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第248号『30年ぶりの同窓会に行ってみた』

【序】

これは今から数年前のお話です。

Facebook経由で古い友人から連絡がありました。

「30年ぶりに同窓会をやることになったのでぜひ参加して欲しい」

その友人は私が中学生だった頃の友人でした。

私は父の仕事の影響もあって非常に引っ越し(転勤)の多い家庭だったのでこうしたいわゆる同窓会と言われるものに参加したことは一度もありませんでした。

引っ越してすぐなんかはハガキや手紙が転送されてきていたのですが何度も引っ越しを重ねるうちにだんだんとそうした旧友との繋がりは自然と希薄になっていったのでした。

しかし現代にはFacebookやTwitterなどのあらゆるSNSがあってむしろ今まで音信不通だった人からこうして連絡がもらえるようになったのです。

なんて便利な世の中なんでしょう。

“30年ぶりにかつての同級生と再会するとどんなことになるんだろう?”

この時の気持ちは純粋な好奇心でした。

仕事をしていて“おお、ひさしぶり!”なんて言葉を発してもそれはせいぜい5年ぶりとかいいとこ10年ぶりくらいの再会だったりします。

なので30年もの年月が流れた後での再会というものにちょっとした興味も生まれたのでした。

“中学生のころのみんなか、いったいどれくらい姿形が変わってしまっているんだろう?みんな今の俺を見てなんて言うのかな?気づいてくれるかな?”

ちょっとしたワクワク気分でスケジュールを押さえて、それから当日わりと気分的には足取り軽く同窓会の会場に向かったのでした。

そう、あんなことになるとは全く何も思わずに。

【破】

私は中学時代を対馬で過ごしました。

福岡と朝鮮半島のちょうど中間地点に浮かぶ島です。

小学6年生から中学2年生までの3年間をこの島で生活したのです。

中学に入ってからはバスケ部に入りました。

その当時の私は身長が低く150センチくらいしかなくて必然的にバスケ部でのポジションはリョーちん(宮城)と同じでガードでした。(余談ですがその後に高校生くらいになってからなぜか身長は伸びて今現在の170センチになったのでした)

“あの頃と身長も違ってもうチビとは言えないからなぁ、ま170センチがそんなに高身長でないことはわかってるけど、それでもだいぶ印象は違うだろうなぁ、俺の事みんなわかってくれるかなぁ”

そんなことを考えながら同窓会の会場に到着しました。

受付を済ませて首から自分の名前が書かれたプレートをぶら下げて中に入って驚愕しました。

“あれ、会場間違えた?”

最初は率直にそう思いました。

が、そんなわけはないのです。

その日の同窓会会場であるお店は貸し切りだったので我々同窓生しか存在しえなかったのです。

しかし、私が目にした光景は自分のその目を疑わざるを得ないものだったのです。

目の前には100人以上の人間がいましたが、どう見ても“おじさん・おばさんの集まり”だったのです。

“え、いや、えっと、これ、ホントに?同級生なの?”

その会場にいる人たちはどう見ても私よりも遥かに年上のおじさんやおばさんばかりで、まるで銀行などの重役レセプションパーティのようでした。

どう考えても年配の人ばかり。

私一人だけまるで若造が年配の方々の会合に紛れ込んでるかのようでした。

“え、なんかみんな時の流れがおかしくない?本当に同級生?”

