第9回 いばらの道をゆけ


このところロリィタを見ない。
かつては新宿駅に降りた途端に、全身フル装備のロリィタが目の前を横切っていくことも多かったのだが、今では原宿でもすれ違うことは稀になった。
確かにここ数年で「ゴスロリバイブル」や「KERA」といった紙媒体の雑誌がなくなるといった、ロリィタファッションを取り巻く栄枯盛衰の状況が顕著となっていたが、それに輪をかけるように昨年はメジャーなロリィタ服のブランドがいくつもクローズしてしまい、かなりの衝撃を受けた。新宿マルイワンで何フロアにもわたってロリィタファッションが並んでいた光景は、今や昔話となってしまった。
ロリィタファッションは男性ウケが一番悪い服装だそうである。当たり前だ、ロリィタは他人のために着る服ではない。誰のためでもない、ただ自分のための服。好きなものを好きなだけ身につけることで、男ウケだの何だのという外圧から身を守り、同調圧力を撥ねとばす盾となる。だからそれは似合う似合わないという基準からは離れたものであり、逆に言えばロリィタは誰にでも似合うものなのだ。

何でもありの東京においてもロリィタを着ていれば、笑われたり後ろ指を指されたりということがあるのに、これが地方となればロリィタを貫くのは大変なエネルギーがいることだろう。その辺りのことは『下妻物語』にも描かれているが、ロリィタ全盛の時でさえこれなのだから、今はもっと厳しい状況にあることは否めない。本当にごく稀に地方でロリィタファッションをしている人を見ると、思わず心の中で「頑張れ!」と声援を送ってしまう。
私は10代の頃からことごとく他人とは異なる格好をしてきたので、違うことが当たり前であった。未成年の時は全身黒かったので母親から「女の子を産んだ甲斐がない」と言われ、大学生の時はキャンパス内で「あの変な格好をしている人ね」と有名だったらしい。法医学教室に在籍していた時には、教授に「研究者にあるまじき格好」と嘆かれたが、精神科にきたらなかなかにユニークな先生が多いので特に驚かれなくなった。
違ってなんぼと思っていると、一応TPOはわきまえるもののプライベートでは好きな時に好きな格好をして何が悪いということで、ロリィタが着たければ着るだけである。特にウィッグという武器を手にしてからは、着られない服はないと思っているので、ロリィタファッションの時はそれなりのゴージャスなウィッグで決める。
確かにロリィタファッションで全身フルコーデするにはかなりの金額がかかるため、今の若い人には敷居が高いのかもしれない。ロリィタ関連のイベントの参加者の年齢が上がっているというのも納得がいく。
それでもロリィタが好きで着てみたいという若い人たちはいるだろう。ぜひパニエだけでもワンピースの下に仕込んでみてほしい。確実に世界は広がるから。

若かろうが歳を取ろうが、好きなら着ればいいではないか。
たとえそれがいばらの道であっても、服はあなたを裏切らない。


登場した映画:『下妻物語』(ここは原作ではなく映画の方で)
→こういうことを書くと怒られるかもしれないが、ロリィタとギャル(≒ヤンキー)というのは意外に近いのかもしれないと思ったのは、「ジーザス・ディアマンテ」というブランドを知った時だった。今は大人しくなってしまっただろうと調べてみたら「ベルサイユワンピ」ですよ!やはりフリルとレースは少女の正義である。
今回のBGM:「流行世界」by ALI PROJECT
→このアルバムの中の「Lolicate」という曲の歌詞こそ、宝野アリカの矜持。全てのロリィタを勇気付ける素晴らしい詞である。

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