“彼”の引退に対してのわたしの今の気持ち


もういない”彼”の話。

(わたしが推している彼女やその周りに関する話ではありません)

わたしがVtuberというものに足を踏み入れたのは、Showroomからだった。だから、YouTubeでリアルタイム配信を見るという文化に馴染めず、だから、わたしが彼のことを見ていたのは、主にTwitterにおいてだ。

彼はTwitterでの振る舞いがとても上手かった。人より格上の種族というキャラクターを演じきり、哀れな人間のお悩み相談マシュマロなんぞにとても上手に返信していた。彼はロールプレイが滅法上手かった。

声質が好きだった。ガワが好みだった。けれど一番は、そのロールプレイの巧みさだった。
穏やかな雑談配信のアーカイブを子守唄にしながら眠るのが、わたしは好きだった。ほどよく中身のある良い声の雑談を、うとうとしながら聞くのが好きだった。

推しというほど推していたわけではなかった。

だけど、あの引退は衝撃的だった。

彼は神の一種だから、永遠に生きる。だから、いつまでもいるものだと思っていた。個人勢だから楽しんでいる間はいなくならないと思っていたし、楽しそうだった。活動は順調のように見えた。そこに青天の霹靂。
なにかしらの事情があったらしい。おそらく本人にも予期せぬ、突発的な困難だったようだ。告知からほんの数日で引退配信が行われた。
引退配信は見に行った。たぶんこれがはじめてのリアタイだったんじゃないかな。そのくらい、わたしは彼に対してにわかだった。
引退配信の内容は、実はよく覚えていない。見返せないから、記憶が間違っていてもわからない。いや、アーカイブは残っているのだ、いつでも見れる。勇気がないだけだ。いつか勇気が出たら、見返したいのだけど。
ただ、彼の意向としては続けていきたいと思っていたこと。ガワの絵師と揉めたわけではないこと。”彼”は眠りにつくのであって、死ぬわけではないこと。そういう大事なポイントだけ覚えている。
彼はファンの哀れな人類を気遣いながら、最大限にお別れを言わせてくれて、死の明言を避けてくれた。

そして、彼は眠りについた。

わたしが好きだったTwitterの呟きはすべて削除された。もはや、記憶も曖昧だ。

Vtuberの死とは、遺灰も墓も残さない。

せめてアクスタを買っておくべきだったと、今でも悔やんでいる。形に残る何かを買っておくべきだった。声は買った。大事に聞いている。リストに載っていた配信はすべてダウンロードしたけれど、いつか見た『織田作の死』の朗読動画を見つけられずにいる。どこにいってしまったんだろう。



そして、彼は、ゲーム実況者になった。

名義は変えず、アカウントは変えず、しかしバーチャルの皮は脱ぎ、過去のアーカイブはリストに入れて。

戸惑った。

同じ声の、ぜんぜん違う人。人だ。彼は眠りについた”彼”ではないのだ。人間の実況者だ。

わたしはVtuberに馴染みがない上に、ゲーム実況にはさらに馴染みがなかった。だから、今度の彼は別に好きではなかった。人間である彼に興味はない。人間でなかったからこその、実体をもった幻影としての彼が好きだったからだ。でも、面影を追ってしまう自分がいた。
チャンネル登録は解除しなかった。
バーチャル時代のアーカイブを残してくれたのは、本当にありがたい。わたしはまた、時々”彼”の雑談配信を聴きながら眠りにつく。

しかし、実況者の彼も、ある日引退を宣言した。

リアルの職業の問題だそうだ。よくある話だ。そして今度こそ、二度とこの名義は使わないと宣言した。

これで、本当に彼を追えなくなるんだと思った。

彼がこの世界のどこかで死んでも、わたしにはわからない。彼がどこかで生きていても、やはりわからない。そういう別れ。
もはや、彼がどう活動するかとかは正直どうでもよくなっていた。あのとき、いっときの夢を見せてくれた彼が、どうか幸せに生きていてほしい。死なないでほしい。祈りに近かった。
彼のInstagramアカウントを見つけた。フォロワーにけっこうよく見るファンがいたので、公然のものだったのだと知る。にわかなので情報が遅い。そこで彼の素顔を見る。やはり生きていた人間だったのだという衝撃を再び受ける。
Twitterはアカウントから削除された。YouTubeの動画はほとんどがリストに入っていて、動画一覧からは見られない。Instagramアカウントはときどき動いている。そこだけが、彼が生きていることを知る場だ。

どうか、彼が生きていてくれますように。

ときどきInstagramの更新があって、生きていることを知る。ありがとうと思う。生きていてくれて、ありがとう。もうそれだけでいい。


……そして、彼は名義を変えて、ゲーム実況者になった。

…………あのね。嬉しいよ。嬉しい。
生きてるだけでいいし、その上声も聞けてハッピーだし、雑談配信で相互コミュニケーションもとれて超ハッピー。既存のYouTubeアカウントのコミュニティからリンク張ってくれたので、わたしみたいなにわかでも辿り着ける。ありがとう。ありがたいが。

……いや、もういい。生きててくれてありがとう。


最近メモを見返していたら、Vtuberから実況者になったタイミングに、割り切れなかった自分が悶々としているメモが出てきてちょっと面白かった。大丈夫だよ、そんな思いつめなくていい。

以下当時の文章↓


わたしはとても混乱した。どう受け止めればいいのかわからなかった。
同じ魂だ。同じ声をしている。活動自体もほとんど変わっていない。周りの人達の接し方も変わらない。
だが、違う人格だ。違うキャラクターだ。
わたしが好きだったのは、Aというキャラクターだった。言ってしまえばAのロールプレイが好きだったのだ。だから、人間になってしまったA'は、わたしが好きだったAとは決定的に違う。
わたしはいまだに、A'の配信をきちんと見ることができていない。たぶんA'の話し方にはAの面影があって、きっとなにも変わらないのだろう。だけど、そこがうまく割り切れない。
最近何人かのVを知った。そのうちの何人かは、Vをやりながら前世としての活動も続けているようだ。
Vの魂とはなんだろう。Vとはなんだろう。

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