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宇宙のからくりと私的結論

だれかを否定するってことは、自分を否定することで、だれかを許さないってことは、自分を許さないこと。

人にすることはすべて、自分自身にすることと同じだということ。

どういうことなのかというと、

たとえば、ひどいことをされたとして、それを「許さない」って感情を自分の中にキープするってこと自体が、自分の体にとってはどうしたって「毒」なのだ。

その「毒」を、自分が自分の中に持っているってことは、自分が自分を毒してるってことだから、結局、「自分が自分を許さない」ってことになってしまうのだ。

そしてこの毒の威力とは、ほんとうにすさまじい。体を病むほどに。。

この毒を持っているかぎり、人はほんとうには幸せにはなれない。自由にもなれない。

許されたければ、許すしかない。

否定されたくなければ、否定しない。

傷つきたくなければ、傷つけない。

愛されたければ、愛するしかない。

すべては、ほんとうに、つながっている。

善悪に関わらず、したことは確実にかえってくる。

そして、純度の、より高い「愛」に、その人自身がなるために必要な出来事が、あらわれるようになっている。

宇宙の法則というのは。

宇宙の法則は「愛」そのものだから。


「ゆるさない」は怒りを生む。


私は子供を虐待する「人」をゆるせなかった。

動物をいじめる「人」もやはり、ゆるしがたい。

考えただけでも怒りがわいてくる。


でも、その悲劇自体を生まないためにも、きっと「ゆるす」ということが絶対に必要なんだとおもう。そのゆるしがたい人の悪口をいくら言ってもいい方向には行かない。

そうはいっても、ゆるすってそんなにかんたんじゃあない。

じゃあ、どうしたらゆるせるのか??

まず、想像して考える。

そのゆるしがたい「人」がどうしてそんなことをしてしまうほどに、至ってしまったのかってことを想像することからはじめる。

だれだって、初めは罪のない赤ちゃんだったはずなのだ。

で、純真な赤ちゃんが、どうして?そんなことをしてしまうような道を選んできてしまったのか?

そういう人をつくったもの、いったいそれはなんだろうか?

貧困?もしくは裕福すぎる環境による愛情不足?差別?偏見?圧力?または、自由を与えられなかったから?それとも、いじめ??教育??


きっと、十分に愛を受けて育った人なら、まずしないであろう行為ではないのか?

その人自身をしっかりと見てくれて、きちんと叱ってくれて、育ててくれる人がいたならば、もしかしたら、そんなことをする人にならなかったのでは?

では、そんな風に育てた親はなぜ、そんなふうに育ててしまったのか?

自分もそうやって育ったから?時代の価値観のせい?それとも、呪い?カルマ?なにかの罰??それとも、生まれついての悪人だったから??


いや、生まれつきの悪人なんてのはいない。

みんな無知で無垢で純真で罪なき赤ちゃんだったはず。

ではなぜ?

これは、責任問題ではない。

誰か1人のせいでもない。

いろんな要因が重なって、そうなっていったのだろう。

環境に恵まれなかった木が腐ってたおれたり、虫がついて枯れたりすることと、そんなに変わらないように思う。

もちろん、木は何かをいじめたりはしないけれど、自然の力によって倒れて、たまたまそれにあたって死ぬ人はいる。罪のない子供や動物の場合もあるだろう。。

じゃあなぜその木は倒れたの?台風で?環境が悪く根が弱かったから?弱く育ったのはだれのせい?だれのせいでもない??

ひたすら、そうやって、そうやって、いろんなことを想像する。考える。

その人からの眺めを。その人の生きてきた人生を。その人の世界を。

そうやって想像して考えていくと、自分がその人と全く同じところに生まれて育ったら、同じことを自分は絶対にしないなどと言えるだろうか?

そう考えたとき、きっとどんなことも起こるべくして起こったということが理解できるんじゃないだろうか?

もちろん、その行為自体はゆるせなくとも、その人をゆるすことはできると思う。

もちろん、言うのは簡単だ。

もし自分の子供を誰かに殺されたりしたら、私はその人を呪い、自分が死刑になろうと、その殺した人を殺すかもしれない。愛するものを奪われたとしたら、それくらいの殺意を抱くのは当たり前だとも思う。

絶対にゆるさない!呪って殺してやる!と、その瞬間は言うだろうし、ほんとうにしばらくは呪うだろう。殺意だって、そう簡単には手放せないだろう。

けど、つよく呪って、やがて顔は鬼の形相になり、目を血走しらせて、怒りや憎しみに心が支配されている私の姿を、きっと死んだ子供は悲しく思うだろう。。。もしくは、悲しみに支配されて、ひきこもって、死ぬまで泣き暮らして死んでいく人生になってしまったとしたら、それも悲しむに違いない。

その子の死が、どんなに理不尽なことだったとしても、きっとその子はこう思うはず。

どうか、ゆるして、愛とやさしさと笑顔を取り戻し、どうか幸せになってと。

きっと、そう願ってくるだろう。


罪を憎んで人を憎まずと、思うだろう。


そして、すっかり取り憑かれてしまった人にこそ、愛は必要だということ。

ゆるしがたいことを、ただただ批判して、攻撃して、嘆いて、泣いて文句を叫んでも、結局のところ、解決にはならない。

想像し、原因を理解して、そうならないための行動をすること。

そうして、ゆるし、愛すること。

悲劇をくりかえさず、愛によって正していくこと。

ひたすら、逃げずにうけとめて、みとめて、わかって、そしてゆるして、愛を送ること。


好きと嫌いだけの感覚で物事や人をシャットアウトしても、すればするほどに、宇宙はわからせようとするような出来事をあたえてくる。

シャットアウトして、イヤなことから、逃げてもにげても、ゆくゆく自分の世界はどんどんひたすらせまくなり、結局自分をおいつめて、自分で自分を苦しめるハメになる。

逃げるというのは、逃げ続けるということ。

逃げなくていい世界は自分がつくっていくしかない。

そのからくりというか、宇宙の法則がほんとうに実感できれば、結局のところ、ゆるす以外の道はもはやないということ。なんだと思う。


ゆるせない自分を、まずは自分がゆるすこと。

そして人をゆるすこと。

そうやって自分から愛をつくって与えること。



どんなことでも、したことは必ずかえってくる。

だから、愛をすれば、愛はかならずかえってくる。

愛は減らない。

愛は無限。

つかいほうだいというのなら、おしまず、つかいまくるしかない。

恐れず、勇気を持って、ただひたすらに自分を信じて、愛をつづけるしかない。

わざわざ強引に首をつっこんだり、わざわざ力んで動いたりせずとも、愛を使うべき場面は流れるようにやってくる。

愛でつつみこむ。

怒らず、おごらず、昂らず。

しんしんと降りつもる、雪のように…


とはいえ私もまだまだ半人前。

この結論を心に刻んで、日々精進あるのみ!

えいえいおー















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あなたにいいことありますように🌟
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ピリカ星人🌟愛を学びに地球にやってきました。地球がどんどんLOVEになっていけるように日々愛をつかっていけたならしあわせです。
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