ブルーピリオドに学ぶ、デザイン思考の本質

「ブルーピリオド」という漫画をご存知でしょうか。デザインの経験がない高校生が、芸大入試に挑戦する漫画です。

最近購入し、何度も読み返しています。その結果いわゆる「デザイン思考」の本質はここにあるんじゃないか・・・と感じたので、その理由を綴ろうと思います。

(以下では、紹介の都合上漫画内のコマをいくつか引用させて頂きます。著作権者様からの指摘があれば画像については速やかに削除いたします)。

ブルーピリオドとは

最初に「ブルーピリオド」という漫画についてもう少し紹介します。ブルーピリオドは山口つばさ作の漫画で現在アフタヌーンで連載されています。既刊6巻で、ちょうど芸大入試への挑戦、そしてその結果・・・!までが収録されています。購入するにはいいタイミングなので、みんな買おう!雑誌の公式ページから試し読みが可能です。

「なぜ芸大へ?」誰もが抱く疑問です。絵で食べていくのは難しいし、芸大入試は狭き門です。主人公の矢口八虎(やぐち やとら)は高校生ながらなかなかのリアリスト。学業も友人関係も本音を隠し上手く立ち回るタイプで、冷静に考えれば絶対に挑戦しません。
「なぜ芸大へ?」の答えは、絵というより「絵を通じたコミュニケーション」に魅せられたからだと思います。

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(「ブルーピリオド」1巻 62pより)

初めて自分の感覚をさらけだした絵を描き「伝わった」経験。そこから八虎の挑戦がはじまります。絵を描く行為は感覚的に思えますが、理論的な背景があります。経験ゼロの八虎の学びを通じ、読者自身も絵という「結果」の背景に込められた描き手の技法と意図に気づいていきます。

デザイン思考とは

本記事もう一つの題材、「デザイン思考」にも触れておきます。デザイン思考はざっくり言うと「課題をより深く認識」するための手法です。ただ、この定義は初期のもので現在のものとは少し違います。

デザイン思考の発端はJohn E. Arnoldさんです。彼は複雑な問題を解くためにEngineeringの対応可能範囲(キャパシティ)を広げる必要がある、そのためには「異なる観点からの問題認識」が必要であると説いています。ビジネス、サイエンス、アートといった異なる立場、また知性(intellect)と感情(emotion)など異なる感覚を融合させるということです。最近再版された彼の著作"Creative Engineering"(1959)でその思想を読むことができます。

「異なる観点」のうち「デザイナー」がフォーカスされるようになったのはPeter Roweの"Design Thinking"(1987)からのようです。これ以後、「デザイン思考」における「デザイン」の意味は「思考設計」というよりいわゆる「デザイン」へ傾いていくことになります。

そして1980年代、ユーザー中心設計(Human-Centered Design)への関心が高まるとその要素も取り込まれます。この段階になると、「デザイナー」の要素は希薄になり「方法論」の色が濃くなります(方法論化自体はHerbert A. SimonのThe Sciences of the Artificial(1969)から始まっています)。現在の「デザイン思考」は方法論化の延長線上にあります(以下、Stanford大学 d.schoolのdesign thinkingプロセスモデルより)。

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問題解決の方法論、というくくりではPDCAなどと同じ扱いになります。様々な問題解決フレームワークを知っている方から見れば、デザイン思考は「よくある手法」の一つに感じられると思います(というか私はそう感じましたし、ワークショップを受けた後もその感想は変わりませんでした)。方法論化した現在のデザイン思考からは、その起源となった「異なる観点」の重要性を伺うことはできません。

「異なる観点」、特になじみが薄い「デザイナーの観点」。それはいったいどういうもので、ものの見方をどう変えるのか?

本質を失ったデザイン思考の影に取りのこされた問いの答え。それが「ブルーピリオド」にあります。

デザイン思考の本質: 多様な観点とその伝達

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あなたが青く見えるなら
りんごもうさぎの体も青くていいんだよ
(ブルーピリオド 1巻 51p, 6巻 79p)

ピカソの絵を見て「なんで?」と思うことはないでしょうか。何を書いているかわからない、形がおかしい、色がおかしい、などなど。ただ絵には「ピカソが捉えた世界」、ピカソの観点がありのまま表現されています。

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美術は面白いですよ
自分に素直な人ほど強い
文字じゃない言語だから
(ブルーピリオド 1巻 35pより)

芸術家は「自分の観点をありのままに表現できる人」とも言えます。自分の観点をありのままに表現できる芸術家が駆使する「美術」、「文字じゃない言語」。既存の技術に加え、美術(デザイン)を駆使して個々人(チームメンバー)がとらえた観点を共有し、課題をより深くとらえる。それがデザイン思考の起源に沿うプロセスではないでしょうか。

この立場に立つ場合、最大の課題は「観点が出ない」ということです。自分の考えなんて言うのが恥ずかしい、否定されたくない・・・

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(ブルーピリオド 1巻 58pより)

観点を持ち表現するというのは、「まじめ」にしているだけでは磨かれない能力です。なぜなら、独自の考えというのは「まじめ」というフォーマットの外側にあるからです。

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(ブルーピリオド 4巻 70pより)

八虎もこの点に大いに苦しみます。悩みながら、そして友人とのコミュニケーションを通じて、「自分だけが持つ観点」を発見・育てていきます。自己の成長と異なる観点を持つ他者との交流はJohn E. Arnoldも重要な要素と位置付けています。その意味ではブルーピリオド1巻~6巻の過程こそがまさにデザイン思考のプロセスと言えるのではないでしょうか。実際、八虎は単に「絵が上手くなる」だけではなく「創造的に課題をとらえる」ことができるようになっていきます。

「まじめにデザイン思考(方法論)を実践する」ことは、皮肉にも「デザイン思考的」ではありません。そこには異なる観点も、観点を養う発見も成長もないためです。

まとめると、「デザイン思考」の実践には以下5点が重要です。"4"については八虎のアウトプット量を見るとその重要性がわかります。

1. 異なる考え(観点)を持つメンバーでチームを構成すること
2. 各メンバーが忌憚なく意見できる環境(心理的安全性)
3. コミュニケーションのためにあらゆる手法を駆使すること
4. 積極的に実践/実験を行うこと
5. チーム活動を通じメンバーが成長する(観点を養う)こと

本記事を読んでブルーピリオドに関心を持っていただけたら幸いです!


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