188回 ストレッチ・ザ・ムービー


いつから服はこんなに伸びるようになったのか。
Tシャツも伸びる。デニム(ジーンズ)も伸びる。とても着心地が良い。動きにも追従して、突っ張らない。
生地の素材に「ポリウレタン」が少しでも入っていると、なんとなく安心してしまう。伸縮性がない綿素材にポリウレタンが混紡されるだけで、ストレッチ性の高い着易い生地になる。
良いことだらけではないか。

ポリウレタンは1937年にドイツで実用化され、1950年代から広く用いられるようになった合成ゴムの一種である。ウレタン結合を有する重合体なのでポリウレタンと称するが、合成繊維としての正式名称はスパンデックスである。デュポン社が1959年に開発して「ライクラ」の商標名で発売した。名前の由来は「Like Rubber」だそうだ。
ゴムを模したものなので、5~10倍という高い伸縮性を持ち、伸ばした後にもそのまま伸びてしまうことなく、元の形状に戻り易い。また天然ゴムと異なって染色性があり、柔らかくシワになりにくい。
またとても軽いため、他の繊維と混紡すると生地を軽くすることができる。綿やウールなどの天然繊維から、レーヨンやポリエステルなどの化学繊維まで、どの異素材とも相性が良いため混紡にも適している。綿はあまり伸縮性がないが、ポリウレタンを3~5%混紡するだけで、伸縮性の高い着心地の良い生地にできるのだ。
ポリウレタン繊維は、引っ張る力にも強くちぎれにくい。強い衝撃にも耐えられるため、靴のインソールや家の断熱材にも用いられている。

ポリウレタン繊維が用いられる糸には、3種類の加工形態がある。
ポリウレタン繊維を芯にその周囲にナイロンなどの別の繊維を巻きつけたカバード糸、綿などの紡績工程でポリウレタンを芯に挿入したコアスパン糸、ポリウレタンと他の繊維の糸を引き揃えて撚り合せたプライ糸の3種類で、いずれもストレッチ性のある繊維製品として活躍している。
他の繊維にはない高度の伸縮性と耐熱性、それに強度を備えたポリウレタン繊維は、いまや我々の生活に欠かせない素材なのだ。
ポリウレタンは、繊維の剛直性を決めるハードセグメントとしてのジイソシアネートと、伸縮性を決めるソフトセグメントとしてのジオール(アルコール)の分子が、ウレタン結合を介して重合した高分子である。ゴムとプラスチックの両方の物性を持たせることができる稀有な素材として、衣類だけでなく塗料や接着剤に、ウレタンフォームとしてスポンジやシーリング材として用いられるほか、自動車部品にも多く使われている。

日常生活のあらゆるところで用いられているポリウレタン。良いことずくめではないかと思われるが、実は大きな弱点がある。
ポリウレタンは、製造されてから3年程で劣化してしまうのだ。製品を購入してから、生地になってから、ではない。製造されたその瞬間から劣化が始まるのである。ポリウレタンコーディングの合皮のジャケットが、いつの間にか表面がボロボロになっているのを経験したことがある人もいるだろう。着用してもしなくても劣化は進行するのだ。
ポリウレタンは空気中の水分(湿度)や温度変化、そして紫外線に反応して劣化する。特に雨や汗で濡れたり湿度が高い場所に置いておかれたりすると、加水分解が起こって劣化する。日常生活のあらゆる刺激に弱いというのは、ちょっとどうかと思う。
「のびのびジーンズ」の愛称で親しまれているストレッチデニムだが、こちらも段々と劣化は進み、よれよれになってくるのが宿命だ。それでもスーパースリムを格好良くピタピタに履くには、ポリウレタンは欠かせない。
ストレッチ性は実用につながるが、劣化が早いのは実用的ではない。両方バランス良くはならないところが難しい。

ウレタンマスクは殆ど効果がないという結果が、スーパーコンピュータ「富岳」を使ったシミュレーションで判明し、ウレタンマスク愛好家に衝撃が走ったことは記憶に新しい。
ポリウレタン素材のマスクは、多孔性で通気性が良いのだから、飛沫抑制効果・感染予防効果が劣るのは当たり前なのだが、呼吸がし易く着け心地が良い、洗濯できてすぐ乾くなどの点で、未だに愛用する人は多い。
きれいなプリントもできるためファッション性も高いが、ウレタンマスクだけではウイルスの感染予防としてはほぼ何も着けてないのと同じであるため、不織布マスクの上にマスクカバーとして着けて二重マスクにするのが得策だろう。
マスク不足の折に沢山買い込んだウレタンマスクも、劣化する前に有効に使う方法を考えなければ。

次々と開発される新しい素材は、その有効性とは裏腹にリスクを伴うことも忘れてはいけない。世界を席巻したプラスチックが、いまや多大な環境汚染の原因となっているように。
幸いにもポリウレタンは、その劣化の速さによっていつまでも環境に止まることはなく、加水分解ののち酸とアルコールに分解されてしまう。
儚い寿命と引き換えに得られる利便性に感謝しつつ、ストレッチスキニーに足を通そうと思う。


登場したコンピュータ:富岳
→理化学研究所と富士通が開発したスパコン。2021年3月9日に完成・共用開始し、世界最高水準の性能と低消費電力を誇る。決して飛沫計算ばかりやらされているわけではない。
今回のBGM:「Occam Ocean 3」by Eliane Radigue
→弦楽器の引き伸ばされた単音が、寄せては返す波のように途切れなく続くドローン・ミュージック。チベット仏教の影響を受けたというフランスの電子音楽家の音響は、流行とは無縁の境地にあるため、劣化とは程遠い。

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