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いろんな人の 「善い/悪い」の中で、子どもを育てる。

わたしには、わたしの「善い/悪い」が存在する。

これを変える気はないけれど、変わっていくことはあるな、と思う。

“数年前のわたし”だったら、「悪い」とジャッジしていたことが、
“今のわたし”だと、「別にいいじゃん」ってなってたりすることは、ある。

だから、「善い/悪い」の判断って、不安定なものだな、と思ってる。

わたしは、わたしの基準は大切にしつつも、それを頑なに守り抜きたいわけでもない。
“わたしの基準”を、大切に抱えつつ、他の人の“それ”も知りたいし、知って、変わっていけるならおもしろいな、と思う。

そこに、“人間”を感じるから。
(ひとの間、と書いて、人間。)

◯ ・ ◯ ・ ◯

わたしは、けっこう大人になるまで、お母さんの「善い/悪い」の中で育ってきた。

母も母で、途中からひとり親になり、大変だったのだろうな、と思うし、わたしもわたしで甘えていたのだな、と今では感じる。

けどまぁ、けっこう大人になるまでその調子だったもんだから、“わたしのやりたい”ことが、お母さんの“悪い”に触れることがしばしば起こり、衝突した。

そのとき、「わたしの世界」と「お母さんの世界」は、対立関係にあって、辛かったなぁ。


だから、自分が子育てをする番になったとき、「いろんなひとの善い/悪い」の中で育てよう、と、早々に思った。


「わたしはいいよ」と言うけれど、他のひとは「ダメよ」と言うことがある。
その不安定さの中で揺れてゆれて、子どもなりの「善い/悪い」を決めていけばいい、と思ってる。

わたしは滑り台、別に逆さから登ったっていいと思ってるけど、他のお母さんが「ダメよ」と言うときがある。

(なんでよ、別にいいじゃん。w)と、思ったりするけれど(笑)逆さから滑り台に登りたいのはわたしではないので、口は出さない。

「ダメよ、って言わない自分のお母さん」と「ダメよって他の子に言ってる他の子のお母さん」の間で揺れる我が子はどんな答えを出すのだろう。

それを、興味深く、待つ。

そうすると、「やりたい」が勝って、逆さから登りつつも、他の子が滑ってくるときには譲って待つ、という、子どもなりに関係性の中で、自分で判断した、「善い/悪い」ができあがっていく。

ここを、大事にしたい。


◯ ・ ◯ ・ ◯

そうそう。

母と子で衝突して、でも、その後がおもしろいエピソードで言うと、
うちはずっと「ピアス禁止」だったのに、たしか、妹が勝手に穴をあけてきて(笑)わたしも便乗して、ひょいっと気が向いたときに穴をあけました。

そして、最終的には母もピアスの穴をあけた、というね。笑

ここには、“人間”というか、もはや人間味を感じて笑っちゃう。

ひとって、やっぱりおもしろいね。

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