祖父の言葉

社会人になる直前、祖父は言った。

「最初から全力でやらんくたっていいんだわ。この子は出来るって周りに思われるとどんどん大変になるから」

これから仕事を頑張っていこうとしている孫に言うことなのか?と当時は思った。ぬるま湯に浸かったような学生生活を送ってきていきなり社会に出たら、相当頑張らなければならないに決まっている。それに、祖父は長年会社勤めをしてきた仕事人間だった。普段は優しいが、仕事のこととなると自分にも他人にも厳しい印象があった。だから意外な言葉だとも思った。

実際、入社後私は全力で仕事をしたし、付き合いにも全力で応じた。能力的には大したことないのに、評価されようとかなり無理していた。睡眠時間が常に足りなかった。何が悲しいわけでもないのに、帰りの車を号泣しながら運転したりしていた。

電話というものがとにかく苦手だったが、仕事柄1日に10本前後は電話をしなければならなかった。休みの日でも構わず電話はかかってきた。ある日自宅で夜ご飯を食べている時に電話がかかってきて、「あーーーーーーーもうかけてくんじゃねーーー!!!!!」と叫んで会社携帯を折りそうになってから「ハイ梶田です」と出たことを覚えている。

今思えばギリギリの精神状態だった。

いつも疲れていたけれど、休日はかるたの練習に1日を費やした。かるたをしている時は電話に出なくていいし、集中して全てを忘れられた。


祖父の言葉は、私が性格上最初から自分のキャパ以上のことをしようと走りすぎてしまうのを見越していたのだろうか。それとも、たくさんの新入社員を見てきた経験から、最初から目立つよりもじわじわと「実はあの子出来るんじゃないか?」と思わせる方が得だと感じていたから?

今となってはその意図は分からない。

祖父は私が会社を辞めたことも、麻雀プロになったことも知らない。亡くなってから3年以上経ってしまった。


祖父の言葉があったからかもしれない。麻雀で新たなスタートを切った時、「この子は出来ない」と思われることには抵抗が全くなかった。プライドが全くない。その分、教えてもらうことを素直に吸収できる気がする。

たぶん祖父の言葉を現状に照らすのは解釈を曲げてはいる。でも、ありがたいと思っている。

敢えて曲解する。手を抜いて楽にやれ、ということではなくて、周りの評価にとらわれすぎるなと。頑張る動機が「評価されるため」になると、プライドが邪魔する場面があるだろう。でも、自分のために頑張るのであれば大丈夫。大丈夫大丈夫。

ここ数日、何故麻雀が強くなりたいと思うのか考えていた。でも別に理由はいらない気もする。

おじいちゃん。全力でやるけれど、それは自分のためだから大丈夫。ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?