第2フェーズへの準備

2018年3月1日。

新しい月が始まった。漸く自分の目が覚めてきたような。いや、ずっと覚めているけれどなんだか地に足が着いているような着いていないような、振り返れば2018年に入ってからそんな感じが続いていたのかも、とも思う。何か、見たくないものがそこにあってずっと見たくないような、それでも意識の上では、見ている「つもり」のような曖昧な感覚が自分の中にずっとあったことは、ここで認めておこうと思う。自分のことが正直「よくわからなくなった」衝撃の2017年を超えて、少しずつ「新しい軌道」に進みつつあるのかな、とも思ったりする。

生きている瞬間瞬間が本当に自分の現実ー未来を創っていくんだなあ、ということも改めて体感しているこの時期。ザビエさんとの仕事で半ば「プロモーション目的」に晒したこんなことあんなことも、結果、整理したということにおいて自分にとって「良かった」と、今となっては思っている。そしてつい昨日のこと。道をテクテクと歩いている最中に「あ、わたしはなんだかんだで父(という男性)を母(という女性)と取り合っていたのかもしれないな」という考えが自分を襲ってきた。なんてことを考えてるんだ自分、と思ってある種の「吐き気」を感じたんだけど、でもそれは「親子間の話なのに気持ち悪い」ものというよりは「ずっと蓋をして異臭を放つものに触れた」ことでの「吐き気」に近い気がした。そして今こうして書きながら、ここ数日の胃腸の「消化不良」とリンクしている気がしてならない。

これを今読んでくださっている人の中には、そんな自分のことをいちいち掘り下げて一体何のためになるんだ、と思う人がいるかもしれない。そう、何のためになるかなんて、わからずにやっているのが正直なところなのだ。がしかし、「自分」という人間を構成している思考の仕組み、そしてその仕組みを機能させている更なる「枠組み」つまり「自分が意識的に、もしくは無意識的に持っている概念」というものをこうして「知ってしまった」からこそ、わたしは、「同じものを持ち続けるか、それともそれを変えるか」という選択肢を、今初めてわたしは与えられている、と言っても大げさではないと思っている。だから少なくともその「選択肢を持つ」ということだけでも、意味があると思ってやっている。

「自分を知る」とか「自分を愛する」とか、具体的に何をしたらいいの?ってな感じのことをわたし自身、20代の頃からずっと外側の世界に問いかけてきた。発端は自分とはかけ離れたところにあったけれど、今思い返せば、それは自分の中にあった「渇望」だったんだな、と思える。そのための方法論らしきものに出会ったと思えば、片っ端から触れてみたり、学んだりしてきた。25歳の頃に出会ったオーラソーマ®️がその一番最初のきっかけとなっている。そこから今日という今日まで、ありとあらゆるシステムやメソッドや自分以外の誰かが考えた「何か」に触れ続けてきた。そのプロセスでの師と仰げる人たちや友人たちとの出会いには、本当に恵まれているな、と心から思う。

そして触れ続けてきたものが、たまたま日本の世間が俗に言う「スピリチュアル/スピリチャル」というカテゴリーに分けられるものが多かっただけで、別に当のわたし自身は「スピリチュアル/スピリチャル・ハンター」であるつもりも自覚も意思も全くない。「自分を知ろう」と思った時点で、それは目に見えない、ましてや手にとって触れられるような形のないものに触れていくことそのものであり、「スピリチュアル/スピリチャル」か否かなんていう判断は、このわたしにとっては、どうでも良かったりする。だから「持田さんってスピ系だよね」とか言われたりすることが過去に多々あったりしたが、その問いかけには申し訳ないと思いつつもこれまでほぼ「スルー」させてもらってきた。単に答えようがなかったからだ。そんな中、「スピリアル」って言葉を使って浸透させている穴口恵子さんは、すごいなー、でもって、めっちゃ楽しそうだけどかなり本気だなー、と思うのだった。どうでも良いくだりだけど書きたくなったので。Spirituality = 霊性  Reality = 現実性 うん。「スピリアル」っしょ。笑 と思う。

この20代から続けてきた「自分を掘り下げる旅」みたいなものの「第1フェーズ」が終わったのかなあ、なんて思ったりする。時間にすると約20年くらいかもしれない。そっか、人だったらちょうど成人するくらいの時間なのね。なるほど。この前、ザビエと話していていて、それはまあわたしの「個人的なこと」なのだが、

Naoko, 全ての鍵は「Maturity - 成熟すること」にあるんだよ。

とアドバイスを受けたことがずっと耳の奥の方に残っている。何をどうしたらその「Maturity」とやらに辿り着けるかはわからないけれど、たった今のわたしには、これまでしてきたように「自分を掘り下げていくこと」言い換えたら「自分という人体実験を懲りずに続けていくこと」それも愛に溢れた現実の中で喜怒哀楽と共に、縁あって出会えた人たちと分かち合いながら、可能な限り楽しみながら、していくことが「鍵」のありかに自分を近づけていくことかな、なんて思っている。

なんとなく「春分-3月21日」前後が一つの節目になる気が今年はずっとしてるので、その辺りまで「旅の第2フェーズへの準備」ということにしておこう。

今日はこんなことを書きたくなった。備忘録。
2018年3月1日。


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