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産後、バンコクで母と過ごした1か月

2024年6月7日。第一子の出産を無事に終え、夫とふたり、4日ぶりの自宅に戻った。肝心の赤ちゃんは、低血糖と黄疸でNICUに入院している。

我が家はやっぱり落ち着く。赤ちゃんがいないから、自分たちが親になった実感がいまひとつ湧かない。

キッチンのシンクの上に、手作りの大福が8つほど置かれていた。

「おかえり〜!」

笑顔で迎えてくれたのは、私の母だ。育児サポートで、地元岡山からバンコクに来てくれている。

母が淹れてくれた玄米茶を飲み、大福をほおばる。
あんこの優しい甘さが、大仕事を終えてボロボロの身体に染み渡った。

「おつかれさま。召し上がれ!」というメモが添えてあった

母にとっては初めてのタイ。介護の仕事を休み、私たちが5年暮らすレジデンスの隣の部屋に、およそ1ヶ月滞在してくれることになった。

最愛の母がタイに来てくれるのは、とても楽しみな反面、不安もあった。

産後は往々にしてホルモンバランスが乱れ、「普段仲の良い親子でも、こじれることがある」という話を耳にしていたからだ。

母とは、どんな悩みも打ち明けるほどの仲だが、「ガルガルして、不穏な空気になってしまったらどうしよう」と心配で。

でも、杞憂だったみたい。予定日を超過して3日目の午後5時、タイに到着した母を自宅で迎え、胸のうちのどこかがほっとゆるんだ。

そして、母の到着を待っていたかのように、翌日の明け方、息子が爆誕したのだった。

母が持参してくれた岡山土産

息子がNICUに1週間入院しているあいだ、夫の育児休暇はほとんど消化されてしまった。

一方、私は想定外の親子時間を享受することに。NICUにいる息子と面会した帰り道、推しのインド料理店で、母とミールスを食べた。

「スパイシーでおいしい!」と楽しげな表情を浮かべる母を前に、頬がゆるむ。

6月9日は息子の退院日。家族3人で帰宅すると、私が大好きなひまわりと、ピンクのかわいいバル―ンが飾ってあった。母のプチサプライズ。

母が飾ってくれたバルーンとひまわり

その日の夕方、部屋のチャイムが鳴った。ドアを開けると、フロントのお姉さま方3名が立っている。

「みく、出産おめでとう! 新しい生活で困ったことがあったら、いつでも頼ってね」

出産祝いのギフトを受け取り、彼女たちの優しさに触れて、思わず涙。「ohhhh」と笑いながら、お姉さんが私の背中をさすってくれる。

「娘のことが心配だったんですが、こんなに良くしてもらって、ほんとうにありがたいです。娘をどうぞよろしくお願いします」

母の流暢な英語に目を丸くした。

彼女がオンライン英会話を始めて、はや8年。現在も、1日3レッスン、明け方3時や4時に起きて、推しの講師たちと英会話の勉強に勤しんでいる。

長年の努力の成果を垣間見た。

いただいた出産祝い

母と過ごす1ヵ月が始まった。
朝は、私たちの部屋でフルーツを食べたり、息子をあやしたり、沐浴をしたり。

母は、初めて食べるマンゴスチンのおいしさに感動していた。ドリアンはお気に召さなかったよう(笑)。

旬のタイフルーツを一緒に食べた


母には主に、日々の買い出しや、料理を手伝ってもらった。会陰切開したところが痛く、ヨチヨチ歩きしかできないので、本当に助かる。

最初の頃は母乳の出が悪く、おっぱいマッサージや授乳の相談にも乗ってもらった。ひとりだったら心が折れていたかもしれない。

可動式のベビーベッドの動きが悪い。母が車輪に油をさしてくれて、ずいぶん滑らかになった。

「大人の睡眠がいちばん大事。無理をしてはだめ。大人都合でいいの」

母のふとした言葉や知恵が、初めての育児で気を張っている私にとっては、大きな救いとなった。

母手作りのベビードレスで「お七夜」の祝い

久々に食べる母の手料理。私の好物のおしるこや、フルーツポンチも作ってくれた。

体調が徐々に回復するなかで、私も時々、母とキッチンに立った。

「娘と一緒に料理をするって、ほとんどしたことがなかったね」と母。

たしかに。母子家庭なのに、実家ではろくに料理せず、いつも任せきりにしてしまっていた。

6月19日、私メインで料理を作った。野菜のポトフと、鶏とブロッコリーのクリーム煮。

母が、「想像よりずっと手際が良くて驚いた」と笑いながら、「すごくおいしい!」と大絶賛。へへへ。

母と一緒に作った冷麺

時々、タイ料理をデリバリ―した。プーパッポンカリーやカオソーイ、ガパオライス。

「辛い!うまい!」と鼻水をたらしながら、ヤムウンセンやソムタムを頬張った日もあった。

プーパッポンカリーをデリバリ―

母は母で、バンコクのスーパーやショッピングモール、寺、博物館、カフェ、公園、スパ、フードコートなど、ひとりで次々と開拓。  

バンコク最大のヒンドゥー寺院、「スリ・マハマリアマン寺院」から帰宅した彼女の額には、「ティーカ」という赤い神聖な印が付いていた。あっぱれ!

