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第281号『言うはずが無いだろうそんなことを俺の家族が‼』

大ヒット上映中の劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』もうご覧になりましたか?

私はもちろん公開初日に観てきました。映画館自体も全国で工夫がなされていて飲食禁止&マスク着用が義務付けられ安全に観ることが出来て良かったと思います。

興行成績も非常に好調のようでなにやら歴史が変わる瞬間を凄く近い位置から見ている気がします。

さて今回の記事ではなるだけネタバレにならない範囲で『鬼滅の刃』に関する二つのトピックについて語っていこうと思います。

アニメーションとしての『鬼滅の刃』の凄さ

漫画原作の作品をアニメーション化する際の凄さってわかりますか?

これは制作することが大変とかいうレベルの話では無く、どちらかというとコンセプトや方針に近いレベルの話です。

もっとわかりやすく表現すると「いざ自分が『鬼滅の刃』という漫画原作をお預かりしてそれをアニメ化する際にどういった方針で料理していくか?」ということです。

たぶん一般の方々の多くは「え?素晴らしい漫画原作があるんだからその通りに作ればいいんじゃないの?」と思われるかもしれません。

ハッキリ言いますが漫画原作のまんまその通りに作られているアニメーションはほぼ存在しません。

本当にこれはかなり業界寄りというか制作に関する考え方の話なので、ちょっと一般の人にはなかなかイメージし辛い話になるかもしれません。

『進撃の巨人』も『NARUTO-ナルト-』も『ジョジョの奇妙な冒険』も、そして『鬼滅の刃』も漫画原作の通りには作られていません。

漫画と映像作品(アニメ)では媒体が異なることとレギュレーションと呼ばれる規制&ルールが全く違いますし、テレビアニメなどは特により多くの人に観てもらいやすくするために多くの変更点が加えられます。(場合によっては加えるだけでなく削減されます)

本来、地上波で放送することを前提としたアニメーション作品で(鬼とはいえ)首を斬るなんて表現はほとんどの制作会社が自粛しますが、真っ向から作品性を重視し首を斬る表現をしっかりと描いたことは称賛されるべき大英断です。

しかし私はそれ以上に本作『鬼滅の刃』のアニメーションにおける大きな(漫画原作からの)変更点に賛辞を贈りたいと思っています。

それはナレーションの削除です

みなさんお気づきでしょうか?漫画原作の『鬼滅の刃』には結構な頻度でナレーションが入っています。しかしアニメーション『鬼滅の刃』にはそれが一切使用されていないのです。

これは脚本レベルからの変更点です。

さすがに実例を出さないと理解しにくい部分だと思われますので引用しながら解説していきますね。

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集英社刊『鬼滅の刃』(著:吾峠呼世晴)単行本5巻より引用

例えばこちらのページのナレーションですがアニメーションでは一切使用されていないことをご存知でしょうか。

漫画原作の中では頻繁にこうしたナレーションによる状況説明がなされているのですが、こういった要素はテレビアニメ第一期(全26話)にも今回の劇場版にも一切使用されておりません。

では、どうしているかというと。

全てのナレーション表現を廃して脚本の中でキャラクターのセリフとして喋らせるのと同時に絵と演出で説明するという最も難易度の高い手法を行っているのです。

実はそのまんまナレーションとして説明した方が正直表現としては楽なんです。しかしアニメーション『鬼滅の刃』ではその道を選択せずに最も難易度の高い方法を選んでいます。

「何が起きているのか?」ということを脚本の中で(原作に無かった)キャラクターの心情を語らせたうえで、絵と演出で説明するという行為は本当に難易度が高い演出手法です。(私は初めてテレビアニメ『鬼滅の刃』を観た時にゾッとしました)

では、なぜそんなにも難易度の高いやり方を選んだのでしょう?

