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津和野町を出て、2年が経った。

気がつくと、
あっっっという間に年末モード。(五・七・五)

Facebookが「過去のあの日」として、津和野町を出る前日に書いた投稿を先日、お知らせしてくれた。

島根県津和野町を出て、2年が経ってしまった。
(最後に住んでいたのは写真の新築平屋の一軒家。いい家でした。)


津和野を出て2年。子どもが平日に毎日園に通うようになって約1年。
なんだか最近ようやく“じぶん”が戻ってきたような感じがしている。

津和野に引っ越したときには、どこか「旦那さんの付属品」のような気持ちで、子どもが産まれてからは“じぶん”なんて考えるヒマもなく、ただただ我が子に「捧げてきた」ような感じだった。

そういえばわたし、こんなことが好きだったな。こんなことがやりたかったんだよな。こんなことにワクワクしていたんだよな。というのを、日々の中で感じる場面が増えた。


「今幸せですっ!」
とかそんなんじゃなくって、ただただそれが今のわたしの状態なんだなぁと認識したような感じの最近です。


▼津和野を出る前日に書いた投稿の一部。

狭くて嫌なときもあったけれど、その代わり、“替えのきかない人間関係”がありました。
日々の中での登場人物は東京より全然少ないけれど、あげれば具体的にうかんでくる顔があります。

“どっかの誰か”ではない、替わりなんていない、“その人”がこの土地にはいる。

東京にいるとき、何かにならなきゃ、と思って焦ってかっこつけたりしている自分がいて、何かをしなきゃ認めてもらえない、ひかえている“替え”に自分の立ち位置を取られてはならない、という不安のようなものがありました。
人が多いから、“みて”もらうのに必死だったのかな。
でもずっとずっと、足りない感じがして、寂しく思ったり、空回ったりしていた。
〜中略〜
何にも求められないこの土地に住み、「そのままでいいんだよ」と言われているような中で生活できたことにすごく救われました。


津和野町での約2年の暮らしを経て、埼玉県の地元に帰ってきて2年経ったわたしは、良くも悪くもまぜこぜになってきたなぁ、と思う。
もちろん、住んでいる土地だけではなくって、子どもが産まれたり、家族が変化したことも大きい。


わたしは以前から「こだわりが強いね」「マイペースだね」なんて言われていたけれど、(未だ自覚はないんだけど)津和野生活を経て、より一層“人”に対してのこだわりは強まってきてるなぁと思う。


そしてそれは、“何か”ができる◯◯さんとか、ママ友の◯◯さんとか、△△って会社にいる◯◯さんとかの、役割・カテゴリーでのこだわりや人選じゃなくって、

「◯◯さんだから \(^o^)/!!!」
という、シンプルな理由。

その人が人間として好きだし、信頼してるし、なんかいっしょにいて気持ちいいからその人じゃなきゃダメなんだ!ってことに胸が張れるようになってきました。

きっと、自信もついたし、わがままになったし、図々しくもなった。笑

でも、「これでいいんだ。これこそが人間関係の本質!」と、津和野町での生活体験を経て感じたからこそ、です。


その中のひとつ。
ぱぱままの運営は、そういう人たちを集めてずっと関わってもらっています。 

「チームぱぱままーず」
というゆるい、そのネーミングのままいく?っていうようなチーム名ですが、でも、最近またそんなチームで集まってやいのやいの言ったり、あーだこーだと話していて、ワクワクしています。

わたし一人じゃ全然できないけれど、このチームだから、心強い〜。

2011年2月からはじめた「ぱぱとままになるまえに」

次の2月で9周年。そりゃ図々しくもなるわ!笑

ってことで、年明けあたりからいろいろとお知らせしていくことがあります。

よっしゃー。
引き続き、よろしくお願いしまーす!

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