「今のうちに、夫婦ででかけておいでよ」という言葉に甘え、母に息子を預け、夫婦で何度か外食に行った。

フレンチレストランで、睡眠不足な互いを労いながら、おつかれさまの乾杯。

フレンチディナーを堪能

「パパになった実感湧いた?」
「少しずつ、だね」
「だね、私も」

つい3年ほど前まで、子どもを持たない人生を送るつもりだった。

もともと子どもが得意ではないし、自分のために生きるので精一杯だし、すでに十分幸せだし、夫との関係性が変わるのも怖かった。

でも、夫婦で話し合って、子どもを持つ選択をすると決めた。1年半の不妊治療の末、尊い命を授かった。

ガラス細工のように壊れそうで、儚げな我が子。1日1日と、彼と時間を共にするなかで、形容できない新しい感情が生まれるのを感じる。



母と過ごす時間は、あっという間に過ぎていった。
慣れない育児に戸惑いつつも、力強いサポートのおかげで自分を見失わず、体力の回復にも努めることができた。

しかし、疲労は着実に蓄積していた。来月からはワンオペ育児が始まる。心の中で、影が雨雲のように広がっていった。

母の帰国が5日後に迫った、6月25日の夕方。

「鉄分は大事よ」と、母がスーパーで牛肉の薄切りを買ってきてくれた。牛肉は、我が家ではめったに買わない高級食材である。

母と料理して完成したのは、熱々のすき焼き。
午後6時。嬉々として食べようとした瞬間、息子が起きて泣き始めた。

(もう、なんで。なんでこのタイミングなのよ……)

子どもを産み育てることは、多くを得られる一方、多くを失う。「究極のトレードオフだ」という思想を抱き、ずっと恐れていた。

こういうことなんだ。3時間おきの授乳で、常に睡眠不足。落ち着いて食事できないし、ラベンダーオイルを垂らした湯船にのんびり浸かるなんて夢のまた夢。体だって、皮膚がのびてたるんでしまった。

(もうやだ……)

この子はなにも悪くない。だけど、なんかつかれた。辛い。

なにかが崩れて、ボロボロと泣く私の肩を抱き寄せながら、「私が預かっとくから、ゆっくり食べなよ」と母。

「でも、お母さんはもうすぐ帰っちゃうじゃない。自分でなんとかしないといけないんだよ…」と、またワンワン泣いた。不安で押しつぶされそうだった。

母は、「わかった、そうしよう」と頷き、部屋に戻っていった。

(心の狭いママでごめんね……)

息子を抱っこして、部屋の中をぐるぐる歩いた。けれど泣きやまなくて、私も泣いた。

日が暮れていく。すき焼きは、とうに冷め切っていた。

数十分後、様子を見に母が戻ってきた。ようやく息子も落ち着いた。「せっかくのビーフだったのに...…」と目を真っ赤にして鼻をすすりながら、私はすき焼きを食べた。

そんな私を見て母が笑い、私もなんだかおかしくて笑った。

翌朝。
「昨夜泣いたことで、一区切りついたと思うよ」と母。彼女はすべてお見通しのようだ。

たしかに、なにかが吹っ切れた感覚がある。きっともう、受け入れられる。我が子と歩む新しい人生を。夫となら大丈夫だ。





母の帰国直前、夫婦でサトーン地区の一軒家イタリアンレストラン、「La Casa Nostra」へ。

シックな内装に、1,000種類以上の銘柄を取り揃えたワインセラー。料理はサラダ、コールドカット、パスタ、デザートと舌鼓を打つ。

「La Casa Nostra」にて

優雅なディナーをお供に、ふたりの会話はもっぱら息子の話。

この3週間超、怒涛の日々のなか、互いに試行錯誤しながら濃密な時間を過ごしてきた。

「どんな子になるんだろうね。可能性が無限大で、なんかうらやましいな」と夫。

そうだね。息子と過ごす春夏秋冬、どうすれば彼の笑顔をたくさん見られるだろうか。そんなことを真剣に考えていると、胸の奥からじんわりと温かいものが込み上げてくる。

もう当分、こんな贅沢な夫婦時間は味わえないかもね。ふにゃふにゃな新生児期があとちょっとで終わっちゃうよ。もうすぐ、お母さんが帰っちゃう……

いろんな感情がごちゃ混ぜになって、笑いながら視界が滲んだ。


母のタイ滞在、最後の晩餐は、ピザパーティー。生ハムやチーズを並べ、ささやかなおもてなし。

「お母さんもぜひご一緒に」と、夫がワインを開けた。

最後の晩餐

ありがたいことに、息子はぐっすり寝てくれた。大人3人でテーブルを囲み、夫の仕事の話や、私の幼少期の話など、会話に花を咲かせた。

食後、母の部屋へ。ドアを開けると、「みくちゃん……」と声を詰まらせた母が、ぎゅっと抱きしめてくれた。

「夢のような1ヶ月だった。本当にありがとう」と母。「こちらこそだよ……」と、私も泣いた。

これは不安の涙じゃない。さみしい。母と過ごしたこの1ヶ月が、あまりにも楽しかったから。

その夜は、なかなか寝付けなかった。

母からの手紙

翌朝5時。出発直前の母から、手紙をもらった。封を開けて読むと、手紙の最後はこう締めくくられていた。

「〇〇(息子の名前)はもちろんかわいい。でもやっぱり、私にとって一番かわいいのは、自分の娘です」



母とバンコクで過ごした1ヶ月は、生涯で記憶に残るかけがえのない時間になった。それはきっと、息子にとっても。

現在、息子は生後3ヶ月半になり、小さな力士のごとく、ムチムチに成長している。育児は想像していたより100倍は楽しくて、日々成長を遂げる息子から、新しい発見や感動を与えてもらっている。ほんとうに、毎日。

彼と過ごす一分一秒が尊くて幸せで、「かわいい」という言葉では表現しきれない。私たちの、大切な大切な宝物。

母が私たちに全力で愛を注いでくれたように、私たちもこの子に、全力で愛を伝えていくんだ。

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