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私がいなくても、あのアイドルは幸せか


あるアイドルが「私なんていなくても、あの子は幸せだ」とつぶやいた。

別に私はその子の推しというわけではなかったけど、色々と思うことはあった。

それはおたくにも言えることだった。

「私があの子のおたくじゃなくなっても、大好きなあの子はまたステージで幸せそうに笑って歌って踊るんだ」と、

当たり前のことだけどそんなことを思って虚しくなったりもする。

アイドル側になったことはないし、アイドルだって人間で当たり前にそこに生活がある。

ひとりのためのアイドルではない。

でも、そんなことでおたくはふと悲しくなったりするものだ。

おたくも人間だ。

アイドルも人間だ。

生活があって、お金が必要で、人生がある。

ささいなきっかけで推しが見つかり、大好きになって、その子の笑顔が歌が生活の支えになる。

全力でその子を応援したくなる。

『応援してくれてありがとう』

そんなありきたりな言葉がとても嬉しい。

ありがとうなんて言われても、こちらがありがとうなのだが。

好きなVtuberの言葉を借りれば、そこはありがとうの渋滞が起きている。

ひとりのためのアイドルではないから、自分ひとりそのアイドルのおたくを降りようと、そのアイドルはいちいち落ち込まない。

私の推しは、「自分は去るもの追わずだ」と言った。

最初は少し悲しかった。

でも今はその通りだ、と思う。

アイドルはひとりのおたくを追ってもいいことはほぼない。

去るものは追わないのが正解だと思う。

去るもの追わずと聞いて悲しくなった自分はなんて図々しかったんだと笑えてくる。

自分の価値がどれだけ高い物だと思った?

厄介な人間だ。

私は私のために生きるし、あなたもあなたのために生きるのだ。

誰かのための私ではない。

私のための私。


応援することに全力になりすぎて自分を見失う人はたくさん見てきた。

それが悪いとは言わないけど、そうなると人は恩着せがましくなる。

「貢いだ」という言葉を使い始める。

正直図々しいし生々しくて気色悪い言葉だと思う。

支払った分のものを受け取ってる。

誰かのための私になるのではなく、私のための私。

私の代わりはいくらでもいるのだ。

それはみんなそうだ。

だから自分のために生きる。

アイドルも自分のために生きてほしい。

その中で支え合えたらとても素敵なことだと私は思う。

誰かの代わりになる必要なんてない。

自分は自分だから。





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