その時に頭の中に浮かんだ言葉は『ウラシマ効果』でした。

【Q】

中学2年生の時が14歳だったのでこの同窓会の会場にいる全ての人は(私を含めて)44歳か45歳の人しかいないはずです。

なのに私の目の前にいる人たちはどう考えても50代から60代の人達にしか見えませんでした。

“え、いくらなんでも老けすぎじゃない?なんで?何があったのみんな”

そう思いつつ戸惑いながらグラスにビールを注いでいると早速後ろから声をかけられました。

「松山くん、久しぶり!」

ポンと軽く肩を叩きながら声をかけられたので“おお、ようやく知り合いが声をかけてくれた”と思いながら振り向くとそこには

全然知らないおじさんとおばさんがいました。

“(うお、誰だ、このおじさんとおばさんは……)”

私がわかりやすく戸惑っていると

「いつも活躍見よるよ!忙しそうやね」

「あ、いえ、はい、忙しくないと生きていけませんので」

「ちょっと、なん敬語ば使いようと?同級生やろーもん」

「あ、いえ、はい(すいません)」

とてもじゃないけどタメ口が叩けるような相手には見えませんでした。

だって明らかに年上にしか見えない年配の方に向かって敬語以外の話し方は私には出来なかったのです。

また同時になんとなく理解もしてきました。

“やっぱりそうか、みんな単純に年を取ったってことなんだな。そりゃそうだよな、普通に仕事してスーツ着て家族を養っていたりするとこうして白髪だらけやツルっぱげだらけで初老の集まりみたいになるもんなんだな、『ウラシマ効果』にかかっていたのは俺の方なんだろうな、ゲーム業界やエンタメに従事する人間はスーツもほとんど着ないし好きな事ばっかりやって生きているから歳を取る速度も違うのかもしれないなぁ”

私がこうしてドギマギしているとマイクを手にした幹事担当(同級生)のおじさんが壇上にあがり挨拶を始めました。

「この度はこうして多くの方にお集まりいただき感謝しております」

みんながその幹事の方に向き直って話を聞き始めました。

幹事から説明があったのは今回のこの30年ぶりの同窓会はFacebookを駆使してなんとか実現できたことと、当時の1クラス40人×1学年4クラス=合計160人に声をかけて今日ここに集まったのは120人いるとのことでした。

“みんな社会人のはずなのに土曜日とはいえよくそんな120人もの人が集まれたものだな、凄いなぁ”

なんて思いながら話を聞いていると、参加者の誰かが声をあげました。

「話が長かぞ!もうよかたい、先に乾杯ばすっぞ!」

その言葉に乗っかるように何人かが同じように言い出しました。

「お前はいつも話が長いったい!」

「はよ、乾杯ばせんか!」

もうね、やっぱりみんな40代中盤のおじさんおばさんばかりなので黙って人の話を聞くような立場の人達ではないのでしょう、我慢ならず(これも同級生ならではとも言えますが)野次を飛ばし始めたのでした。

しかし幹事はそのまま黙って話をつづけました。

「今回来れなかった40名の中にはどうしても連絡がつかなかった方もいらっしゃいましたが、それとはまた違う理由でこの同窓会に参加できなかった方がいらっしゃいます。ここで皆さんにそのことをご報告しておかなければなりません」

「40名のうち4名は亡くなっていました。それぞれ死因は交通事故・病気と様々ですが来れなかったこの4名のご冥福をお祈りしたいと思います」

「全員、黙祷!」

一斉にピタリと野次が止んで全員がその場で目を瞑り黙祷を始めたのでした。

“そうか、30年もの年月は160人中4人くらいは死んでいる人がいるくらいの年月ってことなのか、そりゃそうだよな、30年も経てばみんなが五体満足で健康ってワケは無いし誰かが死んでてもおかしくないんだよな”

私も黙とうを捧げながら頭の中でこんなことを考えつつも祈りをささげたのでした。

“亡くなった4人の名前を聞いても誰だか思い出せなくて顔も出てこなくて申し訳ありません、けど故人のご冥福を心よりお祈りいたします”

*****

さて【序】【破】【Q】とお送りしてきましたこの『同窓会エピソード』はこのあとの【シン】で完結するのですがかなりちょっと気不味いというか具体的なちょっと怖い話になりますので、ここからは後半部分とさせてください。

30年ぶりの同窓会に参加したらどうなるのか?

それでは完結編をどうぞ。

【シン】

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