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第297号『おめでとう、君は“知る者”となった』

創作におけるコツというか、それ以前の必須条件であり前提条件というのは当然ながら“創ること”です。

とにもかくにも“作ること”であり“創ること”が第一条件となります。

作り始め無いことにはそれこそ何も始まりません。

「作りたい」ではなくと「作る」こと。

では最も身近で手短な創作とは何でしょう?

それは『描く』ことと『書く』ことだと思います。

『描く』とはイラストや漫画などを指していて絵を描くことで表現してそれを誰かに見て楽しんでいただくこと。

『書く』というのは小説や物語などの文章を書いて人に読んでいただき楽しんでもらうこと。

で、このふたつを比較すると『描く』のは少しだけ難易度が高いです。ただ『描く』のではなく見た人読んだ人をまず絵で魅了する必要があります。

魅了とまではいかなくても(少なくとも)「感じが悪い・気持ち悪い」などの悪印象を与えない作風が必要かと思います。(それくらい絵は第一印象で人の快・不快を分けてしまう)

一方で『書く』ほうの文章ということであれば絵が無い分、パッと見た時の印象に引っ張られることは少ないように見えますが、やはり文章にも書き手の顔が見え隠れしています。

文章の読みやすさだったり文脈や独特の言い回し表現などが読み手の難易度を左右しますし、好感度を分ける部分でもあります。

しかし、それでも絵を描くという行為に比べるといくぶんかは文章を書く方が難易度は低いのかもしれません。

では、最も難易度が低いと思われる創作活動が文章を書くことだと仮定して話を進めましょう。

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私自身はクリエイターとして本業であるゲームソフト開発というチームワーク(スタジオワーク)を行う一方で、アニメーションの企画をしたり漫画の原作を執筆したり、本や原稿をを書いたりしていますが、日常的に(発表することを前提に)執筆を行っているのはこのnoteにおける『週刊少年松山洋』の記事連載ということになります。

ゲーム開発や日々の仕事の中でも結構な頻度で(伝えるために)文章を書くことは多いですが、それはあくまで伝えることに主眼を置いた“指示のための文章”ということになります。

メールでもチャットツールでも基本は思っていることを不特定多数の相手に対して“伝えること”が目的です。

そうではなくて読んでいただいた上で楽しんでもらうとなると、それはやはり創作であり文章だけで1本の商品力として成立させることを目的として作られている『週刊少年松山洋』の記事連載ということになります。

私自身がこの『週刊少年松山洋』での創作目的を言葉として表現すると「最もコンパクトで独立した1記事300円相当の満足度を(読者=購読者に)提供することを責任とした創作活動である」と言えます。

そうした定義の中で自分でも大前提としてルールを設定しているのが『事前に何を書くのかを決定してから書かない』ということです。

あらかじめネタを決めておいてそれを執筆するのではないということ。

要するに「書き始めてから(書きながら)その回の展開やオチを決めてしっかりと帰結させる」ことを前提として作られているということです。

書く時間が確保できた時点で「よし書くぞ」と決めたら、机の前でパソコンのキーボードを叩きながら「さて、どうするか」ということをその場のノリで即興で書くという書き方です。

この執筆法を私は『無極』と名付けました。

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『無極』とは脳内で瞬時にいくつものネタをフラッシュバックさせて、流れに任せたまま書き進めつつも同時に読者の満足度という期待にも応えるという鍛錬と責任を兼ね備えた執筆法のことです。

よく昔の漫画家さんが「週刊連載やってると来週のことなんか考えてられない、今週の原稿をどれだけ面白く出来るかってことしか考えてない、来週のことは未来のオレがなんとかするはずだ」と発言されていたことが、たぶん私の中にいつまでも刻まれているからだと思います。

モノ作りはライブであり、全ての準備が整ってからじゃないと始められないなんて作家はプロではない。

プロとは今ある全ての記憶やネタで抜群に面白く出来る応用力を備えている者のことである。

その通りだと思いますし、自分自身もそうありたいと思って、そうした創作手法をこの『週刊少年松山洋』では採用しています。

前号にあたるこちらの記事もタイトルだけ『今日が残りの人生の最初の日』と決めた後に「さてと、何を書こうかな」と書きながら考えてオチまで繋げたのでした。

最近の記事の中では自分でもそれはもう「見事に頭からオチまで綺麗に繋がった!」という手ごたえというか満足感はありましたが、書き始めた瞬間にはなんにもありませんでした。

「こういうネタでこんな感じの展開をするのなら幼少期のあのエピソードを切り売りして繋げると一本の意味が生まれるかも」

といった具合に本当に頭の中で考えて考えて執筆しているのでした。

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記事タイトルだけは日常的に気になったキーワードや思いついたグッとくるセリフなどを自分でiPhoneのメモ帳に大量に書き留めています。

その大量にあるキーワードの中から「今回はこういう記事タイトルでいくか」とだけ決定したらそのまま書き始めます。

だいたいこの手の記事連載というのはほとんどの読み手は記事タイトルで読むか否かを決定していると言われています。

「読まれるかどうかは記事タイトルが9割」

それくらいキャッチーで大切な記事タイトルだけを日々のネタ帳としてメモに残しているというわけです。

ただし中身なんて何もありません。

その記事タイトルの印象と入り口に見合った内容と出口とオチは書きながら考えていくということです。

今号の記事タイトル『おめでとう、君は“知る者”となった』ってなんかカッコ良くないですか?

元ネタが何だったのかはもう全く思い出すことも出来ません。なんかの映画やドラマで似たセリフがあったのかもしれませんし、飲んでいる時に誰かが思わず口にした言葉をメモったのかもしれません。

しかし、その時に自分の心に何かしらグッとくるものを感じたのだと思います。だからきっと自分でメモったのだと思いますから。

それを信じて書き始めて「さてと、今回はどうしたものか」と考えながら今もこの記事は作られています。

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ある意味今回の記事もここまで読んでいただいた方には「このnoteの制作方法」を詳細に明かしたことで無理矢理にでも『おめでとう、君は“知る者”となった』と言えなくもないのですが、そこはちょっと私の中のモノ作りの柱となっている基準というか信念が「いや、そうじゃないだろ?その向こう側があるだろ?それをさらけ出して初めて『なるほど』というニヤリが生まれるんだろう?せめてそこに辿り着けよ、それが読者に対する礼儀だろう?」と呟き続けているのです。

なのでこのまま終わるわけにはいかないのです。

むしろ今回の記事はここから始まるのです。

さあ、見ていてください。いったい(いつも通り)『無極』で始めたこの記事の結末というかオチがどこに帰結するのかを。

それでは張り切って無計画に無軌道に書き進めていきましょう。

おめでとう、君は“知る者”となった

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