角製のトグルを牛革製の輪に出し入れするタイプにグレードアップされているものが多い。トグルは3つの場合と4つの場合があり、どちらも正統とされている。
腰の両側には大きなパッチ(アンドフラップ)ポケット、肩には水の染み込みを抑えるために二重のショルダーパッドが貼られている。服の上から羽織るために、かなりゆったり目のシルエットだ。
この剛性感とミリタリーのルーツが男性的とされ、大きめのシルエットとトグルの愛らしさが女性的または子供向きというイメージに繋がるのだろう。

実は私は、ダッフルコートが苦手である。
ダッフルコートは嫌いではないのだ。形も好きだし、暖かい。かつては何着も所有していた。ではなぜ着なくなったのか。
それは確か高校生の頃のことだった。塾からの帰りの夜、駅から出て繁華街を通り抜けようとした時、酔客のグループとすれ違った。騒ぐ酔っ払いを避けようとした時、その中の一人の男性にいきなり抱きつかれた。すぐに振り払って駆け足で逃げたが、嫌な記憶が残った。その時に着ていたのが白いダッフルコートで、それからしばらくそのコートは着られなかった。
10年程経って信州で暮らしていたある日のこと。雪が降って辺りが真っ白になった夕方、アパートに帰ってドアの鍵を開けようとした瞬間、誰かに後ろから抱きつかれた。思わず大声を上げたことで隣家の犬が吠え出したためか、その不審者は逃げていったが、しばらく震えが止まらなかったことを覚えている。派出所に届出たら、その付近でそのような事件が頻発していたそうで、それ以降ドアの前では周囲を確認するようになった。
そう、その時に着ていたのも、同じ白いダッフルコートだったのだ。そのコートは験が悪いので処分したが、それ以降もダッフルコートとはなんとなく距離を置いている。

思えば単にそのコートと相性が悪かっただけかもしれないし、白いダッフルコートではなく赤いダッフルコートなら問題なかったのかもしれない。
いずれにせよダッフルコートに罪はないのだ。
1970年代頃から学生を中心に広がったダッフルコートだが、実は意外と性別年齢を問わない。それだけでなく、中に着る服もカジュアルからフォーマルまでいけてしまう。
今では素材も色もバラエティに富んでいるため、無骨でタフという本来のイメージから抜け出し、個性的かつ汎用性があるという絶妙な位置にあるのがこのダッフルコートなのだ。
来冬にはダッフルコートとの距離を縮めてみてもいいかもしれない。
まあたぶん、着るとしても白は避けるだろうが。


登場した軍人:バーナード・ロー・モンゴメリー(Bernard Law Montgomery)
→「モントゴメリー」と表記されることもあるが、発音は「モンゴメリー」の方が近い。「ダンケルクの戦い」や「エル・アラメインの戦い」で有名な ”砂漠の鼠” は、ごりごりの帝国主義者かつ白人至上主義者。そのマッチョさを揶揄するべくつけられたのが、かの「モンティ・パイソン」だそうだ。
今回のBGM:「Always Look On The Bright Side Of Life」by モンティ・パイソン
→映画『Monty Python's Life of Brian』の終盤のかなり皮肉なシチュエーションで歌われるこの曲。「英国人が葬儀で流したい曲」第3位というのが、いかにもかの国らしい。


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