(これはあくまで私の個人的感想であり意見です)

恐らくは「ひとりでも多くの人に『鬼滅の刃』という作品をアニメーションとして楽しんでいただくため」だったのだと私は思います。

だから『鬼滅の刃』のアニメは幅広い年齢層に支持されているのです。

子どもから大人まで楽しめるアニメには秘密があるのです。

ナレーション語りというのは映像として観るとどうしても一度そこで流れが止まります。(映像テンポが悪くなる)そして低年齢の視聴者ほど説明を嫌います。

だからそれをそのままやることを選択しなかった。

私はこの『鬼滅の刃』というアニメーションの制作を手掛けるufotableというスタジオの制作チームに心から敬意を表します。

本当に凄い作り方だと思います。

*****

ちなみに凄いのは『ナレーション削除』だけではありません。脚本レベルでの構成変更も秀逸です。

炭治郎・善逸・伊之助などの複数が離れて闘っている時は視点がもちろんバラバラになりますし「一方その頃――」という表現がどうしても頻発してしまうのですが、テレビアニメ版ではそのまとめ方が大きく漫画原作から変更してあります。

こうした変更点も「より見やすく理解しやすく」するための配慮を持った変更だと私は感じました。

もし単行本をお持ちでしたらアニメを観ながらページをめくって比較してみてください。

どこのシーンを移動させてどことくっつけてまとめているのか、どんなシーンやセリフを新しく追加しているのかがよく理解できるかと思います。

(念のため言及しておきますがこうした変更は漫画原作が読みにくいとかわかりにくいとかいうわけでは決してありませんからね。あくまで漫画と映像という媒体の違いと表現の違いの話です)

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漫画としての『鬼滅の刃』の凄さ

続いて漫画原作の凄さについて語りたいと思います。正直これだけ多くの方々に愛されている作品ですので今さら私が凄さを語るまでもないのですが、むしろ「こういうところが好き」というレベルで語らせてください。

というか語りたいのです。お願い、聞いて、いや読んで。

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集英社刊『鬼滅の刃』(著:吾峠呼世晴)単行本7巻より引用

再び『無限列車編』の中から引用させていただきました。(余談ですが1コマ目にあるナレーションもアニメの中では使用されていませんでした。セリフと絵と演出だけで炭治郎の怒りが頂点を超えたことを見事に表現されていました)

このシーンというかセリフは作中で数ある名シーンのなかでも最も私が大好きなセリフのひとつです。

「言うはずが無いだろう そんなことを 俺の家族が‼」

この炭治郎のセリフが私は大好きです。

なぜこのセリフが好きなのかということを解説しますね。

このセリフは大きく分けると3つのブロックに分けられます。

「言うはずが無いだろう」「そんなことを」「俺の家族が‼」

このセリフを日本語的に正しく並べ替えるとこうなります。

「俺の家族が‼」「そんなことを」「言うはずが無いだろう」

ここなんです。ここが私が最も大好きなポイントなんです。

吾峠先生はあえて日本語的に正しく並べずに炭治郎に喋らせたんです。

なぜか?

だって炭治郎の怒りが頂点を超えてたんだから。

怒ってるんですよ、炭治郎は、家族を侮辱されて。

だから言葉が逆になっているんです。

だから先に否定したかったんです、魘夢(えんむ)に対して。

だから先に「言うはずが無いだろう」と叫んだんです。

これを私は『漫画セリフ』と呼んでいます。日本語としての文法などの正しさ以上に感情と流れを大切に演出する漫画ならではの手法です。(ただの倒置法ではない漫画的演出なのです)

ああ、たまらない、『鬼滅の刃』という漫画原作にはこうした漫画セリフがたくさん出てきてそれが実に心地よくて感情移入しやすい構成になっているのです。

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いやー、ホント、『鬼滅の刃』の魅力を語り始めたら漫画原作もアニメーションもいくらでも言葉が出てくるのですが、今回はこれくらいにしておこうと思います。

弊社が開発を進めております『鬼滅の刃 ヒノカミ血風譚』も時が来ればしっかりとまた情報を公開していきますので楽しみに待っていてください。(最新情報は週刊少年ジャンプ、もしくはアニプレックスからの公式情報をお待ちください)

それまでは劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』を何度も観て一緒に盛り上がりましょうー!

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松山 洋 サイバーコネクトツー

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